『もののけ姫』を見た多くのファンが気になる疑問として、「あの神秘的な鹿の正体は何なのか?」という点があります。シシ神の外見や能力、そしてデイダラボッチへの変身について深く知りたいという気持ちを持つ方も多いでしょう。
この記事では、シシ神の真の正体から、鹿をモチーフにした理由、日本神話との関連性まで、あらゆる角度から徹底的に解説していきます。
シシ神の正体:森の生命を司る超越的存在
『もののけ姫』のメインの舞台は「シシ神の森」であり、この森を司る自然神こそが「シシ神」です。シシ神はアシタカ曰く「生命そのもの」といった存在で、鹿や猿などいくつもの動物を取り込んだような外見をしています。
「シシ神」は森の神の中でも最高位の存在であり、自然界そのものの象徴として描かれています。乙事主やモロの君などの「神」と呼ばれる存在とは明らかに格が違う、超越的な神として位置づけられているのです。
シシ神の外見的特徴
シシ神は「猫」のような目鼻、「ヤギ」のような耳、「鹿」のような角、「ダチョウ」のような足、「カモシカ」のような長い毛、「犬」のような尻尾と、複数の動物が合体したような見た目をしています。
昼の鹿みたいな姿も、よく見れば目は人っぽいし顔の雰囲気はヤギっぽいし、体は毛がありあらゆる動物っぽいし、足は鳥っぽいし…と、たくさんの命を詰め込んだ(合わせた)ように感じます。
この複合的な外見は偶然ではありません。シシ神が「生命そのもの」を表現するために、様々な生き物の特徴を併せ持つ姿として設計されているのです。
生と死を司る能力
命の循環を統べる「生と死」を象徴するシシ神は、傷を癒すことも命を奪うこともできます。劇中でアシタカの傷を癒したり、乙事主の命を奪ったりする場面が印象的です。
シシ神は生命の奪取と授与なんて、まさに神様にしかなしえない業を持っており、「自分たちが生命をもすべて操れるのだ」という奢りを、人間は改めて反省すべきだというメッセージがあるのかもしれません。
なぜシシ神は「鹿」の姿なのか?
神道における鹿の神聖性
宮崎駿監督が『もののけ姫』の構想中に鹿を見て、森の神様は鹿をモチーフにしよう、と決めたそうです。神道では、鹿は神の使い「神使」と考えられているためです。
現在でも、春日大社・鹿島神宮・厳島神社では、鹿が神の使いとして敷地内で飼われているということからも、鹿が神の使いという信仰があることがわかります。
特に奈良の春日大社では、鹿は神の使いとして手厚く保護されており、これは古来から続く日本の信仰体系に根ざしています。
「シシ」という言葉の意味
「シシ」という言葉は、「しし【獣・猪・鹿】(肉の意より転じて)①けもの・野獣。特に、食肉のために捕獲する『いのしし(猪)』『かのしし(鹿)』をいう。」という意味があります。
つまり「シシ神」は、単純に「鹿の神様」という意味ではなく、「獣全般を統べる神」という深い意味が込められているのです。
デイダラボッチへの変身とその意味
夜の姿としてのデイダラボッチ
夜になると「デイダラボッチ」と呼ばれる半透明の獣頭人身の巨神の姿に変わり、森を巡回します。
『もののけ姫』におけるデイダラボッチは、夜そのものとして描かれており、宮崎駿監督のイメージでは「夜が歩いているように」という発想の原点でした。
日本神話とのつながり
デイダラボッチ(ダイダラボッチ)は、日本各地で伝承される巨人で、各地で、ダイダラボッチが山や湖などを作ったという伝承が多いようです。元は、国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチの伝承を生んだとされています。
デイダラボッチが近江国(現在の滋賀県)の土を使い山を作ったのが富士山で、掘った跡が琵琶湖になったという伝説が残っています。
昼と夜の姿の対比
昼は複数の動物を取り込んだような不思議な姿であり、夜は日本古来の国造り伝説で知られる存在「デイダラボッチ」となっていました。つまり、昼の姿はあらゆる生き物の生命を、夜の姿はすべての自然を表していると考えられます。
他の神話的モチーフとの関連性
ケルト神話との類似点
ケルト神話に見られるケルヌンノスは「鹿のパーツを持つ人型の神」であり、デイダラボッチの造形に似ている部分があるとも言える。また、ケルヌンノスも「獣の王」や「生と死を司る神」「豊穣を与え再生を促す神」ともされます。
ギルガメッシュ叙事詩との関連
世界最古の叙事詩である『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する神獣のフンババも、「聖なる森の守護者である自然神」「息によって生き物を殺す」「森を狙う人間によって斬首された」などの描写がされており、シシ神に影響を与えたのではないかと推測されることもあります。
漫画作品からの影響
宮崎駿は諸星大二郎の大ファンであることが知られ、『もののけ姫』も影響を受けていることが指摘されています。たとえば、シシ神やデイダラボッチの姿は『孔子暗黒伝』の解明獣や『マッドメン』の巨人に似ているとされます。
SNS・WEBでの反響と考察
「もののけ姫」って感情のコントロールの芯をついた物語だったとは知らなかった。只今感情のコントロールを抑えられない私には刺った。私にはアシタカが居ない。
引用:https://search.yahoo.co.jp/realtime/search/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%91%E5%A7%AB/
多くの視聴者が、シシ神の存在を通じて感情のコントロールや人生の困難について深く考えさせられているようです。
4年前に娘が生まれてから「もののけ姫」のブルーレイを買った。娘がタタリ神を恐れなかったので、誇張じゃなく200回くらい観たと思う。
引用:https://note.com/little_shotaro/n/n2ac4fd4e73ac
何度見返しても新しい発見があるのが『もののけ姫』の魅力で、特にシシ神については見るたびに新たな解釈が生まれます。
シシ神の森は、特に場所が特定されてはいませんが、中国地方をイメージして描かれたそうです。また、シシ神の森の内部が、鹿児島県にある世界自然遺産で国立公園となっている屋久島がモデルになっていることは有名です。
引用:https://ciatr.jp/topics/46350
実在する自然をモデルにすることで、シシ神の森により現実感とスピリチュアルな神秘性を両立させています。
シシ神が人間のような顔をしていながら何を考えているのか想像しにくいのは、宮崎駿が「人知の範疇にない存在が人間のような目をしているはずがない」というアイディアに基づいているらしい。
引用:https://dic.pixiv.net/a/シシ神
シシ神の表情の読めなさが、逆に観る者に深い印象を与える効果を生んでいます。
争いや憎しみがどこからやってくるのか。それを考えるのが「もののけ姫」という作品だ。宮崎駿監督は「生と死を分けている限り、この世から争いも憎しみも無くならない」ということを伝えているのではないか。
引用:https://note.com/little_shotaro/n/n2ac4fd4e73ac
シシ神が象徴する「生と死」の概念を通じて、より深いテーマが語られていることが分かります。
シシ神の死と再生の意味
首を失った後の変化
映画『もののけ姫』で、シシ神は、人間のために森を開拓したいと考えるエボシ御前によって首を吹き飛ばされてしまいます。首が飛んだシシ神は、ドロドロとしたドス黒い血を流しながら、デイダラボッチの姿へと瞬時に代わり、首を取り戻すために暴走しながら徘徊を始めるのでした。
最終的な消滅と新しい始まり
最終的にアシタカとサンがジコ坊から奪還した頭をシシ神に返したことで暴走は止まったが、デイダラボッチの状態のまま朝日を浴びたため、そのまま倒れて消滅した。しかしその直後、シシ神の暴走で禿げ山になってしまっていた森には再び木々が芽吹き始め、薄らと緑を取り戻していった。
結局死んだと思われた森も命を吹き返し新しい森が生まれます。これは「死は終わりではなく、新しい始まり」という東洋的な生死観を表現しています。
環境思想とシシ神の役割
人間と自然の関係性
シシ神とデイダラボッチを組み合わせたのは、森や自然を守る比較的人間の身近にいる神様が、実は国づくりもやってのけていて、我々人間はその恩恵を享受しているだけなのだ、という意識を観ている側に生み出すためなのではないかと思えました。
単純な環境保護論を超えて
宮崎駿監督は『もののけ姫』の”狙い”について「世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮の最中にあっても、生きるに値することはある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る」と語っています。
シシ神は単なる「自然保護の象徴」ではなく、もっと複雑で深い存在として描かれているのです。
シシ神が現代に問いかけるメッセージ
生命への畏敬の念
「シシ神」が一見、不条理で無慈悲な存在に見えるのは、自然界そのものの象徴であるためです。自然は人間の都合に関係なく、生命を育むことも奪うこともあります。シシ神はその自然の摂理そのものを体現した存在なのです。
二項対立を超えた世界観
『もののけ姫』では徹底的に”二項対立”を避けています。現実にある戦争も、得てしてそのようなものなのでしょう。”どちらかが悪い”と単純に説明できるものではなく、それぞれが様々な価値観や事情を持っているゆえに、どうしようもない憎しみや軋轢も生まれてしまいます。
次世代への希望
タタリ神から呪いを受けたアシタカの呪いを、シシ神は物語の最後に解いてくれています。次世代を担う存在のアシタカを生かした『もののけ姫』のラストシーンは、人間たちの発展をただ怒るのではなく、それを経てもなお現代の私たちに生きてくれ、という前向きなメッセージを伝えてくれているように思います。
別の視点から見たシシ神の意義
シシ神の存在は、現代社会に生きる私たちにとって極めて重要な意味を持っています。科学技術の発達により、人間は自然をコントロールできるという錯覚を抱きがちです。しかし、シシ神は「自然は人間の思い通りにならない存在」であることを思い出させてくれます。
また、シシ神が最後に消滅しながらも新しい森を再生させる場面は、「破壊と創造は一体である」という深い真理を示しています。これは現代の環境問題や社会問題にも通じる普遍的なメッセージと言えるでしょう。
まとめ
『もののけ姫』におけるシシ神は、単純な「鹿の神様」ではありません。日本古来の神道的価値観、ケルト神話や世界各地の神話的要素、そして現代の環境思想を融合させた、極めて複雑で深遠な存在として描かれています。
鹿の姿を基調としながらも様々な動物の特徴を併せ持つ外見、生と死を司る能力、そして夜にはデイダラボッチという巨神に変身する設定は、すべて「生命そのもの」「自然界の摂理」を表現するための綿密な設計によるものです。
宮崎駿監督は、シシ神を通じて私たちに問いかけています。人間と自然の関係とは何か、生きることの意味とは何か、そして本当の豊かさとは何なのか。これらの問いに対する答えは一つではなく、観る者それぞれが自分なりに見つけていくものなのかもしれません。
シシ神の物語は、現代を生きる私たちにとって、自然への畏敬の念を忘れず、生命の尊さを改めて認識するための重要な道標となっているのです。その深い洞察と普遍的なメッセージこそが、『もののけ姫』が長年にわたって愛され続ける理由の一つと言えるでしょう。