「もののけ姫のタタラ場で働く牛飼いって、具体的にどんな人たちなの?」「なぜ牛飼いは下層に住んでいるの?」と疑問に思ったことはありませんか?
実は、タタラ場の牛飼いは室町時代の複雑な身分制度と被差別構造を反映した、非常に深いメッセージを秘めたキャラクターたちなのです。この記事では、もののけ姫の牛飼いについて、歴史的背景から社会的意味まで徹底的に解説します。
もののけ姫の牛飼いの正体と基本情報
牛飼いは、タタラ場で鉄製品や米などの物資を牛に載せて運搬する職業に従事する男性集団です。彼らの中でも特に重要なキャラクターとして「牛飼いの頭(親方)」が登場し、声優は名古屋章が担当しました。
牛飼いたち男衆はタタラ場の中でも下層に住居も仕事場も全ての生活の場を構えており、敵と戦闘になった際は切り捨てて大屋根を含む上層だけを守り抜く構造になっているという厳しい現実があります。
牛飼いの頭(親方)のキャラクター特徴
牛飼いの頭は、見るからに冷静で、とても情に厚くて誠実そうな人物として描かれています。アシタカが胸を撃たれたままで集落を出ようとした時に、「ダンナ、いけねえ、死んじまう!」と叫んだ名シーンは多くのファンの心に残っています。
牛飼いの頭はアシタカの身を案じており、彼を殺そうとした唐傘連を農具で殴ったり、猪神の死体の下敷きとなりながら生き残っていた1頭のモロの子を(エボシの所へ案内してもらうため)救け出すなど、終始アシタカに協力的な態度で接する優しい人物です。
室町時代における牛飼いの社会的地位
「もののけ姫」に登場するのは、蝦夷(えみし)、サンカ、遊女、ハンセン病患者、牛飼い、石火矢衆、そして一般的に身分が低いとされていた製鉄を生業とする人々・・・すなわち「日本における歴史的な被差別者」なのです。
網野史観による牛飼いの位置づけ
タタラ場の女、トキの夫であるコウロクの職業は牛飼い。網野史観でいえば、牛飼いもまた社会のアウトサイダーと言える職業でした。
室町時代の社会において、牛飼いは定住農民とは異なる移動性の高い職業として、主流社会の周縁に位置していました。彼らは:
- 定住せず各地を移動しながら物資を運搬する
- 農業に従事しない「非農民」の身分
- 特殊技能を持つ職人集団の一員
- 社会的には「被差別民」として扱われることもある
タタラ場内での身分格差
作中ではタタラ場内にも明確な階層構造が存在します:
階層 | 居住区域 | 構成員 | 戦闘時の扱い |
---|---|---|---|
上層 | 大屋根周辺 | エボシ、女衆、病者 | 最優先で防御 |
下層 | 谷底部分 | 牛飼い男衆 | 切り捨て対象 |
この構造は、牛飼いたちがタタラ場においても最下層の扱いを受けていることを如実に示しています。
牛飼いの具体的な仕事内容と役割
牛飼いたちは、たたら場で作った鉄を近くの村や積み出し港まで運び、そこで得たお金で米などを買い、山内に持ち帰りました。この仕事は非常に危険で重要な役割でした。
物資運搬の詳細
牛飼いのタタラ場での役目は、牛に荷物をつけて、製鉄や米などの運搬を担っており、山を削った狭い道を牛を引き連れて歩いたり、道中では山犬の襲撃に遭うなど、危険が伴う仕事とされており、牛飼いの中には、物資の運搬中にがけから転落し、命を落とす者も少なくありません。
牛飼いの主な業務:
- 完成した鉄製品の運搬
- 米や食料品の調達・運搬
- その他生活必需品の流通
- 外部との情報交換
- 緊急時の戦闘支援
経済活動における重要性
「てんやでえ。俺達が生命がけで運んだ米を食らってよ。口が腐るぜ」という牛飼いのセリフからも分かるように、彼らの仕事はタタラ場の経済基盤を支える重要な役割でした。
女衆からの反論「その米を買う鉄は誰が作ってんのさ」「あたいたちは夜っぴいてたたらを踏んでるんだ」に対しても、牛飼いなしには外部との経済交流が成り立たない現実がありました。
牛飼いに込められた宮崎駿の社会メッセージ
宮崎駿が選んだ舞台が室町時代の終わりであり、かつ一般的な時代劇が描いてこなかった「歴史の裏にいた人々」が物語の中心だからだ。応仁の乱が勃発すると権威・権力を支配する皇室と幕府が政治的にも財政的にもコントロール失えば、もちろん国は乱れ、下剋上が起こり、名もなき人々がうごめきはじめるのです。
差別構造の描写
気のいい善人の甲六も差別と無縁ではないと、宮崎駿が語っているように、作品では善人とされるキャラクターでさえ差別意識を持つ現実が描かれています。
牛飼いのカシラ(いい人)は元気な女たちを見て「エボシ様は甘やかしすぎだ」と苦々しくつぶやくし、別の牛飼い(いい人)は獅子神退治に行ったエボシについて「エボシ様は奴ら(唐傘連)に踊らされてるんだ!」と吐き捨てる。なんなら「タタラ場に女がいるなんてなぁ。普通は『鉄を穢す』ってそりゃあ嫌がるもんだ」なんて言ったりする。
アシタカとの関係が示すもの
アシタカは日本社会のどの身分・集団にも属さない異分子で異邦人。それ故に彼は社会の差別や偏見から無縁の存在でもある。だから彼はジゴ坊や牛飼い達とも火を囲んで食事をともにし、石火矢衆を体を張って助け、自分の椀で水も飲ませるのです。
ジゴ坊がアシタカを気にかけ、牛飼い達がアシタカを慕うのも、彼の差別と無縁の行動に触れてるからという深い意味があります。
SNS・WEBで話題の牛飼い考察
もののけ姫の↓の人(「牛飼い頭」という名称らしい)は、ジブリ作品の数少ない、まともな男なんだよな。ミュータントのアシタカに対しても終始礼儀を尽くし、唐傘連(からかされん)のやり方に対しても真っ先に反抗した決断力
引用:Twitter
この投稿は、牛飼いの頭の人格的な魅力を的確に表現しています。社会的には下層にいながらも、人として筋を通す姿勢が多くの人の共感を呼んでいます。
『もののけ姫』で一番好感が持てるの牛飼い頭かもしれん。
引用:Twitter
この短いコメントに、牛飼いの頭への純粋な好感が表れています。彼の誠実さが多くの視聴者の心を掴んでいることがわかります。
甲六とおトキ夫婦が大好きです。初めてもののけ姫を見たのは小6で、その時はトキを「なんて冷たいんだ」と思ったけど。そうじゃないんだよなぁとだんだん分かるようになって。きっと甲六がトキを選んだのでは無くて、トキが甲六を選んだんだろうなぁ
引用:ピクシブ百科事典
この考察では、牛飼いである甲六とトキの関係性の深さが語られています。社会的弱者同士の支え合いという側面も読み取れます。
この作品は、何度観てもどうしても、サンやアシタカ寄りの視線で見てしまい、タタラ場の人達を心底好きになることが個人的には難しいんですよね。ですが、この人だけは別。
引用:ナカノ実験室
この感想は、牛飼いの頭の特別な魅力を物語っています。複雑な立場のタタラ場の人々の中でも、彼だけは純粋に応援できるキャラクターとして描かれているのです。
タタラ場の社会構造から見る現代への警鐘
このタタラ場は、エボシが人間社会で居場所のなくなった人々を受け入れている国なのです。彼らは家族や仲間たちではなく個々に流れ着いた人々だと考えると、この場所に子供がいないことも頷けます。
しかし、その「受け入れ」にも階層があり、牛飼いは最下層に位置付けられている現実があります。これは現代社会における格差問題や社会的排除の問題と重なります。
「生きろ」というメッセージの意味
「社会からはみ出して自分に生きる価値がないと感じたとしても、それでも生きろ」と言う力強いメッセージが込められています。
牛飼いたちは、社会の最下層にいながらも、それぞれの役割を果たし、尊厳を持って生きている姿が描かれています。これこそが宮崎駿監督が伝えたかった「生きろ」のメッセージの核心部分なのです。
牛飼いから読み解く「もののけ姫」の深層
シシ神がデイダラボッチの状態で朝日に晒されて昏倒(死亡)し、新たに森に植物を芽吹かせてタタラ場の病人たちの病(おそらくハンセン病)をもまとめて治癒した際の、彼の呟いた「シシ神は花咲かじいさんだったんだ・・・」という言葉や、ジコ坊の「バカには勝てん」という呟きは、人間たちがシシ神の首やシシ神の森を諦めるだけでなく、シシ神と「もののけ」たちへの意識が改まっていくことを示唆しており、タタラ場とシシ神の森の(痛み分けに近いとはいえ)和解と共存をどこか思わせる名言です。
牛飼いの頭の「シシ神は花咲かじいさんだったんだ」という言葉は、自然と人間の共生への理解の芽生えを示しています。社会の底辺にいる彼だからこそ、純粋にシシ神の慈悲を理解できたのかもしれません。
現代社会への示唆
もののけ姫の牛飼いは、現代社会における以下の問題を投影しています:
- 労働格差:同じ共同体内での階層差別
- 社会的排除:主流社会からの疎外
- 尊厳ある労働:底辺労働者の人間性
- 共同体の在り方:多様性を認める社会の構築
宮崎駿監督は、牛飼いというキャラクターを通して、現代の私たちに社会の在り方を問いかけているのです。
まとめ:牛飼いに込められた深い意味
もののけ姫の牛飼いは、単なる脇役ではなく、室町時代の複雑な社会構造と現代に通じる社会問題を象徴する重要なキャラクターです。
彼らは:
- 歴史的な被差別民の代表として描かれている
- タタラ場の経済基盤を支える重要な役割を担っている
- 社会の最下層にいながらも人間的尊厳を保っている
- アシタカとの関係を通じて差別のない社会の可能性を示している
- 現代社会の格差問題への警鐘となっている
牛飼いの頭の誠実さと優しさは、社会的地位に関係なく人間の本質的価値を示すものとして描かれています。宮崎駿監督の「生きろ」というメッセージは、社会のあらゆる階層の人々に向けられており、牛飼いはその重要な担い手なのです。
もののけ姫を観る際は、ぜひ牛飼いたちの存在にも注目してください。彼らの姿から、真の共生社会とは何かを考える深いヒントを得ることができるはずです。