「もののけ姫に出てくる包帯を巻いた人たちは何なの?」「エボシ御前が大切にしている病者って何の病気?」そんな疑問を持ったことはありませんか?実は、もののけ姫には非常にデリケートで重要な社会問題が描かれているのです。
この記事では、宮崎駿監督が「もののけ姫」で描いたハンセン病の表現について、その深い制作意図から歴史的背景まで徹底的に解説します。作品に込められた真のメッセージを理解することで、もののけ姫への理解がさらに深まるはずです。
もののけ姫に描かれたハンセン病患者の描写
宮崎駿監督は2016年の「ハンセン病の歴史を語る人類遺産世界会議」で、「業病と言われた病を患いながら、ちゃんと生きようとした人たちのことを描かなければいけないと思った」と語り、公式にもののけ姫でハンセン病患者を描いたことを明かしました。
作中では、エボシ御前がアシタカを案内した秘密の場所で、全身に包帯を巻いた「病者」と呼ばれる人々が登場します。彼らは「業病」を患っているとエボシ御前が説明していますが、この「業病」こそがハンセン病を指しているのです。
タタラ場における「病者」たちの役割
病者たちはタタラ場の中でも別の小屋に隔離されていましたが、石火矢という武器を作るために手を動かしたり、エボシと談笑する姿は普通の人と全く変わりありません。社会の中でしっかりと自分たちの地位を確立しているのです。
特に印象的なのが「長(おさ)」と呼ばれる重症の男性のセリフです。「生きることは誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」という言葉は、ハンセン病患者の置かれた厳しい状況を表現した重要なメッセージなのです。
宮崎駿監督がハンセン病を描いた理由と制作背景
多磨全生園との出会い
宮崎監督は「もののけ姫」の構想中に行き詰まり、ノートを手に歩き回るうちに多磨全生園にたどり着きました。入所者が植えた桜の巨木の生々しさに圧倒されて、その日は帰宅。後日あらためて資料館を訪問すると、療養所内で使われていた専用通貨などの展示品に衝撃を受けたのです。
以来通う度に「おろそかに生きてはいけない。作品をどう作るか正面からきちんとやらなければ」と痛感し、「無難にせず、『業病(ごうびょう)』と言われたものを患いながらも、ちゃんと生きた人をきちんと描かなくては」と決意したのです。
アシタカの呪いの痣も同様の発想
主人公の少年アシタカが受けたのろいのあざもハンセン病から着想を得たと明かし、「あざはコントロールできない力とむしばんでいくもの、両方を持つ。そういう不合理な運命を主人公に与えた。それはハンセン病と同じ」と語っています。
つまり、もののけ姫では病者たちだけでなく、主人公のアシタカの設定にもハンセン病患者の境遇が反映されているのです。
ハンセン病とは何か – 歴史的背景と現実
ハンセン病の医学的事実
ハンセン病は、らい菌という細菌による感染症ですが、感染力は弱く、感染したとしても発病することは極めてまれで、現在では治療法も確立し、早期発見と適切な治療により後遺症も残りません。
項目 | 詳細 |
---|---|
病原体 | らい菌(Mycobacterium leprae) |
感染力 | 非常に弱い(最も感染力の弱い感染症の一つ) |
発症率 | 感染しても発病はまれ |
現在の治療 | 複数の薬剤により完全治癒可能 |
後遺症 | 早期治療により予防可能 |
日本におけるハンセン病隔離政策の歴史
ハンセン病患者に対する強制収容・隔離政策は、明治40年(1907年)の「癩予防ニ関スル件」から平成8年(1996年)の「らい予防法」の廃止まで約90年も続けられました。
家からハンセン病患者が出れば、家族と引き離されて徹底的に消毒され、それでも、その家族は村八分状態になることがあったようです。そしてハンセン病患者は、隔離施設に入ったら一生家族に会えない、子供を作ることも許されなかったのです。
「業病」という偏見の根源
長い間病気の原因が分からなかったことも、差別を生み出す要因になりました。その昔、癩(らい)病と呼ばれたハンセン病は、「業病」や「天刑病」と呼ばれ、「過去に悪いことをした報い」とか「天が罰している刑」などとされ、差別されてきたという歴史があります。
エボシ御前の行為が持つ歴史的意義
差別に立ち向かった女性リーダー
エボシだけが腐ってしまった身体を拭いてくれたり、包帯を変えてくれた。自分たちを「人」として扱ってくれた、唯一の存在だったのです。エボシは彼らを差別することなく、仕事も与え、人として生きられる社会・環境を作ったのです。
「ここは誰も近寄らぬ私の庭だ」とタタラ場を表現しています。こうした発言からも昔から差別の対象としてやり玉に挙げられてきた「ハンセン病」患者をエボシが受け入れ、人として生きて行けるような場所を作ったと考えられています。
現実のハンセン病患者救済の歴史との類似
鎌倉時代には、律宗の僧叡(えいそん)・忍性(にんしょう)が奈良に集まる「癩者」を救済したとされています。薬師寺の近くには西山光明院が設けられ、薬師寺の保護のもと「癩者」がそこに収容されていたという史実があります。エボシ御前の行為は、こうした歴史上の救済活動と重なる部分があるのです。
現在のハンセン病問題と社会の取り組み
療養所の現状
日本国内の療養所入所者数は、2024年現在710人ですが、ハンセン病が治癒しても障害を負った人々が、施設で暮らしています。療養所に入所している方々のハンセン病は既に全員治っています。しかし、皆さん高齢なうえ、ハンセン病による後遺症としての障がいがあることや、隔離政策によって長きに渡り療養所で生活してきたため社会に生活基盤がほとんどないこと、そして一般社会に未だ根強い偏見が残っていることなどから、社会復帰ができず現在も療養所で暮らしている回復者の方も多くいらっしゃいます。
国際的な差別撤廃への取り組み
日本は、国際社会におけるハンセン病差別問題の解消に向け、国際場裡において主体的に取組を進めています。特に、2008年以降、過去7回にわたり、国連人権理事会に「ハンセン病差別撤廃」決議案を主提案国として提出し、いずれも全会一致で採択されています。
ネットの反響と専門家の評価
「生きることはまことに苦しくつらい・・・。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい・・・。」このセリフがいかに深く、重いか身に沁みます
引用:note.com
もののけ姫のコピーもまさに「生きろ。」なわけだが、その「生きろ。」の前には、いろいろな悲しみ、苦しみ、辛さ、怒り、絶望がある。それでも生きる
引用:アゴラ
宮崎駿監督が1月27日、国立ハンセン病資料館で初めて講演を開き、時折流した涙には、どのような思いが込められていたのか
引用:BuzzFeed
専門家や評論家からは、宮崎駿監督の勇気ある表現について高い評価が寄せられています。特に、エンターテインメント作品でありながら、社会問題を真正面から描いた姿勢が評価されています。
もののけ姫が投げかける現代への問いかけ
「共に生きる」というメッセージ
アシタカは作中の最後にサンに対してこう語る。「共に生きよう。」と。それは、エボシが「業病」とされた人々の腐った肉を洗うときに発される無言のメッセージと重なっているようにも思えるのです。
もののけ姫の根底にあるテーマは、単なる自然保護や環境問題だけでなく、社会的弱者との共生、差別や偏見に立ち向かう人間の強さも含まれているのです。
現代社会への警鐘
平成15年11月に起きた熊本県内のホテルのハンセン病療養所入所者に対する宿泊拒否事件によって、依然として誤った知識や偏見が存在していたことが明らかになりました。このように、現在でも差別や偏見は完全には解決されていません。
ハンセン病に限らず、どのような病気であっても、病気であるということを理由に人を差別してはいけません。そして、ハンセン病問題と同じことを二度と繰り返さないように、ひとりひとりが自分の立場でしっかりと考え、皆が共に生きる仲間として支え合っていくことが大切です。
宮崎駿監督の表現に込められた深い想い
「反応が怖く覚悟が必要だった」発言の意味
「反応が怖く覚悟が必要だったが、(元患者の)みなさんが喜んでくれて肩の荷が下りた」と宮崎監督は語っています。これは、ハンセン病という非常にデリケートな問題を扱うことへの責任の重さを物語っています。
監督は、単なる映画の演出として病者を描いたのではなく、実在するハンセン病患者・元患者の尊厳と名誉回復を真剣に考えていたのです。
作品を通じた社会問題への取り組み
宮崎監督は多磨全生園の人権の森のプロジェクトにも1千万円の寄付を行い、園内の寮の復元のために寄付をしているなど、作品制作だけでなく実際の支援活動も行っています。
宮崎駿監督は「何かの教訓に残ることが大事。病気に生きる苦しさの巨大な記念碑をずっと残していけたらいいんじゃないか」と述べ、施設の保存を訴えたのです。
絵コンテから読み取れる細かな設定
病者の長とされる人物、作中ではアシタカに対しエボシを殺さぬよう懇願する者として登場していましたが、絵コンテを見ると発病するまでは名のある僧だったそうです。
このような細かな設定からも、宮崎監督がいかに丁寧にハンセン病患者の境遇を描こうとしていたかが分かります。身分や地位に関係なく、誰もが患う可能性があった病気であることを表現しているのです。
まとめ – もののけ姫のハンセン病描写が伝える普遍的メッセージ
もののけ姫におけるハンセン病の描写は、単なる歴史的背景の再現ではありません。宮崎駿監督は、差別や偏見に苦しむ人々への共感と、それに立ち向かう人間の尊厳を描いたのです。
エボシ御前が病者たちを受け入れ、人として尊重する姿は、現代社会でも求められる「多様性の受容」「社会的弱者への配慮」を象徴しています。そして、アシタカの「共に生きよう」というメッセージは、現在でも続くハンセン病への偏見解消への願いが込められているのです。
ハンセン病は完全に治る病気になりましたが、偏見や差別は根強く残っています。もののけ姫を通じて描かれたこの問題について理解を深めることは、私たち一人一人が人権について考える重要なきっかけとなるでしょう。
宮崎監督が勇気を持って描いたこの表現は、映画史においても大きな意義を持っています。エンターテインメント作品でありながら、社会の根深い問題に真摯に向き合った姿勢は、今後のクリエイターにとっても重要な指針となっているのです。