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もののけ姫の女の人の敵とは?エボシ御前の複雑な立場を徹底解説!

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もののけ姫の女の人の敵とは?エボシ御前の複雑な立場を徹底解説!

「もののけ姫」でサンから「森を侵す人間の敵」として憎まれるエボシ御前は、本当に単純な「女の人の敵」なのでしょうか?表面的には森の破壊者として描かれる彼女ですが、実は非常に複雑で深い人物設定を持つキャラクターです。この記事では、エボシ御前の真の姿と、彼女が持つ多面性について詳しく解説していきます。

エボシ御前は本当に「女の人の敵」なのか?

エボシ御前は、山を切り拓く際に猪神ナゴの守に致命傷を負わせてタタリ神に変え、アシタカが死の呪いを受けるきっかけを作った張本人であり、「もののけ姫」サンの視点で物語を見るならば、生まれ育った森と愛する家族を害する明確な敵でもあるのは事実です。劇中で最初にサンのことを「もののけ姫」と表現してタイトルを回収したのはエボシであることからも、彼女がサンにとって最大の対立相手であることが分かります。

しかし、エボシ御前が真に敵対しているのは森の神々であって、女性ではありません。むしろ彼女は、女性たちの最大の保護者なのです。

売られた娘たちを買い取って、本来女人禁制のタタラ場で仕事を与えている。社会からのはみ出し者をも、人として扱う徳を持ち、男どもにも娘たちにも敬われ、かつ慕われているというエボシ御前の実態こそが、彼女の真の姿なのです。

タタラ場における女性の地位とエボシ御前の革命性

本来の「たたら場」は屈強な男たちによる女人禁制の製鉄所です。しかしエボシのたたら場は、むしろ女性が中心となって活躍しています。この事実だけでも、エボシ御前がいかに革命的な存在だったかが理解できます。

エボシ御前のタタラ場の特徴:

  • 身売りされた女性たちを積極的に保護
  • ハンセン病患者などの社会的弱者に仕事を提供
  • 女性が主役の製鉄業という前代未聞のシステム
  • 男女同権社会の実現

自身の経歴もあってか、タタラ場は男性蔑視とは言わずとも女性に重きを置いている、あるいはそうやって男社会を打破するような雰囲気を作っている節があり、エボシを慕う女衆も牛飼いの男衆や地侍に強気だったり、犠牲を冗談半分に揶揄したりするなど、男性優位の時代には稀な男女同権社会を作っていたのです。

エボシ御前の壮絶な過去と女性救済への動機

身売りされた女たちをタタラ場に保護しているエボシ御前ですが、実は彼女自身も海外へその身を売られていたのです。その後中国の倭寇と呼ばれる海賊に買われたエボシ御前は、倭寇の頭目の妻となります。しかし腕を磨いていたエボシ御前は頭目を殺し、財宝と最新の技術を奪って戻ってきたのでした。

この過去こそが、エボシ御前が女性たちの救済に情熱を注ぐ理由です。このように自分が弱い立場に立っていたからこそ、自分と同じような境遇の女性たちを救済する道に進んだのだと考えられます。

田中裕子が演じるエボシ御前の魅力

声優として田中裕子さんは、宮崎駿監督の「もののけ姫」(97)ではエボシ御前の声を担当したことで知られています。自然と敵対してでも文明を守り、人々を幸せにしようと自分の道を進むエボシ御前は、『風の谷のナウシカ』に登場するクシャナの再来。ナウシカよりもクシャナの方が好きといったファンなら絶対に惹かれる存在だ。演じたのは俳優の田中裕子で、快活な演技を声に乗せて聞かせてくれると評価されています。

エボシ御前の田中裕子さんは好評でしたが、田中裕子の演技力によって、エボシ御前の持つ複雑な人間性—優しさと冷徹さ、慈愛と非情さ—が見事に表現されています。

エボシ御前の非情さと合理性

しかし、エボシ御前が完全無欠の善人かというと、そうではありません。その一方で敵対する者には一切容赦せず、目的のためには手段を選ばない冷徹さも備えている。必要とあらばタタラ場の身内を見捨てる即決を下したり、大勢が死ぬのが前提の作戦を立てて戦に臨むといった一面も持つ。タタラ場の人々には優しさと同時に、いざという時は切り捨てる非情さも見せています。

この二面性こそが、エボシ御前を単純な善悪で割り切れない魅力的なキャラクターにしているのです。

SNSやWEBで話題の投稿とファンの声

「もののけ姫」でアシタカは何故カヤの小刀をサンに渡してしまったのか?【もののけ姫】名言、名台詞&英語表現集【もののけ姫】「主人公」としてのアシタカと本音をひた隠す人々

引用:https://www.sifrinsight.com/princess-mononoke-eboshi/

こうした考察記事では、エボシ御前がなぜタタラ場に戻らずシシ神殺しを優先したのかという疑問についても詳しく議論されています。

もののけ姫は、ジブリ映画の中でベスト1、2を争う好きな映画(対抗馬はナウシカ)で、公開当時に映画館で2回観たし、その後も無数に観てるのだが、今日はなんかこれまでと違うところでグッときてしまった。キーマンは2人の女。エボシ御前とトキ。

引用:https://takki-bear.hatenablog.com/entry/20200905/1599238819

ファンからは、エボシ御前とトキという2人の女性キャラクターの関係性に注目する声も多く上がっています。

『もののけ姫』で今、気になる存在。それはエボシ御前(以下、エボシ)です。

引用:https://note.com/mamari_contents/n/naf2ff1229db4

最近では、親世代になったファンがエボシ御前の立場により共感を示すケースも見られます。

「受け取れ!約束の首だ!」と叫ぶその顔は万感の想いというか、もはや悲壮感さえある。エボシは獅子神を殺すことなんて正直なんとも思っていないけど、この首を獲るために彼女がどんだけのものを犠牲にしてきたかというのが思い起こされて、グッと来た。

引用:https://takki-bear.hatenablog.com/entry/20200905/1599238819

このように、エボシ御前の行動の背景にある深い事情を理解するファンも多くいます。

エボシ御前は特別な能力は持っていませんが、非常に合理的な思考で動いています。自然と共に生きるキャラクターたちの中で、唯一自然を支配しようとしている存在。エボシ御前が自然を開拓しようとしたことが、『もののけ姫』の物語の発端となりました。

引用:https://ciatr.jp/topics/313757

エボシ御前の最終的な変化

物語の終盤、シシガミの首を取った後、モロの復讐を受けて片腕を失ったエボシ御前は、ゴンザに抱えられながら瀕死の状態でタタラ場にたどり着きます。しかしこの時すでにタタラ場は、首を取られたシシガミの黒い体液で破壊し尽くされていました。それでもエボシ御前はみんなを前にして、こう語りかけます。この時の彼女の顔は、良い未来を期待できる晴れやかな表情になっていました。

「みんなはじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう」

この言葉には、エボシ御前の成長と変化が込められています。終盤、モロの君に右腕を噛みちぎられたエボシ御前は、生き残ったタタラ場の人たちの前で「みんなはじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう」と発言しいます。この発言は「田村麻呂と出会って改心した」という、立烏帽子の設定が生かされているのかもしれません。

エボシ御前が体現する「近代人」としての意味

宮崎駿によるメモではエボシ御前を「近代人」と表現しています。彼女は侍の支配から逃れた理想の国を作ろうとしており、それを指して「革命家」とも言い表されました。

エボシ御前の行動原理は、まさに近代的な合理主義そのものです。迷信を信じず、科学技術(石火矢)を駆使し、社会制度を変革しようとする姿勢は、確かに「近代人」の特徴を備えています。

宮崎駿監督はエボシを単純な悪役として描きたいわけではないのです。エボシはたたら場の発展のために、森の破壊は必須だと考えているでしょう。その一方で、森の破壊が生み出す悲劇についても理解しています。

まとめ:エボシ御前は「女の人の敵」ではなく「女の人の味方」

結論として、エボシ御前は決して「女の人の敵」ではありません。むしろ彼女は、室町時代という男性優位社会において、女性たちの権利と尊厳を守り抜いた革命的な指導者だったのです。

彼女が「敵」として描かれるのは、あくまで森の神々や自然保護の立場からの視点であり、人間社会、特に社会的弱者の立場から見れば、エボシ御前は間違いなく救世主でした。

エボシ御前は、自然を傷つけて鉄=兵器を作っています。しかしここで働く人たちもまた、人間社会で傷つけられてきた人たちなのです。売られた女を誰であっても引き取って面倒を見ている、エボシ御前。体力的にキツいたたら場の仕事でも「下界よりマシ。お腹いっぱい食べれるし、男がいばらない」と言っていた女たちという状況こそが、エボシ御前の真価を物語っています。

田中裕子の見事な声の演技によって命を吹き込まれたエボシ御前は、単純な勧善懲悪では語りきれない、人間の複雑さと矛盾を体現した、ジブリ作品屈指の魅力的なキャラクターなのです。彼女の物語は、現代社会においても、女性の社会進出や弱者救済という普遍的なテーマとして、私たちに多くのことを考えさせてくれるのです。

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