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もののけ姫の冒頭とは?タタリ神登場の衝撃と物語導入部の真意を徹底解説!

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もののけ姫の冒頭とは?タタリ神登場の衝撃と物語導入部の真意を徹底解説!

もののけ姫の冒頭シーンに、なぜあれほどまでに衝撃的なタタリ神が登場するのか疑問に思ったことはありませんか?あの恐ろしい化け物の正体や、物語の導入部に込められた宮崎駿監督の深い意図について、多くのファンが詳しく知りたがっています。この記事を読めば、もののけ姫の冒頭シーンの全てが理解できるようになります。

もののけ姫冒頭の核心:タタリ神の正体と登場の意味

もののけ姫の冒頭に登場するタタリ神の正体は、シシ神の森に住む巨大な猪神「ナゴの守」です。森に暮らす同胞を束ねる主であったナゴの守は、エボシ御前が率いるタタラ場の人間たちと戦い続けてきましたが、石火矢衆の投入で劣勢となり仲間を失った末、生き残った自身も重傷を負い逃亡することになりました。

タタリ神とは、もののけの神が荒ぶる魂を持って変貌してしまった巨大な怪物です。赤黒いミミズのような大量の触手がうじゃうじゃ蠢く体は、まるで巨大な土蜘蛛のよう。触れるものすべてを死に至らしめ、傷つける者にはアシタカのように呪いを植え付けます。

呪いそのものであるだけに、その精神は憎しみと怒りによって塗りつぶされており、動くだけで足元の植物を枯らし、木々を瞬時に腐らせるなど、無差別に呪いと死をまき散らす厄災と化してしまっています。

物語導入部の巧妙な構造:エミシの村が映し出す世界観

『もののけ姫』の主たる舞台はシシ神の森ですが、物語はこの森からはるか遠くにある小さな村から始まります。冒頭シーンに出てくるこの村は『もののけ姫』の主人公・アシタカの出身の村です。

アシタカは「大和の王朝との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の数少ない若者であり、一族の長となるべく教育を受けている少年」として設定されています。エミシとは、かつて日本で大和政権と呼ばれる朝廷が中央権力を握っていた時代に、今の東北地方に暮らしていた人々のことをいいます。

主人公アシタカの村は縄文の文化を引き継いでおり、ヒイ様などのキャラクターは縄文時代の巫女を連想させます。縄文時代のアニミズム信仰は、万物に魂が宿るとする考え方で、石や草木にも神が宿るとするものです。この自然信仰は、自然を破壊して発展するたたら場とは対照的です。

物見櫓と村の防御システム

冒頭シーンでは、アシタカが物見櫓から森の異変を察知する場面から始まります。作品の登場キャラクター、タタリ神を模したオブジェの近くにはエミシの村にある「物見やぐら」があります。この物見櫓は、外敵の侵入を早期発見するための重要な防御システムとして機能しており、縄文時代から続く集落防衛の知恵が表現されています。

冒頭シーンが示す宮崎駿の制作意図

宮崎監督が描こうとしたのは、『風と谷のナウシカ』では、自然の脅威や人間同士の対立によってすぐさま命が奪われていくような無常の世界を、『もののけ姫』では日本の室町時代を舞台にしながら描き直すことでした。つまり、古い時代の日本もまた、腐海に飲み込まれ、複数の国の軍が進攻し合うナウシカの世界のように、民衆たちにとって生きづらいものだったということです。

「この作品には、時代劇に通常登場する武士、領主、農民はほとんど顔を出さない。姿を見せても脇の脇である。主要な主人公群は、歴史の表舞台には姿を見せない人々や、荒ぶる山の神々である」と宮崎監督は企画書で述べています。

「生きろ」というメッセージの始まり

宮崎駿は「人類がやっていることは本当に正しいのか……という根源的な疑問に真正面から答えないと、元気に希望を持って生きろと言いながら、本当は子供たちの一番聞きたいことに答えていないことになる」と語っています。

冒頭のタタリ神襲撃は、まさにこの「不条理な現実」を象徴しています。アシタカは不条理な形で村を追われました。監督は現代の若者が、自分が悪いわけではないのに傷つけられている、不条理な状態に置かれていると感じており、いわば心の空洞を抱えていると感じていました。

タタリ神が生まれる理由と象徴的意味

タタリ神になるのは、怒りや憎しみという負の感情に囚われ、瀕死の状態になって死を恐れた時です。乙事主自身、一族からタタリ神が出てしまった事を嘆いていましたが、皮肉にも自分自身が、人間への恨みと死への恐怖によって道を踏み外しかけたのです。

「タタリ神」は、もともとは愛情深くて正義感の強いみんなの頼りになる者が、怒りと憎しみに心をとらわれたために変貌した存在として描かれています。最初から攻撃的で破滅的な人というわけではなく、何かのきっかけがあって「タタリ神」の状態になっているということです。

タタリ神の特徴 詳細
外見 赤黒いミミズのような触手が無数に蠢く土蜘蛛状の化け物
能力 触れるだけで植物を枯らし、死の呪いを撒き散らす
精神状態 憎しみと怒りに支配され、理性を完全に失っている
元の姿 森を守る誇り高い猪神「ナゴの守」

アシタカの呪いが示す物語の核心テーマ

アシタカは村を襲ったタタリ神から村を守る際に、タタリ神の触手に右腕をやられ、そこに呪いを焼き付けられています。この呪いは黒いアザとして残り、受けた者の命を蝕んでいくと同時に、削った命と引き換えにその者の潜在能力を強制的に引き出す、まさに「神の毒」と呼べる代物です。

呪いを受けたアシタカは村から追放されており、マゲ(髪の毛)を切り落としているのは、村では人間でなくなったことを意味します。「人」でなくなり追放されたアシタカは二度と村には戻れません。

呪いの二面性:力と死の象徴

この呪いは劇中にて、アシタカが怒りや憎悪、戦意を表した際、彼に超人的な力をもたらしていましたが、その威力はまさに人間が扱うには過ぎた代物でした。野武士との戦闘では矢を射る際に右腕の痣により突如腕の筋肉が波打つように肥大化し、ただの一射で首や腕を吹き飛ばすほどに強化され、それを見た別の野武士はたまらず「鬼だ…」と呟き戦慄しています。

冒頭シーンの演出技法と映像表現

『もののけ姫』では、アナログ的な手法では表現し得ないような複雑な構成のシーンを、複数のスタッフによって描かれた絵をレイヤーとして重ね、個別に緻密なスピード計算をしながら、監督の意図通りに実際にカメラで撮影していくという、各部署の連携が完璧にとれていなければ達成できない職人芸で支えられています。

特に冒頭のタタリ神襲撃シーンは、透明なシートを使ってセル画に直接色をペイントしていくというセルアニメーションの技法を使用した最後のジブリアニメとなった本作の技術の集大成として表現されています。

SNSで話題の冒頭シーンへの反響

4年前に娘が生まれてから「もののけ姫」のブルーレイを買った。娘がタタリ神を恐れなかったので、誇張じゃなく200回くらい観たと思う。1997年公開の作品。すでに26年が経っているにも関わらず、まったく色褪せることなく僕たちにメッセージを投げかけてくれる。

引用:https://note.com/little_shotaro/n/n2ac4fd4e73ac

引用

多くの視聴者が冒頭シーンの恐ろしさと美しさに魅了され続けています。

今作はジブリ映画「もののけ姫」冒頭において、アシタカが村から旅立つ様子を再現したもの。実質的に村を「追放」されたアシタカの心中とは真逆の美しい情景、そして壮大な音楽が流れるこのシーンは、作中においても屈指の名場面のひとつ。

引用:https://otakuma.net/archives/2022092505.html

引用

ファンの間では冒頭のアシタカ旅立ちシーンが特に印象深いものとして語り継がれています。

冒頭のシーンにして早くもこの映画の概要を意味している場面になります、人間対森の神々達という実があるという事をしっかりと把握させてくれます。

引用:https://comic-kingdom.jp/ghibli-nagonomori/

引用

冒頭シーンが物語全体の構造を示唆していることが多くの考察で指摘されています。

物語導入部の深層構造:対立と共生のテーマ

この映画には『対立』が、溢れています。それぞれに正義があり、それぞれに言い分があり、それぞれに意見があり、それぞれに違いがあり、そして、『対立』が生まれる。対立は、必ず生まれてしまう。対立を、どう捉えればいいのか?対立を、どう超えていけば良いのか?

冒頭のタタリ神襲撃は、この複雑な対立構造の発端を示しており、森(自然界)と人間とが調和して生きる道を模索するアシタカの旅路の始まりを告げています。

エミシの文化的背景が示す価値観

東北に関するたくさんの本を読んだ上で私がとらえているエミシの姿というものは、まさにアシタカのような人。強くて、優しくて、器が大きくて、自然を愛し、人を愛し、争いではなく、調和を求める人です。

この価値観が冒頭シーンから一貫して描かれており、物語全体を貫く重要なテーマとなっています。

現代への警鐘:冒頭シーンが投げかける問題

舞台挨拶にて、監督は「損得ではなくて、生きるということ自体にどういう意味があるのかってことを問わなければならない時代がきた」と語っています。「生きる」という行為が以前より安易に捉えられ、どう生きていくかが重視されるようになった現代社会。生きることそのものの尊さや複雑さ、そして不完全さを1人1人が見つめ直さなければならない……。

冒頭のタタリ神襲撃は、まさに現代社会の歪みや環境破壊への警鐘として機能しており、憎悪に心を支配されてしまった人が無関係な人たちに危害を加え、周りの人たちが迷惑をこうむり、けがをさせたり逮捕されたり、自分の地位や尊厳も失墜させてしまう。そんな日常生活でよくある光景とも重ね合わせることができます。

まとめ:冒頭シーンに込められた壮大な物語設計

もののけ姫の冒頭シーンは、単なる物語の導入部ではなく、作品全体のテーマと構造を凝縮した重要な設計図として機能しています。タタリ神となったナゴの守の悲劇は、人間と自然の対立の象徴であり、同時に「生きる」ことの複雑さと尊さを問いかける深いメッセージが込められています。

エミシの村で始まる物語は、縄文時代から続く自然との共生思想と、室町時代の混乱期における価値観の衝突を巧妙に描き出し、現代の私たちにも通じる普遍的なテーマを提示しています。アシタカの呪いと旅立ちは、不条理な現実に直面しながらも「生きろ」という力強いメッセージを体現する象徴的な始まりなのです。

宮崎駿監督が16年の構想と3年の制作期間をかけて作り上げた冒頭シーンには、現代社会への深い洞察と、人類の未来への希望が込められています。このシーンを理解することで、もののけ姫という作品の真の価値と、そこに込められた監督の思いをより深く感じ取ることができるでしょう。

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