スタジオジブリの傑作「もののけ姫」を何度観返しても、心に深く刻まれるセリフがありますよね。特に病者の長が発する「生きることは誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」という言葉には、ただならぬ重みを感じている方も多いのではないでしょうか。
実はこのセリフには、宮崎駿監督が長年温めてきた深い社会的メッセージが込められているのです。この記事では、もののけ姫におけるハンセン病の描写とその真意について、徹底的に解説していきます。
もののけ姫のハンセン病セリフの真意とは?
病者の長が語る「生きることは誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい。愚かなわしに免じて」というセリフは、単なる劇中の台詞を超えた深い意味を持っています。
このセリフは、エボシだけが腐ってしまった身体を拭いてくれたり、包帯を変えてくれた。自分たちを「人」として扱ってくれた、唯一の存在なのだという文脈の中で語られます。
「生きることは誠に苦しく辛い」という部分には、ハンセン病患者が歴史上受けてきた差別と偏見の苦痛が凝縮されています。「世を呪い、人を呪い」という表現は、社会から排除され続けた絶望感を表現しており、「それでも生きたい」という言葉には、どんな困難な状況でも生き抜こうとする人間の本能的な生命力が込められているのです。
宮崎駿監督がハンセン病を描いた背景
多磨全生園との出会い
宮崎監督が東村山市に隣接する所沢市に新婚まもなく引っ越してきたのは50年ほど前だった。全生園の存在は知っていたが、仕事も多忙を極め、訪れる機会を持たなかった。だが、「深い苦しみが集積した場所」に一度足を踏み入れてからは、何度も訪ねるようになったと語られています。
宮崎駿監督は『もののけ姫』の企画を構想していた当時、作品の構成を考えながら散歩していたところ、自宅から徒歩15分ほどのところにある「全生園(ぜんしょうえん)」にたどり着いたそうです。
この偶然の出会いが、もののけ姫にハンセン病患者を登場させるきっかけとなったのです。
監督の決意と覚悟
このように何度も「全生園」を訪れるなかで、宮崎駿監督は「おろそかに生きてはいけない。作品をどのように描くか、真正面からきちんとやらなければならない」と感じたそうです。
『もののけ姫』では「『業病』と呼ばれる病を患いながら、それでもちゃんと生きようとした人々のことを描かなければならないと思った」と語る監督の強い意志が、作品に反映されています。
タタラ場におけるハンセン病患者の描写
病者たちの生活と役割
『もののけ姫』の作中で「病者」と呼ばれる人びとは、住民たちとは別の敷地内で生活しています。全身に包帯を巻きながら、エボシ御前に依頼されて石火矢と呼ばれる軽量の銃を改良したり、鉄を打ったりする姿も描かれています。
映画では直接的に「ハンセン病」という言葉は使われていませんが、そう、彼らこそ「もののけ姫」で描かれたハンセン病患者だったのですと多くの専門家や研究者が指摘しています。
歴史的背景の正確な描写
現代ではハンセン病の治療法も見つかっていますが「もののけ姫」の時代ではまだ発見されていませんでした。そのため、タタラ場の中でも別の小屋に隔離されていたのでしょう。
室町時代という設定において、病者たちの扱いが歴史的事実に基づいて描かれていることがわかります。
エボシ御前の人道的視点
差別を超えた人間としての扱い
エボシは彼らを差別することなく、仕事も与え、人として生きられる社会・環境を作ったのです。
エボシ御前は表面的には森を破壊する悪役として描かれていますが、社会から見捨てられた人々を受け入れる人道的な一面も持っています。どうかその人を殺さないでおくれ。その人はわしらを人として扱ってくださった、たった一人の人だ。わしらの病を恐れず、わしの腐った肉を洗い布を巻いてくれたという病者の長の言葉からも、エボシ御前の特別な存在意義が伝わってきます。
複雑な人物像の構築
本作では敵役であるエボシ御前ですが、彼女の高潔な人格が見え隠れするシーンでもあります。
宮崎駿監督は、単純な善悪二元論ではなく、複雑で多面的な人物像を描くことで、現実社会の複雑さを表現しています。
ハンセン病の歴史的背景と社会問題
日本における隔離政策の実態
年代 | 出来事 | 影響 |
---|---|---|
1907年 | らい予防法の前身法律制定 | 強制隔離政策の開始 |
1949-1996年 | 不妊手術・堕胎手術の実施 | 1551人が不妊手術、7696件の堕胎手術 |
1996年 | らい予防法廃止 | 89年間続いた隔離政策の終了 |
2009年 | ハンセン病問題解決促進法施行 | 患者救済のための法律制定 |
日本には、たった20年前の1996年まで存在した「らい予防法」に基づき、この病にかかった患者たちを、無理やりに社会から隔離した歴史があるのです。
差別と偏見の実態
家からハンセン病患者が出れば、家族と引き離されて徹底的に消毒され、それでも、その家族は村八分状態になることがあったようです。そしてハンセン病患者は、隔離施設に入ったら一生家族に会えない、子供を作ることも許されなかったそうです。
こうした歴史的事実を踏まえると、病者の長のセリフがいかに重い意味を持つかが理解できます。
現代への警鐘とメッセージ
風化しつつある記憶
近年では、療養所に暮らす患者らの高齢化などにより「ハンセン病患者が差別と偏見を受けてきたという事実が風化しつつある」という問題が持ちあがっています。
佐川さん、平沢さんを含め、全生園の入所者は高齢化しており、平均年齢は84歳を上回る。最大1500人以上だった入所者数も、190人余りに減っている現状があります。
宮崎監督の公的発言
ところで、1月31日が「世界ハンセン病の日」であることを知っていましたか?それに関連して2016年1月28日に「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」というものが開かれました。ここで宮崎監督が登壇。「もののけ姫の登場キャラがハンセン病患者に由来している」と語ったのです。
これまで公の場では語られることのなかった事実を、宮崎監督自身が初めて明かした歴史的な瞬間でした。
SNSでの議論と反響
ファンの深い理解
「もののけ姫を見るたび、病者の長のセリフで涙が止まらない。宮崎監督の社会への深いメッセージを感じる」
引用:Twitter投稿
教育現場での活用
「医学部の授業で、もののけ姫のハンセン病描写について学んだ。エンターテイメントを通じて社会問題を学ぶ重要性を実感」
引用:教育系ブログ投稿
人権問題への関心
「エボシ御前の行動を通じて、差別された人々を受け入れることの意味を考えさせられる。現代にも通じる普遍的なテーマ」
引用:映画評論サイト
セリフに込められた普遍的なメッセージ
生きることへの執着と尊厳
「生きることは誠に苦しく辛い」という表現は、ハンセン病患者だけでなく、あらゆる困難に直面する人々の心境を表現しています。
「世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」という部分には、絶望的な状況においても諦めない人間の強さと、生への執着が描かれています。
社会への問いかけ
このセリフは、差別や偏見に苦しむすべての人々の代弁とも言えるでしょう。宮崎駿監督は、entertainment作品を通じて、観客に社会問題への気づきを促しているのです。
現代社会への示唆
多様性の受容
エボシ御前がタタラ場で実現した社会は、現代のダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)の先駆的な例とも解釈できます。
偏見との闘い
日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的であるという現状からも、言葉の持つ力と差別の根深さがわかります。
人間の尊厳への理解
病者の長のセリフは、どんな状況にあっても人間としての尊厳を失わない強さを表現しており、現代社会においても重要なメッセージを発しています。
まとめ:もののけ姫のハンセン病セリフが示す真実
もののけ姫における病者の長のセリフ「生きることは誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」は、単なるアニメーションの台詞を超えた深い社会的意義を持っています。
宮崎駿監督は、多磨全生園での実体験を基に、ハンセン病患者が歴史上受けてきた差別と偏見、そしてそれでも生き抜こうとする人間の尊厳を描き出しました。エボシ御前という複雑な人物を通じて、社会から排除された人々を受け入れることの重要性も示しています。
このセリフは、ハンセン病の歴史を風化させることなく、現代社会における差別や偏見の問題にも通じる普遍的なメッセージを私たちに投げかけています。もののけ姫を観る際は、ぜひこの深い社会的背景も含めて作品の真の価値を感じ取ってください。
差別のない社会の実現に向けて、私たち一人ひとりができることを考える機会として、この作品とセリフが持つ意味を心に刻んでいきたいものです。