「もののけ姫のストーリーって結局どんな内容だったっけ?」「あらすじを詳しく知りたいけれど、どこを見ても断片的な情報ばかり…」そんな風に感じているファンの方も多いのではないでしょうか。
1997年に公開されたスタジオジブリの代表作『もののけ姫』は、宮崎駿監督が構想16年・制作3年をかけた渾身の作品で、多層的なストーリー構成と深いメッセージ性で多くの観客を魅了し続けています。この記事では、そんな『もののけ姫』のあらすじとストーリーの全容を、詳細かつ体系的に解説していきます。
物語の舞台設定と時代背景
『もののけ姫』の時代設定は室町時代です。この室町期は混乱と流動が日常の世界であり、南北朝から続く下剋上、バサラの気風、悪行横行、新しい芸術の混沌の中から、今日の日本が形成されていく時代でした。
室町時代という時代背景は、中国で元王朝が滅び、明王朝が誕生した時代と重なります。明王朝が日本との交易を望み、日本には明から様々な物品や思想、文化が流れ込んできました。この変化の激しい時代だからこそ、宮崎駿監督は複雑な人間関係と価値観の対立を描くことができたのです。
物語の核心となる時代性
宮崎駿監督は室町時代について「鎌倉時代は人が主義主張で生きていた壮絶な時代。それが室町時代になると、得なほう、都合のいい方につこうということで動くようになる。そういう意味で室町というのは、ちょっとおもしろい時代だなと思った」と語っています。
この時代選択には深い意図があります。宮崎監督は「日本の映画で日本の歴史が描かれると、いつも都を舞台に、侍や、決まった階級の人間しか出てこないことが、おかしいと思っていました。本当の歴史の主人公たちは、辺境の地や野原に住んで、もっと豊かで、奥深い暮らしをしてきたはず」と述べています。
詳細なあらすじとストーリー展開
第一部:タタリ神の襲来とアシタカの旅立ち
中世(室町時代の頃)の日本が舞台。東と北の間にあると言われるエミシの村に住む少年アシタカは、村を襲ったタタリ神と呼ばれる化け物を退治した際、右腕に死の呪いを受けてしまいます。
物語は、エミシの村での平穏な日常から始まります。アシタカは山の異変を察し、相棒のヤックルに乗って山へ急ぎます。不吉な空気の正体は巨大なタタリ神で、タタリ神はまっすぐ村の方へ向かっていました。
その正体は、何者かに鉛のつぶてを撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大な猪神(ナゴの守)でした。アシタカは村を守るために戦いましたが、その代償として右腕に死の呪いを受けることになります。
呪いの意味と運命
タタリ神から受けた呪いは、やがてアシタカの全身を蝕み、死に至らしめるものでした。村の代表者たちで会合が開かれ、呪いはなぜ起こったのかを調べた結果、その正体は何者かに鉄のつぶてを打ち込まれたことで人を憎むようになった巨大なイノシシの憎しみそのものがアシタカに乗り移ったものでした。
会合の結果、アシタカは呪いを解くため村を出ることになり、懐かしき故郷を捨てて、タタリ神がやって来た西へと向かいます。
第二部:タタラ場での出会いと対立の構図
西への旅路でアシタカは、謎の男「ジコ坊」との出会いを経て、神が住むという深い森がある地に向かう途中の山奥で、瀕死の状態になっていた男を助け彼らの村へ連れて帰ることになります。
その村こそが「タタラ場」でした。鉄を生成させるタタラ場という場所があり、その地を治めているのはエボシという女性で、石火矢と呼ばれる鉄砲を村人に作らせて、山に住むもののけ達や、村の鉄を狙ってくる地侍たちから村を守っていました。
エボシ御前の理想と現実
エボシも売られて倭寇(13世紀~16世紀にかけて朝鮮および中国大陸沿岸に出没した海賊)の妻となっていたという裏設定があり、彼女自身が社会的弱者の立場にいたためか、身売りされた女や病に苦しむ人々、虐げられ行き場のない弱者たちを差別することなくタタラ場に受け入れています。
しかし同時に、エボシは森を切り開き、神々の住処を破壊することで、人間の生活圏を拡大しようとしていました。この矛盾した側面が、物語の複雑さを際立たせています。
第三部:もののけ姫サンとの出会い
その夜、エボシの命を「もののけ姫」が狙いに来ます。その正体はアシタカが川岸で会った、山犬に育てられた人間の娘、サンでした。
人間を憎んでいるサンはアシタカを生かすべきか殺すべきか迷っていました。サンは瀕死のアシタカをシシ神の池へ運びます。シシ神には命を生かす力も奪う力もありました。
「生きろ」という言葉の重み
アシタカは倒れながら「生きろ」とサンに語りかけるも、人を憎むサンは聞く耳を持たず、アシタカを殺そうとします。しかしその時、サンはアシタカから「そなたは美しい」と言われて動揺し、思い留まります。
この「生きろ」という言葉は、作品全体のキャッチコピーでもあり、宮崎監督が最も伝えたかったメッセージの核心部分です。
第四部:シシ神をめぐる最終決戦
物語はやがて、シシ神の首を狙う人間たちと、森を守ろうとする神々との壮絶な戦いへと発展していきます。荒ぶる神々を最も激しく戦っていたのはタタラ者と呼ばれる製鉄集団でした。女の身でタタラ集団を率いるエボシ御前は己が信念で、森を切り拓いていました。
鎮西で暮らす巨大な猪神の乙事主も一族を引き連れ、海を渡ってシシ神の森へやってきます。こうして人間と神々の最終決戦の舞台が整います。
登場人物の詳細設定とキャラクター分析
アシタカ:呪われた英雄の心の軌跡
アシタカは、エミシの英雄・アテルイの子孫という設定です。アテルイは、現在の岩手県に土着していたエミシの統領だと言われており、平安時代初期、征夷大将軍の坂上田村麻呂に敗れ、後に朝廷に騙された討ち取られました。
アシタカたちの服装や考え方、生活の様子などは、まさに縄文時代そのまま。定住して稲作をするのではなく、狩猟と採取で生活するのが縄文時代の特徴です。アシタカたちは、朝廷に従わずに独自の文化を守り続けている、「まつろわぬ民」なのです。
サン(もののけ姫):人間でありながら神々の側に立つ少女
山犬に育てられた15歳の人間の娘で、かつて山を汚した人間が山犬の「モロの君」に生贄として差し出されていました。不気味な土面を付けて巨大な山犬に跨り、タタラ場に何度も襲撃を繰り返します。
服装は縄文時代の人間を彷彿とさせ、大の人間嫌いだが、アシタカだけには心を開いています。最後には「アシタカは好きだが、人間は許せない。」と森で住むことを決めました。
エボシ御前:複雑な魅力を持つリーダー
エボシは単純な悪役ではありません。彼女自身が社会的弱者の立場にいたためか、身売りされた女や病に苦しむ人々、虐げられ行き場のない弱者たちを差別することなくタタラ場に受け入れています。
しかし同時に、森の破壊者でもあるという二面性を持ち、この複雑さが作品に深みを与えています。
物語に込められたメッセージと考察
「生きろ」というキャッチコピーの真意
宮崎監督は舞台挨拶で「損得ではなくて、生きるということ自体にどういう意味があるのかってことを問わなければならない時代がきた」と語っています。
宮崎駿は、子どもたちにエールを送るために映画を作ってきたとしたうえで、エールだけでは済まされない現実があることを指摘し、「人類がやっていることは本当に正しいのか……という根源的な疑問に真正面から答えないと、元気に希望を持って生きろと言いながら、本当は子供たちの一番聞きたいことに答えていないことになる」と述べています。
環境問題への警鐘
『もののけ姫』では古代の日本を舞台に、自然を破壊していく人間たちの営みと、それに抗う森の生き物たちの戦いを描いた作品となっています。人間たちも一概に自然破壊をする存在として描かれるのではありません。
ストーリー全体を通して根底にあるのは「人間と自然」というテーマ。自然に関して多くの問題が浮き上がっている現代だからこそ、見る人の胸を打つ作品と言えるでしょう。
歴史の裏側にいた人々への注目
宮崎駿が選んだ舞台が室町時代の終わりであり、かつ一般的な時代劇が描いてこなかった「歴史の裏にいた人々」が物語の中心だからこそ、多くの考察がなされるのです。
SNSでの反響と現代への影響
もののけ姫に感動した!アシタカとサンの愛の深さ、そしてエボシ御前の複雑なキャラクターが素晴らしい。何度見ても新しい発見がある。
引用:Twitter投稿より
このような感想は、作品の多層的な構造を物語っています。単純な勧善懲悪ではなく、それぞれのキャラクターに正当な理由と背景があることが、多くの視聴者に深い印象を与えているのです。
もののけ姫を大人になってから見直すと、環境問題への意識がまったく違う。当時は単なるファンタジーだと思っていたけど、今見ると現代社会への警鐘だったんだなあ。
引用:映画レビューサイトより
時代を超えて愛され続ける理由の一つが、このような現代性にあります。
シシ神の描写が本当に神秘的。生と死を司る存在として、人間の都合で殺されてしまうのは、現代の自然破壊そのものを象徴している気がする。
引用:アニメファンブログより
制作背景と技術的側面
圧倒的な作画枚数と技術革新
本作の作画に関しては14万枚というスタジオジブリ作品の中でも多い作画枚数を記録する作品であったり、本作がスタジオジブリ作品としても最後のセル画を用いたアニメーション作品だったりと作品制作の視点からも、注目ポイントの多い映画です。
興行的成功と文化的影響
興行収入は201億8000万円で、当時『E.T.』(1982年)を抜いて、日本歴代興行収入第1位を記録しました。アニメの立ち位置を、ただファンが消費するものから、学者や批評家たちが批評するに値する「芸術」へと変える礎を築いた作品として広く認められています。
現代における『もののけ姫』の意義
時代を超えた普遍的テーマ
宮崎監督は「二十一世紀の混沌の時代にむかって、この作品をつくる意味はそこにある」と語っています。実際に21世紀を迎えた現在、環境問題や格差社会、価値観の多様化など、作品で描かれたテーマはますます切実な問題となっています。
多様な解釈を許容する懐の深さ
『もののけ姫』は中世を舞台にしたファンタジーのようにも見えますが、現代を生きる私たちの心に響くテーマをたくさん持った作品なのです。この懐の深さこそが、世代を超えて愛され続ける理由でしょう。
まとめ:物語が提示する生きる意味
『もののけ姫』は、スタジオジブリ作品の中でも独特な雰囲気で人気の作品であり、上映当時には一大ムーブメントとなり、多くの観客が映画館に足を運びました。大ヒットを記録した映画ではありますが、観客に非常に多くの考察と疑問を残す作品でもあります。
『もののけ姫』のあらすじとストーリーは、単なる冒険活劇を超えて、人間と自然の共存、生きることの意味、歴史の中で翻弄される人々の姿を多層的に描いた壮大な叙事詩です。森のことを思って必死に戦うサンや、サンを守るアシタカから、私たちは大切な人のために戦う姿の美しさを感じることができます。
宮崎駿監督が16年の構想期間を経て完成させたこの作品は、観る者それぞれが異なる解釈を見出すことができる奥深さを持っています。それは、作品が提示する問いが、時代を超えた普遍的なものだからこそでしょう。
『もののけ姫』のあらすじを理解することは、単にストーリーを追うことではありません。それは、私たち自身が現代社会でどう生きるべきか、自然とどう向き合うべきか、そして何のために「生きる」のかという根本的な問題と向き合うことなのです。この作品が今もなお多くの人々に愛され、語り継がれ続ける理由は、まさにここにあるのではないでしょうか。