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もののけ姫のモロの首とは?モロの君が首だけで動いた理由を徹底解説!

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もののけ姫のモロの首とは?モロの君が首だけで動いた理由を徹底解説!

『もののけ姫』の数あるシーンの中でも、最も衝撃的で印象深いのが、モロの君が首だけで動いてエボシ御前の腕を噛み切るあのシーンではないでしょうか?死んだはずのモロがなぜ首だけで動くことができたのか、そしてなぜエボシだけを狙ったのか。多くのファンが抱いているこの疑問について、今回は徹底的に解説していきます。

この記事を読むことで、モロの君の首だけでの行動に込められた深い意味や、宮崎駿監督が描こうとした神話的な世界観、そしてもののけ姫のテーマである「生きろ」というメッセージとの関連性まで、全てがクリアになることでしょう。

モロの君が首だけで動いた理由とは?

首だけになってエボシに襲いかかったのは、山犬としての最後の執念といえます。

モロの君が首だけで動いた最大の理由は、エボシ御前への強烈な憎しみと執念にあります。『もののけ姫』モロの君が首だけで動いた理由は、エボシへの強い憎しみや怒りというのが、一番有力な見方でしょう。

エボシへの憎しみの深さ

モロのセリフ「あいつ(エボシ)の頭を噛み砕く瞬間を夢見ながら……」からも察せられる通り、モロのエボシへの憎しみは相当のものだったでしょう。この憎しみは単純な怒りではありません。モロにとってエボシは、シシ神の森を破壊し、自分たち神獣を銃で撃ち、森の平和を脅かす森の破壊者の象徴だったのです。

人知を超えた神の力

「エボシへの憎しみや怒りが強かった」につけ加える感じですが、個人的には「モロの君が、人知を超えた存在だから」だと思っいました。首だけで動くなんて、それこそ妖怪のような恐ろしさですよね。いにしえの犬神であるモロに、人では有り得ないことができても不思議じゃないと思うのです。

モロの君は300歳を超える犬神という超自然的存在です。モロの君はシシガミの森を守る神様で、劇中では「モロ」と呼ばれていま。人間の常識では測れない力を持つ神だからこそ、死後も意識を保ち、首だけでも動くことができたのです。

モロの死因と首だけになった経緯

モロの死因について

死因がわかる直接的な描写はありませんが、もともと寿命が残り僅かだったのだと考えられます。最後にサンを助けるために力を振り絞り、寿命をまっとうしたと考えるのが自然です。

石火矢による鉛玉の毒に侵されて体力が失われていたこと、わずかな体力すら娘のサンを助け出すために使い果たしたことがモロの死因であり、首だけで動いたのは死後だと考えられます。

いつ首だけになったのか

それはハッキリと描かれていません。いつの間にか首だけになっていました。首だけにになる所は残酷なので、あえてそのシーンは描かなかったのでしょう。

宮崎駿監督の絵コンテ集には、「首だけで動くモロ。周りのドロドロなど気にしない。なぜならもう死んでいるのだから。」という記述があり、モロがエボシの腕を噛み切った時点で、すでに死んでいたことが明記されています。

エボシの腕だけを噛み切った理由

本当はエボシを殺そうとした

エボシはタタラバをもっと住みやすい場所にする為、周りの自然を破壊しようとする人間側のリーダーです。モロの君にとってはせめてそのリーダーだけでも最後に倒したかったのでしょう。だからエボシに飛びついて噛み殺そうとした。しかしエボシにギリギリかわされてしまったので、結局腕だけしか噛みちぎれなかった。

「首だけになっても食らいつく」の伏線回収

タタラ場で発したエボシの「首だけになっても喰らいつくのが山犬」という台詞が伏線になっていました。サンがタタラ場に襲撃に来た時、エボシは「首だけになっても食らい付くのが山犬だ」と言っています。その言葉通り、首だけの姿となって食らい付いてきたんです。

この台詞は、山犬の恐ろしさを示すものでしたが、まさにその通りになったという見事な伏線回収でした。

山犬と犬神の神話的背景

ニホンオオカミがモデル

モロのモデルと言われているのは、埼玉県秩父市にある三峰神社で「おいぬさま」として崇められているニホンオオカミです。もののけ姫には、主人公「サン」の育ての親である犬神(山犬)「モロの君」と、その実子2頭が登場します。「犬」とついていることから、何かの犬種がモデルになっていると思っている方もいるかもしれませんが、そもそも山犬とは、動物学上においてニホンオオカミのことを言います。

神の使いとしての位置づけ

東征中のヤマトタケルが現在の三峯神社のある山に登って、イザナギとイザナミの国造りを偲んで創建したと伝えられる三峰神社。その地にヤマトタケルを導いたのが、オオカミだったそうです。

よってもののけ姫の中で、山犬が単なる「犬」ではなく、森の神の一員として存在するのも納得ではないでしょうか。

SNSや専門家の見解

ここで、モロの首だけの行動について、SNSや専門サイトでどのような議論がなされているかを見てみましょう。

あと、このシーンのエボシ様。たった一言の台詞にグッとくる。声優さんの深く静かな表現が素晴らしいとずっと思ってる。「モロめ、首だけで動きよった」何度観ても飽きないわ、もののけ姫。

引用:https://twitter.com/yowoko_saku/status/1055831056456728576

この投稿は、エボシの声優である田中裕子さんの演技の素晴らしさを指摘しています。「モロめ、首だけで動きよった」というセリフからは、エボシの驚きと同時に、山犬の恐ろしさを改めて認識した感情が表れています。

『もののけ姫』よりモロの最期。瀕死の状態でも乙事主からサンを救い出す姿はかっこよかった。その後シシ神の前で力尽きるんだよな。明確な死はエボシを腕を喰いちぎった後だが。

引用:https://twitter.com/saikiikiridori/status/1468141854727491584

この考察では、モロの死のタイミングについて詳しく分析されています。サンを救った時点ではまだ生きていて、エボシの腕を噛み切った後に本当の意味で死んだという解釈です。

『もののけ姫』を観劇。駿監督がモロ役の美輪明宏さんに「その演技は違う。乙事主とモロの君はね、昔、恋仲だったんですよ」と言っていたのを思い出しながら観ると、モロが凄くツンデレに思えて目が啓かれました

引用:https://twitter.com/UshinYokohama/status/1277608516127014912

宮崎駿監督のアフレコ時の裏設定について言及した投稿です。モロと乙事主の関係性が、モロの行動にも影響を与えていたという興味深い視点です。

『もののけ姫』に登場するモロや、大猪、乙事主、猩猩たちは、口の動きとセリフが合っていませんが、これは宮崎駿監督の意向によるものです。人の言葉で喋っていないという、演出上の狙いがあるものと思われます。

引用:https://twitter.com/ghibli_world/status/1426186582935134209

モロたち神獣の話し方について、監督の演出意図を解説した投稿です。彼らが人間とは異なる存在であることを示すための重要な演出だったことがわかります。

モロめ!首だけで動きよった、、

引用:https://twitter.com/mokomoko_2015/status/844168166419988480

雪像でモロを作った投稿者の作品です。ファンの間でこのシーンがいかに印象的であるかを物語っています。

別の視点から見たモロの首だけ行動

宮崎駿監督の制作意図

もののけ姫の制作段階において、宮崎駿監督は山犬のキャラクターを、「自然の側に寄り添う正義の存在だけにしたくない」と考えていました。自然は凶暴さや残忍さを持っていますが、同時に優しさも持っています。そのため、シシ神の森を守っている山犬一族は、そのような複雑で奥深さを持っている存在にしたかったそうです。

モロの首だけでの行動は、自然の「残忍さ」と「執念深さ」を象徴していると同時に、森を守る母としての最後の意地でもありました。

エボシが生き残った意味

宮崎監督も、一度はエボシ御前を殺すことを決め、彼女が死んでしまう絵コンテを描き上げました。しかし、宮崎監督は、エボシ御前に対して深い思い入れを持っていたようです。

腕をもがれ瀕死状態だったエボシが生き残れたのは、デイダラボッチが起こした突風が理由だと考えられます。エボシが生き残ったのは、彼女が「生きろ」というテーマを体現する存在だったからです。

モロの首に込められた深いメッセージ

母性と執念の象徴

サンを自分の娘として育ててきたたモロですが、サンが山犬でもなく人間でもない存在であることに苦悩している様子。アシタカには「サンは我が一族の娘、森と生き、森が死ぬときはともに亡びる」と断言するモロ。しかしサンには、「あの若者(アシタカ)と生きる道もあるのだが」と漏らすあたりに、彼女が抱えているジレンマが感じられました。

モロの最後の行動は、単なる復讐ではありません。森の母として、娘であるサンの未来を守りたいという母性の現れでもあったのです。

神話的な生と死の境界

また、モロの君の首だけでも動いた理由についても山犬であるが故の本能と、森を壊した人間への恨みが大きく、首だけになっても動いていたのだと解釈されます。

もののけ姫の世界では、生と死の境界が曖昧です。シシ神が生と死を司り、タタリ神となった獣たちが死後も動き回るように、モロの首だけでの行動も、この世界観の一部として描かれています。

まとめ

『もののけ姫』におけるモロの首だけでの行動は、単なるショッキングなシーンではありません。そこには、エボシへの深い憎しみ、森の守護神としての執念、母としての愛情、そして人知を超えた神の力が全て込められています。

彼女の死因には、寿命、エボシから受けた石火矢、そしてサンを助けるために最後の力を振り絞ったこと等が挙げられます。特に石火矢による鉛玉の毒に侵されて体力を失い、わずかな体力すら娘のサンを助け出すために使い果たしたことが感動的な場面として表現されています。首だけで動くのは死後のことであるとされており、その描写は視聴者に強い印象を残します。

このシーンは、宮崎駿監督が描こうとした「自然と人間の共存の難しさ」「生きることの意味」「母性の強さ」といったテーマが凝縮された、まさに『もののけ姫』を代表するシーンといえるでしょう。

モロの首だけでの最後の行動を通して、私たちは自然への敬意、命の尊さ、そして生き抜くことの大切さを改めて考えさせられるのです。

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