もののけ姫を何度観ても、シシ神が夜になって巨大な姿へと変貌する場面は、その神秘性と畏怖を感じさせる存在感で強い印象を残しますよね。「あの美しくも恐ろしいデイダラボッチって一体何者なの?」「シシ神との関係は?」「なぜ宮崎駿監督はデイダラボッチという名前を選んだの?」そんな疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、もののけ姫に登場するデイダラボッチの正体と、その背景にある日本古来の神話や伝承について、制作秘話から考察まで徹底的に解説していきます。最後まで読めば、デイダラボッチがもののけ姫という作品において果たしている重要な役割と、そこに込められた宮崎駿監督の深いメッセージを理解できるはずです。
デイダラボッチとシシ神は同一存在
もののけ姫のデイダラボッチは、実はシシ神の夜の姿です。昼間は複数の動物の特徴を併せ持つ神秘的な獣の姿をしているシシ神が、夜になると首が伸びて巨大化し、オーロラや銀河のような肉体を持つ獣頭型の巨神デイダラボッチへと姿を変えるのです。
シシ神とデイダラボッチの対照的な特徴
特徴 | シシ神(昼の姿) | デイダラボッチ(夜の姿) |
---|---|---|
体型 | 四足歩行の獣型 | 二足歩行の巨人型 |
頭部 | 人頭獣身 | 獣頭人身 |
大きさ | 普通の鹿より大きい程度 | 山をも見下ろす巨大さ |
身体 | 有機的な動物の体 | 半透明で宇宙的な体 |
活動時間 | 主に昼間 | 夜間のみ |
この変身は月の満ち欠けと連動しており、デイダラボッチは夜の間森を徘徊し、命を回収しながら森を育て、日の出の前に決まった場所で元の姿に戻ります。しかし、制作陣いわく「夜そのもの」とされる姿のため、この姿で朝日を浴びることはシシ神にとって危険なのです。
日本古来のダイダラボッチ伝説
国造り神話の巨人
デイダラボッチという呼称は、実際に日本各地に巨人の逸話として残っています。例えば、デイダラボッチが近江国(現在の滋賀県)の土を使い山を作ったのが富士山で、掘った跡が琵琶湖になったという伝説が残っています。
ダイダラボッチは、別名・大入道とも言われる巨大な妖怪であり山や湖沼を作ったという伝承が多く、国づくりの神であったとも言われています。各地で、ダイダラボッチが山や湖などを作ったという伝承が多いようなのですが、元は、国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチの伝承を生んだ、とされています。
地域による名称の違い
地域によって「ダイダラボッチ」「だいらぼう」「でいらぼっち」など様々な呼び方があります。これらの伝承に共通するのは、巨大な存在が自然の地形を創造したという国造り神話の要素です。
宮崎駿監督の設定と制作意図
山の下級神としての位置づけ
デイダラボッチ自体は、妖怪のような文脈で語られることもあり、神として祀られるような存在とも少し違いました。そういった背景を投影したのか、宮崎駿著「折り返し点」では、デイダラボッチのことを山の下級の神であると書いています。
これは興味深い設定です。デイダラボッチを凌駕する上級の神は、もしかすると現在まで言い伝えられる神話に登場する神々のことを指しているのかも知れません。つまり、デイダラボッチは神々のヒエラルキーの中で、人間に最も近い位置にいる神として設定されているのです。
森を育てる役割
宮崎駿監督によると、デイダラボッチは「夜の街を徘徊しながら、森を育てている」そうです。宮崎駿監督の著書によると、「シシガミは夜になるとデイダラボッチの姿になり森を育てている」とのこと。
これは単なる破壊者ではなく、自然の循環を司る創造神としての役割を示しています。シシ神は夜デイダラボッチとなり、徘徊しながら山や湖(つまり自然)を育んでいたのではないかな?と。
作品における象徴的意味
生と死の二面性
シシ神は「生と死」を司る自然神で、命の循環を統べる存在として描かれています。昼の姿では個々の生命に直接関わり、夜の姿では森全体、ひいては自然そのものとして機能します。
昼の姿はあらゆる生き物の生命を、夜の姿はすべての自然を表していると考えられます。この二面性こそが、宮崎駿監督が表現したかった自然の本質なのです。
人間への警告
首を落とされたせいで、命を吸い取るだけのデイダラボッチとなったシシ神。森は死に、あらゆる命を吸い取りながら首を探しさまよいます。これは、人間の自然破壊への警告として機能しています。
本来は森を育てるはずのデイダラボッチが、人間の行為によって破壊者へと変貌する様子は、自然と共に生きる森の生き物たちと、現代化し始める人間との衝突を象徴的に表現しています。
世界の神話との類似点
ケルト神話のケルヌンノス
ケルト神話に見られるケルヌンノスは「鹿のパーツを持つ人型の神」であり、デイダラボッチの造形に似ている部分があるとも言える。また、ケルヌンノスも「獣の王」や「生と死を司る神」「豊穣を与え再生を促す神」ともされる。
ギルガメッシュ叙事詩のフンババ
世界最古の叙事詩である『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する神獣のフンババも、「キメラ的な姿や巨人の姿で描写される」「聖なる森の守護者である自然神」「息によって生き物を殺す」「森を狙う人間によって斬首された」などの描写がされており、シシ神に影響を与えたのではないかと推測されることもある。
これらの類似点は、宮崎駿監督が世界の神話から着想を得ながら、普遍的な自然神のイメージを創造したことを示唆しています。
SNSでの話題と考察
ファンの深い考察
「昼の鹿みたいな姿も、よく見れば目は人っぽいし顔の雰囲気はヤギっぽいし、体は毛がありあらゆる動物っぽいし、足は鳥っぽいし…と、たくさんの命を詰め込んだ(合わせた)ように感じます。デイダラボッチは日本で伝承されている『山や湖を創った巨人』だったはず」
引用:https://ameblo.jp/mmyma-u/entry-12610425182.html
この考察は、シシ神が「あらゆる生命の集合体」として設計されていることを鋭く指摘しています。
視覚的インパクトへの反応
「ほんとに何回見ても焦燥感煽る顔だなあ。」
引用:https://soiree-movie.jp/2847/
多くの視聴者が感じる畏怖や恐怖は、意図的に演出されたものです。
自然との共鳴
「絶対シシ神住んでるでしょこれ…?死ぬまでに絶対行く」
引用:https://soiree-movie.jp/2847/
現実の自然の中にシシ神の存在を感じるファンの声は、作品が持つ普遍的な魅力を物語っています。
金曜ロードショーでの反響
「生命の授与と奪取を行う神。新月の時に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す」とされるシシ神。木立の如き角をもつ、ふしぎなけものです。宮崎監督が作品イメージを伝えるために書いた詩の中には「森が生まれた時の記憶とおさな子の心を持つ」という一節があります
引用:https://soiree-movie.jp/2847/
公式アカウントによるこの投稿は、シシ神の本質的な性格を詩的に表現しています。
デイダラボッチの変身メカニズム
月齢との関係
「新月の時に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す」とされているので、シシ神にとっては自分が命を与えたり奪ったりすることが日常であるのと同様に、シシ神自身が死ぬことも日常であるのかもしれない。
この設定は、自然の周期性と生命の循環を表現する重要な要素です。月の満ち欠けは古来より生命の象徴とされており、シシ神の存在意義と直結しています。
変身時の身体的変化
シシ神からデイダラボッチに変わる際には首が伸びて巨大化するが、その際に伸びた首から肉体が透き通り、銀河のような身体を形成していくようになる。
この視覚的変化は、地上の生命から宇宙的な存在への昇華を表現しており、自然の持つ無限の可能性を示しています。
現代への警鐘としてのデイダラボッチ
環境破壊への隠喩
室町時代から生きている生物が確認されたこともある。シシ神とエボシ御前は、立場も動機も異なるがシシ神の森を破壊し、「神殺し」を行ったという点で共通している作品の中で、「神殺し」と原生林の消滅は呼応した概念として描かれています。
復活への希望
しかしその直後、シシ神の暴走で禿げ山になってしまっていた森には再び木々が芽吹き始め、薄らと緑を取り戻していった。このときに、アシタカ達の呪いのアザも消え、タタラ場の病人たちの病気も治っている。
甲六はその様子を見て「シシガミは花咲かじじいだったんだぁ」と言っています。これは、シシガミに集まっていた生命エネルギーがはじけ、森の植物に新しい命を与えたからだと考えられます。
諸星大二郎作品からの影響
視覚的インスピレーション
『もののけ姫』のヒロイン・サンの顔のデザインや、デイダラボッチが森を徘徊する構図などは、諸星大二郎の漫画からインスパイアされたものではないかと囁かれています。そして、諸星大二郎の漫画『孔子暗黒伝』には、開明獣という名前の人の顔を持つ獅子が登場します。
この影響関係は、宮崎駿監督が日本の現代マンガ表現からも積極的にインスピレーションを得ていることを示しています。
デイダラボッチの真の意味
自然の二面性の体現
デイダラボッチは、自然が持つ創造と破壊の両面を体現する存在です。普段は森を育てる慈悲深い神でありながら、危害を加えられると恐ろしい破壊力を発揮する姿は、自然は命を育むことができる反面、災害などで命を奪うこともありますという現実を反映しています。
人間への最後の警告
生命の奪取と授与なんて、まさに神様にしかなしえない業で、畏れ多いものですが、「自分たちが生命をもすべて操れるのだ」という奢りを、人間は改めて反省すべきだというメッセージがあるのかもしれません。
デイダラボッチの存在は、人間が自然に対して持つべき謙虚さと畏敬の念の重要性を説いているのです。
命そのものの象徴
アシタカは「シシ神は死にはしないよ。生命そのものだから。生と死と2つとも持っているもの」と返します。つまりシシ神には一般的な死という概念はなく、死すらもシシ神の一部になっていると考えられます。
まとめ
もののけ姫のデイダラボッチは、シシ神の夜の姿として、日本古来の国造り神話と現代の環境問題を結びつける重要な存在です。森や然を守る比較的人間の身近にいる神様が、実は国づくりもやってのけていて、我々人間はその恩恵を享受しているだけなのだという気づきを与えてくれます。
宮崎駿監督は、このキャラクターを通じて自然への畏敬の念を失った現代人への警鐘を鳴らしつつ、同時に自然の持つ再生力と希望も描きました。結局死んだと思われた森も命を吹き返し新しい森が生まれますという結末は、人間と自然の共存への道筋を示唆しているのです。
デイダラボッチという神秘的な存在は、私たちに「人間もまた自然の一部であり、自然と調和して生きることの大切さ」を教えてくれる、もののけ姫という作品の中核を成すメッセージそのものなのです。この深いテーマこそが、20年以上経った今でも多くの人々に愛され続ける理由なのでしょう。