もののけ姫に出てくる恐ろしい存在「タタリ神」について、その正体や謎が気になっていませんか?触れるものすべてを枯らし、死の呪いをまき散らすあの姿に、子供の頃恐怖を感じた方も多いはず。しかし、タタリ神は単なる悪役ではありません。宮崎駿監督が16年の構想期間を経て描いた、深いメッセージが込められた存在なのです。
この記事では、タタリ神の正体から発生条件、日本神話との関連まで、もののけ姫のタタリ神について知りたいすべてを詳しく解説します。
タタリ神の正体とは?もののけの神が変貌した怪物
もののけ姫に登場する「タタリ神」とは、もののけの神が荒ぶる魂を持って変貌してしまった巨大な怪物です。赤黒いミミズのような大量の触手がうじゃうじゃ蠢く体は、まるで巨大な土蜘蛛のよう。触れるものすべてを死に至らしめ、傷つける者にはアシタカのように呪いを植え付けます。
タタリ神の外見的特徴は極めて印象的です。呪いそのものであるだけに、その精神は憎しみと怒りによって塗りつぶされており、動くだけで足元の植物を枯らし、木々を瞬時に腐らせるなど、無差別に呪いと死をまき散らす厄災と化してしまっている。
作品中でタタリ神となったのは2体の猪神でした:
タタリ神 | 正体 | 経緯 | 最期 |
---|---|---|---|
1体目 | ナゴの守 | 人間の石火矢によって重傷を負い、憎しみと死への恐怖からタタリ神化 | アシタカの弓で討たれ、死後アシタカに呪いをかける |
2体目 | 乙事主 | 仲間を殺され、騙されたことで人間への憎悪が爆発 | 完全なタタリ神になる前にシシ神に命を吸い取られる |
タタリ神になる条件:憎しみと死への恐怖の結合
タタリ神が誕生するには、特定の条件が揃う必要があります。タタリ神になるのは、怒りや憎しみという負の感情に囚われ、瀕死の状態になって死を恐れた時。劇中でタタリ神になったのは、ナゴの守と乙事主の2体の猪神でした。
1. 人間への強い憎悪と怒り
人間が森を破壊し、生き物の命や住処を奪っていくのを阻止しようと懸命に守ろうとしていましたが、人間の放った鉄の礫に重傷を負わされたことで死への恐怖心が芽生え、人間に対しても更に怒りと憎しみを覚えたことが理由で、行き場のないやり切れない気持ちが最高潮に達し、ついに守り神からタタリ神へ変貌してしまったと考えられます。
2. 死に対する極度の恐怖心
モロの君によれば、乙事主がタタリ神になったのは「死を恐れた」ためだとか。モロも同じく石火のつぶてを身に受けましたが、タタリ神にはなりませんでした。それは彼女が死に向き合、受け入れていたからでしょう。
3. 瀕死の重傷状態
物理的なダメージも重要な要素です。ナゴの守も乙事主も、人間の武器によって致命傷を負った状態でタタリ神化しています。
4. 理性の喪失
タタリ神になったナゴの守、なりかけた乙事主のどちらも瀕死の重傷を負っていたにもかかわらず凄まじい身体能力を見せているが、前述の通りタタリ神になった代償として理性を喪失し、もはや意思の疎通は不可能となってしまう。
ナゴの守がタタリ神になった経緯
ナゴの守の変貌は、人間による自然破壊への抵抗が裏目に出た悲劇でした。東に向かって逃げるものの、ナゴの守の精神は、止まない傷の痛みと同胞を殺された恨み、エボシたち人間への怒りに支配されてしまい、タタリ神へと変貌してしまうのでした。
ナゴの守の最後の言葉は印象的です。”汚らわしい人間どもよ我が憎しみと苦しみを知るがいい”、タタリ神となったナゴの守が最後に残した呪いの言葉です。本来、守る神であるナゴの守が完全に祟り神に堕ちてしまったことが伺えます。
乙事主のタタリ神化プロセス
乙事主の場合、より複雑な経緯でタタリ神になりました。その姿を見た乙事主は、戦士達が帰ってきたと喜び、さらに人間への怒りと憎しみが強まってしまい、タタリ神へと変貌してしまいました。
人間が死んだ猪の毛皮を被って乙事主を欺いたことが、最後の引き金となったのです。この残酷な騙し討ちが、乙事主の心に最後の一撃を加えたのでした。
タタリ神の呪いとアシタカへの影響
アシタカはタタリ神とは違いますが、一時的にその力を身に宿していたと言えます。ナゴの守から村を守る戦いで、彼の右腕にタタリ神の呪いを示す痣がつきました。村の長老のヒイ様曰く、呪いは時間の経過で骨の髄まで達し、死に至る毒を持つそう。
呪いがもたらす力と代償
この呪いは黒いアザとして残り、受けた者の命を蝕んでいくと同時に、削った命と引き換えにその者の潜在能力を強制的に引き出す、まさに「神の毒」と呼べる代物である。
アシタカが見せた超人的な力:
– 弓矢一射で敵の首や腕を吹き飛ばす
– 素手で大太刀の刀身を曲げる
– 右腕の筋肉が異常に肥大化する
最後は奪われたシシ神の首を取り戻す代わりに、タタリ神から受けた呪いが解かれます。しかし”過ちを繰り返さない”戒めとして、一部の痣は残されているとか!
日本神話における祟り神の概念
もののけ姫のタタリ神は、日本古来の「祟り神」の概念に深く根ざしています。祟り神(たたりがみ)は、荒御霊であり畏怖され忌避されるものであるが、手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々である。
日本の神の二面性
日本の神は本来、祟るものであり、タタリの語は神の顕現を表す「立ち有り(タツとアリの複合形)」が転訛したものという折口信夫の主張が定説となっている。
日本神話では、神々は決して善なる存在だけではありません:
– 天叢雲剣(草薙剣)も祟りを起こしたとされる
– 牛頭天王は疫病をもたらす厄神でありながら守護神でもある
– 菅原道真や平将門も怨霊から守護神へと昇華された
祟りと守護の表裏一体性
日本の神が祟(たたり)神的な要素と守護神的な要素とをあわせもつアンビバレント(両義的)な存在であったことをあげることができる。
タタリ神のモデルとなった妖怪:土蜘蛛
タタリ神のモデルは、一説によると土蜘蛛という妖怪だといわれています。土蜘蛛は山蜘蛛とも呼ばれる、巨大な蜘蛛の姿をした妖怪。
しかし、土蜘蛛には別の意味もあります。また土蜘蛛という存在は、本来は大和朝廷や天皇に従わない「まつろわぬ民」の蔑称。朝廷側は、自らに従わなかった人間を人ではない異形のモノであるとし、土蜘蛛と呼んだのです。
この点も、もののけ姫のテーマである「自然と人間の対立」「権力者による弱者の蹂躙」と深く関連しています。
宮崎駿監督が込めたメッセージ:不条理と憎しみの連鎖
不条理な災厄の象徴
“アシタカはいきなり冒頭で呪われますよね。あれは一番最初で呪われることにすごく大きな意味がありますよね。”いうインタビュワー(渋谷陽一さん)の問に答えて次のように語っている:”そうですね。不条理に呪われないと意味がないですよ。だって、アトピーになった少年とか、小児喘息になった子供とか、エイズになったとか、そういうことはこれからますます増えるでしょう。不条理なものですよ。”
宮崎駿監督は、タタリ神を通じて現代人が直面する理不尽な現実を表現しています。
憎しみの災厄性
つまり、「憎しみ」とは「災厄である」というメッセージが見て取れるのである。先述したように「憎しみ」は発散し、それに囚われた人は攻撃そのものが目的とかしてしまう。そういった人の近くに偶然居合わせた人は攻撃の対象になってしまうかもしれない。それを「災厄」という言葉以外に表現することはできないだろう。
憎しみに身を委ねることの危険性
物事を怒り、憎むことは自らの身を滅ぼす、自殺行為だというメッセージも込められていると察することができます。負の感情に身を任せる=自殺行為とのメッセージが読み取れます。
SNSでのタタリ神に関する投稿と考察
現代でもタタリ神は多くの人に印象を残し続けています:
最近よく『もののけ姫』に出てくる”乙事主”を思い出す…
何でだろ…🤔
仲間だと思ったイノシシの皮を被った悪い人間に攻撃されて”タタリ神”に変貌していく…
引用:https://twitter.com/maachan_1028/status/1270280662827163649
この投稿は、現代社会でも「裏切り」や「騙し」によって人が変貌してしまう現象を、乙事主のタタリ神化と重ね合わせています。
人は…人だけでなく地球に生きる全ての物は自分の中の弱さ…呪い…恨みに負けた時…タタリ神になる…だからこそ1日1日を一生懸命生きなければならい…自分の弱さに打ち勝つ為に‼️
もののけ姫はそれを教えてくれる映画🎥
引用:https://twitter.com/JTum3u6sbk1ER8V/status/1426084566467821569
この考察は、タタリ神化を私たちすべてが陥る可能性のある状態として捉えており、非常に深い洞察を示しています。
ジブリ主人公の中で、もののけ姫のアシタカが1番好き!
序盤のタタリ神との戦いで、手を出したら祟りを貰うと分かってるのに、女の子を救う為に即座に攻撃したところで早くも惚れた!
引用:https://twitter.com/kaikun8078/status/1426084566467821569
アシタカが呪いを覚悟の上でタタリ神と戦った勇気を称賛する声も多く、これは作品のテーマの一つである「それでも生きる」姿勢を表しています。
現代社会とタタリ神:憎しみの連鎖を断つために
実は、もともとは愛情深くて正義感の強いみんなの頼りになる者が、怒りと憎しみに心をとらわれたために「タタリ神」になる、ということが「もののけ姫」では描かれています。最初から攻撃的で破滅的な人というわけではなく、何かのきっかけがあって「タタリ神」の状態になっている、ということです。
この視点は重要です。タタリ神は「生まれながらの悪」ではなく、状況によって誰でもなりうる存在として描かれているのです。
タタリ神化を防ぐアプローチ
作品中でタタリ神にならなかった神々の特徴を見ると:
– モロの君:死を受け入れ、覚悟を決めていた
– 山犬たち:最後まで理性を保っていた
– シシ神:生と死を統合した存在として描かれる
“生と死が一体化したもの”とはどういうことだろうか。ひとつにはアシタカのもつ死生観にヒントがある。アシタカは最後に「シシ神さまは死にはしないよ。生命そのものだから。生と死とふたつとも持っているもの」という捉えをサンに伝える。
制作技術から見るタタリ神の表現
CGスタッフの席から見えるお宅が、建て替えのために解体され建築がおわり、仮住まいから戻ってきてもまだ同じカットを作業していました(タタリ神の目に矢が刺さるカットです)。
このエピソードは、タタリ神の映像表現がいかに技術的に困難だったかを示しています。当時最先端のCG技術を駆使しながらも、手描きアニメーションとの融合に膨大な時間をかけた結果、あの印象的なビジュアルが生まれたのです。
タタリ神の最期に込められた宮崎駿の願い
ナゴの守の最期
完全にタタリ神化した個体は、死の間際には「タタリ」が抜け落ち、毛皮や肌肉が焼け付いた状態で元の姿に戻る。その際、当然だが人間側の対処によっては憎悪が和らぐ事もある。例えば「塚を作って祀る」等、人間側が真摯な敬意や弔意を見せた場合、一瞬だが神としての風格を取り戻し、その後肉体が一瞬で溶け落ちて骨だけが遺る。
乙事主の安らかな死
命を吸い取られた瞬間、恨みや憎しみに満ち溢れていた表情から、だんだんと安らかな顔になって死に絶えるところは、見るのが辛いという声も多かったほど印象的なシーンでしたよね。
これらの描写は、憎しみに囚われた存在でも、最終的には平安を得ることができるという希望を示しています。
生と死の統合:タタリ神が教える人生の教訓
宮崎駿監督は、もののけ姫という作品を通じて「生と死を分けている限り、この世から争いも憎しみも無くならない」ということを伝えているのではないかと思う。
タタリ神の存在は、私たちに以下のことを教えています:
1. 憎しみは災厄を生む:怒りと憎しみに囚われることの危険性
2. 死への恐怖が人を変える:死を受け入れることの重要性
3. 誰でもタタリ神になりうる:善悪の境界の曖昧さ
4. 救済の可能性:最後まで希望を捨てない姿勢
現代への警鐘
自分ではどうする事もできない「なにか」と戦わざるを得ない人々がいるという状況下、そういった人の中にある憎悪、呪い、怒りというものを象徴する存在が必要であったからである。そして主人公としてのアシタカが叫んだように、「憎しみに身を委ねないでほしい」という願いを強調するために「タタリ神」という存在が必要だった。
まとめ:タタリ神が伝える普遍的なメッセージ
もののけ姫のタタリ神は、単なる恐ろしい怪物ではありません。それは日本古来の祟り神信仰と現代の不条理な現実を結び付けた、宮崎駿監督の深い洞察の結晶です。
宮崎作品に登場する怪物は、『風の谷のナウシカ』の巨神兵も『千と千尋の神隠し』のカナシも、人間の負の側面を象徴するものでした。『もののけ姫』のタタリ神も、それらに連なるような存在として描かれています。
タタリ神の物語は、憎しみと怒りの連鎖がもたらす破壊的な力を示しながらも、最終的には理解と共生への道筋を示唆しています。現代社会においても、私たちは日々さまざまな不条理や理不尽に直面します。しかし、タタリ神の教訓は明確です:憎しみに身を委ねることなく、それでも生きる道を選択すること。
アシタカの「それでもいい」という言葉が象徴するように、完璧な解決策がなくても、憎しみの連鎖を断ち切り、共存の道を模索し続けることこそが、宮崎駿監督がタタリ神を通じて私たちに伝えたかった最も重要なメッセージなのです。
人間も神も、怒りと憎しみに囚われればタタリ神となりうる。しかし同時に、相互理解と慈悲の心によって、その呪縛から解放される可能性も常に残されている。もののけ姫のタタリ神は、そんな人間存在の根本的な真実を、美しくも恐ろしい映像と共に私たちに突きつけているのです。