「もののけ姫の主題歌を歌った米良美一さんって、死亡したって本当なの?」「何年か前から姿を見かけなくなったけど、今どうしてるの?」
そんな疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか。確かに、一時期米良美一さんの死亡説がネット上で流れ、多くのファンが心配していました。この記事では、米良美一さんの死亡説の真相から現在の活動状況まで、詳しく解説していきます。
米良美一の死亡説は完全にデマ!現在も元気に活動中
結論から申し上げると、米良美一さんの死亡説は完全にデマです。 米良 美一(めら よしかず、1971年5月21日 – )は、日本の声楽家、歌手として、現在も精力的に活動を続けています。
実際に、この秋も相次いでテレビ番組に出演して映画の主題歌「もののけ姫」を歌い、「10月はほぼ休みがない」と多忙な声楽家米良美一さん(52)という報道もあり、2023年時点でも元気に活動されていることが確認できます。
死亡説が流れた真の理由:2015年の生死を彷徨う大病
では、なぜ死亡説が流れたのでしょうか。その背景には、米良美一さんが2015年に経験した深刻な病気がありました。
2014年12月のくも膜下出血発症
昨年12月、鹿児島で行われた講演会から帰京し、翌日の昼頃、都内の自宅でくも膜下出血を発症し、倒れているところをマネージャーが発見したという状況でした。
もし、病気の発見が遅れていたらもう米良美一さんは帰らぬ人となっていたかもしれないというほどで不幸中の幸いだったとのことですというほど深刻な状況だったのです。
続発した水頭症での再手術
さらに困難な状況が続きました。今年に入ってからは水頭症を発症し、1月中旬に再手術を受けることになったのです。
短期間で2度の手術を乗り越え、なんとか病気から生還した米良美一さんによると、自宅で倒れる前は頭痛などはなかったものの記憶が飛んでいるそうですという状態でした。
死亡説拡散の経緯
米良美一さんに死亡説は2016年5月頃に流れたようです。しかし、その後死亡ではないと確認されました。死亡説が流れた原因としては、やはりパタリと姿を見せなくなったからでした。
実際には、そんな死亡説が流れている間に米良美一さんは病気で倒れて入院していましたという状況だったのです。
奇跡の復活:2015年9月のステージ復帰
多くの人が復帰を諦めるような状況でしたが、米良美一さんは驚異的な回復力を見せました。
4月7日、前年末にクモ膜下出血で緊急入院し、1月に水頭症を発症し再手術を行ったことを公表した。3月末に退院、実家でリハビリに取り組み、5月には歌のトレーニングを開始。9月6日に群馬県玉村町文化センターで作曲家宮川彬良と共演する「ふたりの歌謡ショウ」で仕事復帰を果たしました。
「これからもいろんな人を喜ばせる歌を歌えるように、今年の秋からは舞台に立っていきたい」と復帰への意欲を語ったという言葉の通り、見事な復活を遂げたのです。
もののけ姫主題歌誕生秘話と米良美一の運命的な出会い
米良美一さんといえば、やはり「もののけ姫」の主題歌が代表作です。この楽曲の制作背景を詳しく見てみましょう。
宮崎駿監督自ら作詞した主題歌
作詞:宮崎駿、作曲・編曲:久石譲という、まさにジブリの黄金コンビが生み出した名曲でした。
宮崎駿が監督するアニメーション映画『もののけ姫』(スタジオ・ジブリ、徳間書店)のテーマ曲歌唱に起用され、映画のヒットとともに米良の声種であるカウンターテナーが日本で一般に知られるきっかけとなったのです。
久石譲の革新的な音楽制作
「もののけ姫 サウンドトラック」は、久石譲さんのジブリ音楽、そして久石さんの音楽の変遷を考えるうえで、大きな転機・ターニングポイントとなった作品であると評されています。
実は、クラシック演奏を専門とする、プロ・オーケストラを使って、サントラ演奏が収録された久石さんのジブリ音楽は、この『もののけ姫』が初めてで、それ以降のジブリ作品のサントラでは、同様に、クラシックのプロ・オーケストラが演奏を必ず担当するスタイルとなったという記念すべき作品でした。
米良美一の現在の活動状況
病気からの復帰後、米良美一さんは多方面で精力的に活動を続けています。
ラジオ番組での継続的な活動
毎週土曜 午前11時45分~12時00分放送の「米良美一のビューティフルライフ」が宮崎放送で放送されています。
現在、米良美一のラジオ「メラメラらじお」が沖縄・宮崎・岐阜・富山で放送されているなど、複数のラジオ番組に出演中です。
西都市民会館館長としての活動
2021年4月より宮崎県西都市民会館の館長を務めるという新たな役職にも就いています。
継続的なコンサート活動
「もののけ姫の世界が現実に再現され、その中に参加できると思うと楽しみ。自分にとっての夢の国じゃないかと思っています」と、ジブリパークの「もののけの里」オープンについてコメントするなど、現在も積極的にメディアに登場しています。
先天性骨形成不全症との生涯にわたる闘い
米良美一さんの人生を語る上で欠かせないのが、生まれながらの病気との闘いです。
2万人にひとり程度の割合で発症する難病、先天性骨形成不全症を持ち生まれる。身長138.7cmという状況で生まれ、幼いころから骨折を繰り返していたが3、4歳の頃には演歌や民謡を覚え、人前で披露しては喜ばれていた。その快感が原動力となって今に至るという経緯があります。
「今は生活そのものリハビリ。左足に装具をつけサイボーグみたいなものだけど、それでも生きていかないといけない。しかも食べるためだけじゃなく、一生懸命に本分を尽くす」という言葉からも、現在の状況がうかがえます。
SNSや関係者のコメント紹介
本日お写真撮っていただいた米良美一さま素敵な歌声と優しい雰囲気が漂っておりました!ありがとうございました!
このように、現在も多くの人との交流が続いている様子がうかがえます。
「誰かに向かってではなく、目の前にある感謝に向かって歌っています」
25年たったいま、「もののけ姫」を歌う時に内包されているという思いが込められた言葉です。
「脳卒中サバイバー」の一人として啓発活動にも参加している
病気を乗り越えた経験を活かした社会貢献活動も行っています。
米良美一が現在も歌い続ける理由
数々の困難を乗り越えて、なぜ米良美一さんは歌い続けるのでしょうか。
「しかも食べるためだけじゃなく、一生懸命に本分を尽くす」。そんな思いは、25年たったいま、「もののけ姫」を歌う時に内包されているというという言葉に、その答えがあります。
リハビリを通じて感じた「再び立つ喜び」と「感謝」をテーマにした講演は、聴衆の心を深く揺さぶりますとして、現在は講演活動にも力を入れています。
この経験を通して、生きながら生まれ変わる(社会復帰)喜びを伝えることが、現在の米良美一さんの使命となっているのです。
まとめ:死亡説はデマ、米良美一は今も「生きろ」のメッセージを歌い続けている
米良美一さんの死亡説は完全にデマであり、現在も元気に活動を続けています。2015年のくも膜下出血と水頭症という生死に関わる大病を乗り越え、奇跡的な復活を遂げた米良美一さん。
先天性骨形成不全症という難病を抱えながらも、幼い頃から歌への情熱を持ち続け、「もののけ姫」の主題歌で世界的な注目を浴びました。久石譲作曲、宮崎駿作詞のこの名曲は、最高位は13位ながら、40万枚以上を売り上げている大ヒット作品となりました。
現在の米良美一さんは、ラジオ番組への出演、西都市民会館館長としての活動、コンサート活動、そして講演活動と、多方面で精力的に活動を続けています。病気を乗り越えた経験を活かし、「脳卒中サバイバー」として啓発活動にも取り組んでいます。
「もののけ姫」のキャッチコピー「生きろ。」は、まさに米良美一さん自身の人生哲学そのものです。困難を乗り越えて今も歌い続ける米良美一さんの姿は、多くの人に勇気と希望を与え続けているのです。
もし米良美一さんの死亡説を聞いた際は、それは間違いなくデマだと断言できます。天使の歌声と呼ばれる美しいカウンターテナーの歌声は、今も多くの人々の心を癒し続けているのです。