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もののけ姫のエボシ御前とは?正体はタタラ場の支配者か?

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もののけ姫のエボシ御前とは?正体はタタラ場の支配者か?

もののけ姫を語る上で欠かせない人物、エボシ御前。彼女の正体や背景について「もっと詳しく知りたい」「なぜあんなに複雑な魅力を持っているのか」と疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。確かに、表面的に見ただけでは理解しきれない深い設定と物語が隠されています。この記事では、宮崎駿監督が明かした公式設定や裏話も含めて、エボシ御前の全貌を徹底的に解説します。

エボシ御前の正体は「辛苦から抜け出した革命家」

エボシ御前の正体は、「辛苦の過去から抜け出した女」であり、宮崎監督によって「近代人」「革命家」と表現される複雑な人物です。彼女は単なるタタラ場の指導者ではなく、侍の支配から自由な理想の国を作ろうと考える野心家なのです。

タタラ場では身売りされた娘や病人(おそらくハンセン病患者)、その他はみ出し者といった行き場のない社会的弱者を差別することなく保護し、教育と職を与えています。これは彼女自身の過去と深く関係しています。

エボシ御前の年齢設定

エボシ御前の公式年齢設定は不明ですが、29歳という情報が多く、ビジュアルや佇まいから29歳~34歳の間と考えられています。室町時代という設定を考えると、この年齢で一つの共同体を率いるリーダーになることは決して珍しくありませんでした。

エボシ御前の壮絶な過去:倭寇の妻から復讐の女神へ

人身売買されていた過去

エボシ御前は「かつてタタラ場の女性たちと同じように身売りされた」という過去を持っています。海外に売られたエボシ御前は、倭寇の頭目の妻になりました。

倭寇とは13世紀から16世紀にかけて東アジア地域を荒らした海賊集団で、略奪だけでなく密貿易も行っていました。エボシ御前はこの過酷な環境で生き抜くために腕を磨き続けたのです。

頭目殺害と帰国

エボシ御前は頭目の妻になった後、次第に頭角を表し、最終的には夫である頭目を殺して金品と石火矢の技術を手に入れて日本に持ち帰りました。この時に持ち帰った石火矢の技術がタタラ場の主要武器となっているのです。

エボシ御前の経歴 詳細
幼少期 身売りされ海外へ売られる
青年期 倭寇の頭目の妻となる
転機 頭目を殺害し、財宝と技術を奪って帰国
現在 タタラ場の指導者として理想の国作りを目指す

タタラ場におけるエボシ御前の革新的な経営

女人禁制の破綻

本来のタタラ場は屈強な男たちによる女人禁制の製鉄所でしたが、エボシのタタラ場は女性が中心となって活躍しています。これは製鉄の神である金屋子神が女神で女性を嫌うという伝説があったにも関わらず、エボシが迷信を恐れない近代精神の持ち主であることを表しています。

石火矢の独自開発

エボシは明国製の石火矢に満足せず、独自に新型を開発させており、石火矢衆の扱う石火矢とエボシやタタラ場の女性が扱う石火矢はデザインが異なります。エボシの石火矢には肩当てがあり、より実戦的な改良が加えられています。

タタラ製鉄の実態

タタラ製鉄では大量の砂鉄と木炭を必要とし、操業が盛んな時期には1回の操業で砂鉄採取用に1山が削られ、木炭用に1山の木々が伐採されました。これが年に数十回行われていたのですから、自然破壊の規模は想像を絶するものでした。

エボシ御前のモデル:立烏帽子(鈴鹿御前)の伝説

宮崎監督が明かしたモデル

宮崎駿監督は歴史学者・網野善彦氏との対談で、エボシ御前のモデルが「立烏帽子」という絶世の美女であることを明かしています。立烏帽子は「鈴鹿御前」という呼び名でも知られ、三重県の鈴鹿山に棲んでいたとされる女性です。

立烏帽子の伝説との共通点

立烏帽子は「鈴鹿山にあらわれた女の山賊で、大変美しい人」「鈴鹿山の山賊のかしらである悪路王の妻」「天皇の命令で立烏帽子を退治にきた坂上田村麻呂のことが好きになり、悪路王をうちとるときに手を貸した」という伝説があります。

つまり、夫を裏切って正義の側につくという点でエボシ御前と共通しているのです。

立烏帽子の特徴 エボシ御前との共通点
絶世の美女 美しく魅力的な女性
山賊の妻 倭寇の頭目の妻
夫を裏切る 頭目を殺害
改心して正義に協力 弱者を救済する理想を追求

タタラ場の女性たちの実情

番子(ふいご踏み)の仕事

タタラ製鉄では番子と呼ばれる作業者が送風装置を操作しますが、これは男性でも大変な重労働で、1人が1時間踏んで2時間休むという3交代制で行われていました。

エボシ御前のタタラ場では女性がこの重労働を担っており、「男性でもつらい重労働を行っているという自負が、彼女たちをはっきりものを言う性格にしているかもしれません」と指摘されています。

トキをはじめとする女性たちの地位

映画に登場するトキや他の女性たちは、単なる労働者ではなくタタラ場の重要な技術者として描かれています。彼女たちがエボシを「エボシ様」と慕うのは、社会から見捨てられた自分たちを人間として扱ってくれる恩人だからなのです。

エボシ御前が込められた現代的メッセージ

近代合理主義者としての側面

プロデューサーの鈴木敏夫氏は「神を神とも思わぬ近代合理主義者は宿命として死ぬべきだ」と考えていました。しかし宮崎監督はエボシを死なせず、最終的に「みんなはじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう」と言わせました。

革命家としての理想

エボシが作ろうとしていたものは単なる「製鉄所」ではなく彼女の王国でした。侍の支配から自由な、強大な自分の理想の国を作ろうと考えていたのです。

WEB・SNSでの反響と考察

現在、もののけ姫に関するSNSや考察サイトでは、エボシ御前について様々な議論が展開されています。

「『もののけ姫』で今、気になる存在。それはエボシ御前です。」


引用:https://note.com/mamari_contents/n/naf2ff1229db4

このように、大人になってから改めてエボシ御前の複雑さに気づく視聴者が多くいます。子供の頃は単純な「森を壊す悪役」として見ていた彼女が、実は深い背景と思想を持つ魅力的なキャラクターであることが再認識されているのです。

「エボシ御前がずうっと大好きです。そのパッションのままにババンと百合を書いてやるぜ!!需要は私!!!!」


引用:https://dic.pixiv.net/a/エボシ御前

ファンの間では、エボシ御前の持つ強さと優しさ、そして複雑な魅力に惹かれる声が多数上がっています。

「ネット上にはジブリ作品に関するデマ情報もたくさんあります。まずその情報が本当なのかどうか考えて、ワンクッションおいてから拡散したほうが良いかもしれませんね。」


引用:https://ghibli.jpn.org/report/eboshi/

一方で、エボシ御前に関する間違った情報や憶測も多く流れているため、公式設定との区別をしっかりと行う必要があるという指摘もあります。

エボシ御前の思想が現代に問いかけるもの

弱者救済と環境破壊のジレンマ

エボシ御前は社会的弱者を救済する聖女でありながら、同時に自然を破壊する悪役でもあります。この二面性こそが、現代社会が直面している開発と環境保護のジレンマを象徴しているのです。

タタラ場に戻らなかった理由

物語でエボシがアシタカからタタラ場の窮地を知らされてもタタラ場に戻らず、シシ神殺しを優先したのには深い理由があります。彼女にとってシシ神殺しは、単なる朝廷からの命令ではなく、自分の理想を実現するための最重要課題だったのです。

別の視点から見るエボシ御前:製鉄の神として

エボシ御前=製鉄の神説

ファンの間では「エボシ御前こそが『製鉄の神』である」という解釈も存在し、エボシが作り上げたタタラ場は鬼やヤマタノオロチの正体の一つとして考えられている金工師や製鉄集団そのものだという指摘もあります。

アシタカとエボシの対比

「タタラ場がもたらしている弊害を考えれば、エボシもまたアシタカ同様に『鬼』と言うべき存在だった」という考察もあります。つまり、アシタカが右腕に宿した呪いによって「鬼」となったように、エボシもまた別の意味での「鬼」だったのです。

エボシ御前の最期と復活:モロの復讐から新たな始まりへ

右腕を失った意味

物語終盤、エボシはモロの首に右腕を噛みちぎられ隻腕となりますが、デイダラボッチが起こした突風によって生き延びました。この右腕を失うという展開は、彼女の過去の自分からの決別を象徴しています。

「みんなはじめからやり直しだ」の意味

タタラ場に戻ったエボシが発した「みんなはじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう」という言葉は、立烏帽子が田村麻呂と出会って改心したという設定が生かされています。

この時のエボシの表情は、これまでの冷たさを失った晴れやかなものになっており、真の意味での理想の共同体作りへの決意を表しているのです。

まとめ:エボシ御前が体現する人間の複雑さ

エボシ御前は、もののけ姫という作品の中で最も複雑で魅力的なキャラクターの一人です。彼女の正体は、辛苦の過去を乗り越えて理想の国を作ろうとする革命家であり、同時に社会的弱者を救済する聖女でもあります。

宮崎駿監督が立烏帽子(鈴鹿御前)をモデルにしたエボシ御前は、身売りされ倭寇の妻となった過酷な過去から立ち上がり、タタラ場で新たな社会を築こうとしました。彼女の物語は、現代社会における開発と環境保護のジレンマ弱者救済と権力への欲求という普遍的なテーマを含んでいます。

最終的に右腕を失い、「ここをいい村にしよう」と語るエボシの姿は、真の理想を追求する人間の強さを表しています。エボシ御前というキャラクターを通じて、宮崎駿監督は善悪を超えた人間の複雑さと、理想を追求し続けることの意味を私たちに問いかけているのです。

彼女の深い設定と裏話を知ることで、もののけ姫という作品がより一層豊かで奥深いものになることでしょう。エボシ御前は、ただの悪役でも聖女でもなく、現実に生きる私たち全ての人間の縮図なのかもしれません。

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