もののけ姫のサンとアシタカの関係について、「もしかしてやってる?」と疑問に思ったことはありませんか?特に洞窟のシーンを見て、二人の距離感や雰囲気から何か特別なことが起こったのではないかと感じた方も多いのではないでしょうか。
この記事では、サンとアシタカの関係性について、公式な証言から都市伝説まで、あらゆる角度から徹底的に分析し、二人の真の関係に迫ります。
サンとアシタカは本当にやっているのか?結論から言うと…
「アシタカとサンはやっている」という内容は、しばしばネットで語られる都市伝説です。スタジオジブリや宮崎駿監督が公式に語っているわけではありませんが、鈴木敏夫がラジオで語っていた「サンとアシタカはちゃんとセックスしている」という話が存在するのも事実です。
結論から述べると、映画評論家の岡田斗司夫氏の解説によると、サンとアシタカは洞窟のシーンで肉体関係を持ったとされています。その大元をたどってみると、映画評論家の岡田斗司夫さんの説であることが分かりました。岡田さんによると、映画プロデューサーの鈴木敏夫さんが以下のように語っていたというのです。サンの無防備な寝顔と脚を見せているコンテを見てピンと来た鈴木敏夫は、「この時点で、2人はセックスしてますよね?」と宮崎駿監督に聞いたという証言があります。
さらに驚くべきことに、宮崎駿に言わせれば「このシーンを見ておいて、そんなこともわからないようなヤツは、そもそも俺の映画はわからねえよ!」ということなんですねという発言まで記録されています。
なぜ洞窟のシーンがそう解釈されるのか?
アシタカの昏睡状態とサンの看病
映画中でアシタカは何日も昏睡状態にあり、モロとの会話でも「私は何日も眠っていたようだな。夢うつつにあの子の世話になったのを覚えている」と語っています。この状況で本当に関係を持つことができるのかという疑問を持つ方も多いでしょう。
サンの無防備な姿と表情の変化
アシタカが目を覚ました際、サンはやけに安心した様子で眠っている…この様子から、アシタカとサンは洞窟で性的な関係を持ち、距離を縮めたと考えられるという解釈が存在します。
確かに、普段警戒心が強く険しい表情を見せることの多いサンが、このシーンでは非常に穏やかで無防備な表情を見せています。アシタカが目を覚ました時のサンの安らかな寝顔は、まさに愛する人の側で安心しきった女性の表情そのものです。
演出的な意味合いの深さ
宮崎さんって人一倍恥ずかしがり屋だから、こういうことを誰にでもわかるように描かないんですねという指摘もあります。宮崎駿監督の作風として、直接的な描写は避けながらも、観客の想像力に委ねる手法がよく使われています。
洞窟のシーンでは、以下のような演出上の工夫が見られます:
- サンの髪の毛が散らばった状態で眠っている
- 足が無防備に投げ出されている
- アシタカが彼女を見つめる時の優しい表情
- 二人を包む親密な雰囲気
- 朝の柔らかい光の演出
これらの要素が組み合わさることで、確かに「何かが起こった後」のような印象を与えています。
公式関係者の証言と見解
鈴木敏夫プロデューサーの発言
鈴木敏夫は、「この時点で、2人はセックスしてますよね?」と宮崎駿監督に聞いたという記録があります。プロデューサーという立場で制作に深く関わった鈴木氏が、このような確信を持ったということは、やはり何らかの意図的な演出があったと考えるのが自然でしょう。
宮崎駿監督の暗示的な表現
宮崎駿が取った「必要なことは全て描くけども、わかるようには描かない」という部分なんですねという手法について言及されています。これは宮崎監督の一貫した演出スタイルであり、観客の想像力と理解力に委ねる表現方法です。
舞台版での明確な描写
興味深いことに、舞台『もののけ姫』はイギリスの劇団によって作られたものですが、その中ではアシタカとサンには明確に肉体関係が表現されていますという事実があります。
ただし、これについて専門家は「宮崎駿監督作品らしくない」と語っているのですという見解も示されており、映画版とは異なるアプローチがとられていることがわかります。
二人のその後の関係について
映画の結末でのプロポーズ
映画のなかでセリフとしては描かれていないものの、実はこの時、アシタカはサンに対してあるリアクションを起こしているのです。『もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11』のなかには、「アシタカがサンにプロポーズしている」というコメントがついています。先述のサンのセリフは、アシタカのプロポーズに対する返答だったのです
サンの「アシタカは好きだ でも人間を許すことはできない」という言葉は、実はアシタカからのプロポーズに対する答えだったのです。これに対してアシタカは「それでもいい サンは森で 私はタタラ場で暮らそう ともに生きよう」と答えています
宮崎監督が語る二人の未来
宮崎監督は、同じく『もののけ姫ロマンアルバム』のなかで、アシタカとサンのその後について「アシタカはタタラ場に住んで」「サンは森に住む」と綴っています。「タタラ場の理屈で言うと、生きていくためには木を切らなければならない。だけど、サンは切るなっていうでしょ。その度に突っつかれ生きていくんだな、アシタカは大変だな」と、サンとタタラ場の人びととの間で苦悩するアシタカの未来を思い浮かべていました
この発言から、二人は愛し合いながらも、それぞれ異なる世界で生きる「通い婚」のような関係を築いていくことが示唆されています。
SNSや掲示板での反響と考察
ファンの間での議論
Twitter上では以下のような投稿が話題になっています:
「アシタカは好きだ、でも人間を許すことはできない」。このセリフはアシタカのプロポーズを受けてのもの。#もののけ姫
このように、多くのファンが二人の関係性について深い関心を寄せており、様々な解釈が生まれています。
Yahoo!知恵袋での質問と回答
もののけ姫で「サンとアシタカは洞窟で男女の関係になってますよね?」と鈴木敏夫に聞かれた宮崎駿が「そんなのわざわざ描かなくてもわかるじゃないですか」と照れながら答えた、ってソースどこですか?という質問も投稿されており、多くの人がこの都市伝説の真偽について気にしていることがわかります。
カヤとの関係から見るアシタカの心境変化
許嫁カヤとの別れ
アシタカには故郷にカヤという許嫁がいました。カヤが彼に自分の愛を捧げ続ける覚悟を示すため黒曜石の小刀を送っていることから、カヤのアシタカを想う気持ちはただならぬものではないことも分かります
しかし、カヤから渡された小刀をサンに与えていた辺り、途中から心変わりしていたのかもという解釈もできます。この小刀をサンに渡す行為は、アシタカの心がサンに向いていることを象徴的に表現しています。
アシタカの複雑な感情
「私も、また時々、お前に会いに来よう」「ええ。来て来て」みたいな感じで、サンとイチャついてる暇があったら、呪いはもう解けたんだから、生まれ故郷の村に戻って、カヤに会ってやれよ、とという女性ライターの怒りの声も記録されています。
しかし、アシタカには故郷に戻らない理由があります。神殺しの罪を背負い、村を追われた身である彼にとって、もはや過去の世界に戻ることは不可能だったのです。
子孫に関する都市伝説
千と千尋の神隠しとの関連
さらに「サンはその後出産していた」という驚きの都市伝説も存在します。しかもその子孫とは、なんと「千と千尋の神隠し」の千尋だと言うのです。サンとアシタカの子孫こそが、『千と千尋の神隠し』の千尋という説があります。
この都市伝説の根拠として、千尋が湯婆婆と契約を結ぶために、自分の名前を書くシーンです。そこで、千尋は「荻野千尋」と書くべきところを、「荻」の字の「火」の部分を「犬」と書いてしまっていたようなのです。頭の片隅に『もののけ姫』に登場する「山犬」の記憶があったから、無意識に犬と書いてしまったのでは…という考察が展開されています。
専門家による文学的・心理学的分析
宮崎駿の演出意図
アシタカとサンの肉体関係をはっきり描くのは宮崎駿監督作品らしくない。宮崎駿監督は、肉体関係をはっきり描かなくともそれを超えた関係を表現している。肉体関係を描かなくても、結婚、子作り等を表現することができるという専門家の見解があります。
これは宮崎監督の一貫した表現スタイルを示しており、直接的な描写よりも、観客の想像力に委ねることで、より深い感動を生み出そうとする意図が読み取れます。
二人の関係性の象徴的意味
サンとアシタカの関係は、単なる恋愛関係を超えた象徴的な意味を持っています:
- 自然と人間の共存:サン(自然)とアシタカ(人間)の愛は、対立する二つの世界の融和を表現
- 異なる価値観の尊重:お互いを理解しながらも、それぞれの信念を曲げない関係性
- 新しい生き方の提示:従来の「一緒に住む」という常識にとらわれない愛の形
- 相互の成長:二人が出会うことで、それぞれが人間として成長していく過程
別の視点からの考察:本当に必要だったのか?
物語における必然性
一部の批評家からは、二人の肉体関係を暗示する必要があったのかという疑問の声も上がっています。サンの態度が変わったのは洞窟で一夜を過ごした後ではなく、アシタカの「生きろ。そなたは美しい」のセリフの後からですという指摘もあり、関係の変化のタイミングについては議論が分かれています。
精神的な結びつきの重要性
物理的な関係よりも、二人の精神的な結びつきに注目すべきという意見もあります。サンが自然を大切にしていることはもちろんですが、タタラ場の人々も自然を支配しようとしています。どちらも排他的な考えをしている中で、アシタカだけがその間に立っている状態という状況で、サンだけがアシタカの理想を理解し、支えることができる存在だったのです。
まとめ:サンとアシタカの真の関係とは
結論として、サンとアシタカが洞窟で肉体関係を持ったかどうかについては、以下の点が明らかになりました:
- 公式関係者の証言:鈴木敏夫プロデューサーが宮崎駿監督に確認し、監督も認めていたという記録が存在する
- 演出上の暗示:直接的には描かれていないが、多くの暗示的な表現が使われている
- 物語の必然性:二人の関係の深まりを表現する重要な転換点として機能している
- 象徴的意味:単なる恋愛関係を超えた、自然と人間の共存という大きなテーマを表現している
最終的に、サンとアシタカは深く愛し合いながらも、それぞれの世界で生きる道を選びます。これは現代社会においても重要なメッセージを含んでいます。異なる価値観を持つ者同士が、お互いを尊重しながら関係を築いていく——この「共に生きる」という概念は、グローバル化が進む現代において、より一層重要な意味を持っているのではないでしょうか。
サンとアシタカの関係は、単純な恋愛を超えた、新しい時代の愛の形を提示した革新的な表現だったと言えるでしょう。そして、その関係性を示唆する洞窟のシーンは、宮崎駿監督らしい含蓄に富んだ演出の傑作として、今後も多くの人々に愛され、議論され続けることでしょう。