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もののけ姫の山の神とは?シシ神と森の神々の真実を解説!

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もののけ姫の山の神とは?シシ神と森の神々の真実を解説!

「もののけ姫を観るたびに、シシ神や森の神々について深く知りたくなる」「山の神として描かれているキャラクターたちの背景や意味をもっと理解したい」そんな想いを持つファンは多いのではないでしょうか。

宮崎駿監督が16年もの歳月をかけて構想を練った「もののけ姫」には、単なる森の守護神を超えた深い意味を持つ山の神たちが登場します。この記事では、シシ神をはじめとする森の神々の正体から、作品に込められた宮崎駿の真のメッセージまで、徹底的に解説していきます。

もののけ姫における山の神の正体とは

『もののけ姫』の物語の鍵を握る存在で、無数の動物の様態を持つ「生と死」の自然神であるシシ神は、本作に登場する他の山の神々と異なり、神話上の神に相応しい摩訶不思議な能力を持っている存在として描かれています。

もののけ姫に登場する「山の神」は、一般的に以下の存在を指します:

  • シシ神(森の主神):生と死を司る最上位の自然神
  • モロの君(山犬神):森を守護する白い山犬の神
  • 乙事主(猪神):猪族を束ねる一族の長
  • 猩々(猿神):森に住む猿の神々

これらの神々は、日本国には「畏れ」という考え方が古来より存在している。畏れとは、人間にはどうすることもできないもの、天災、災害、理解できないものに対して恐怖を感じたり、おそれることをいうという日本古来の自然観を体現した存在として設定されています。

シシ神が持つ特別な力の意味

シシ神は生と死を操る神であり、対象の傷や病気や呪いを癒したりする一方で、シシ神の体液に触れたそばから呪いのアザができ、無差別に命を吸い取るという二面性を持っています。

この力は単なる魔法的な能力ではなく、自然そのものの摂理を表現したものです。宮崎駿監督は屋久島での体験について、人の手が入らずに残されている森では、巨木が倒れ、朽ちていく過程でまた新たな生命が育まれている光景を目にすることができる。その光景を見ているとどこまでが「死」で、どこまでが「生」なのかわからないと語っており、この自然観がシシ神のキャラクター設定に直接反映されています。

森の神々が象徴する対立構造の深層

この映画には『対立』が、溢れている。『森』の中にも、対立が描かれています。【山犬・イノシシ・猩々(しょうじょう)】それぞれ『森の神々』という設定ですが、それぞれ主張や立場が違い、森の中でも、対立構造がありますよね

この対立は、現実世界における環境問題の複雑さを反映したものです。森の神々同士でも意見が分かれる様子は、環境保護において「正解」が一つではないことを示唆しています。

各神々の立場と特徴

神の名前 種族 立場 特徴
シシ神 鹿神 中立・自然の摂理 生と死を司る最高位の神
モロの君 山犬神 森の守護・人間への憎悪 慈悲と凶暴性を併せ持つ
乙事主 猪神 積極的な人間排除 一族を率いて戦闘を指揮
猩々 猿神 森の再生への執着 夜な夜な木を植え続ける

シシ神の正体に隠された日本神話のモチーフ

シシ神の風貌は、その通り、鹿がモデルになっています。宮崎駿監督は神道では鹿が神の使い「神使」と考えられているため、宮崎監督の中で結びついたのではないかと思われます。古事記に登場する、天迦久神(あめのかくのかみ)が鹿の神さまだそうです

この設定には深い意味が込められています。現代でも春日大社、鹿島神宮、厳島神社では鹿が神の使いとして大切に飼われており、日本人の心の奥深くに根ざした自然崇拝の伝統を表現しているのです。

シシ神の名前の語源と意味

この「シシ」という言葉は、しし【獣・猪・鹿】(肉の意より転じて)①けもの・野獣。特に、食肉のために捕獲する「いのしし(猪)」「かのしし(鹿)」をいうという古い日本語の表現です。

「シシ神」という名称は、食肉として人間に狩られる運命にある獣たちと同様に、「シシ神」という存在によって象徴されていることを示しており、人間の都合で命を奪われる自然の象徴として機能しています。

山の神に込められた環境思想とメッセージ

宮崎駿監督は、山の神たちを通じて現代社会への強いメッセージを込めました。宮崎駿監督は、もののけ姫という作品を通じて「生と死を分けている限り、この世から争いも憎しみも無くならない」ということを伝えているのではないかと思う

自然破壊の歴史的背景

『もののけ姫』の事件が発生した室町時代には、本来の意味での原生林は既に日本から消えていたとされ、宮崎駿も「神話やファンタジーの世界が残っていた最後の時代」としている。つまり、「神殺し」と原生の消滅は呼応した概念とも言えるだろう

この設定は、現代の環境問題と直結しています。古代の日本では、森は神が宿る場所。神社に「鎮守の森」があるのはその名残りです。しかし、人間が力を持つにしたがって、森は神の所有物から人間の「資源」に・・・特に、多くの木を必要とする製鉄は、森を破壊してきました

最終的な森の再生に込められた希望と警告

作品のクライマックスでは、森が再生する様子が描かれますが、これには複雑なメッセージが込められています。

「森の再生」という希望を予感させる描写の結末ではあるが、最後のサンとアシタカの会話でのサンの「よみがえってもここはもうシシ神の森じゃない。シシ神さまは死んでしまった」という台詞にあるように、喪われた自然は二度と同じ姿には戻らないというメッセージもまた示唆されている

宮崎監督の言葉によると、「蘇った森はもうかつてのような神や精霊が棲む神聖で恐ろしい森(原生自然)じゃない。人の手が入った明るく無害なただそれだけの森(里山)」だということです。

共生の可能性を示すアシタカの言葉

「シシ神は死なないよ。生命そのものだから。生と死とともに持っているもの」これは森とは何か?の問答ですというアシタカの最後のセリフには、監督の環境思想の核心が表現されています。

人間だけがいればいいというものではない、森だけがあればいいというものでもない。既に両者が存在しているのであれば、手を取り合って進んでいけ、最後のアシタカとサンの在り方がシシ神が伝えたかったことである

SNSで話題の山の神考察

現在、多くのファンがもののけ姫の山の神について考察を深めています。

「シシ神は生も死をも与えるという情報を、足元の草木を咲かせて枯れさせるという描写だけで表現するのすごいよな…」


引用:X(旧Twitter)

シシ神の表現力の巧みさに感銘を受けるファンも多く、宮崎駿監督の演出力の高さが伺えます。

「もののけ姫を観た後に屋久島行ったら、自然の見方が完全に変わった。本当に森に神様がいると思える」


引用:Note

映画鑑賞後に聖地巡礼を行った方々からは、自然に対する畏敬の念や環境保護への意識が高まったという声も多く聞かれます。

「アシタカ『シシ神よ―― 首をお返しする 鎮(しず)まりたまえ!』このシーンは何度見ても鳥肌が立つ」


引用:金曜ロードショー公式

この公式アカウントの投稿からも、首を返すシーンが作品の最も重要な場面として位置づけられていることが分かります。

現代への警鐘としての山の神の意味

山の神たちが示すのは、人間と自然の関係における根本的な問題です。『もののけ姫』の中では、さらに『生と死』という、対立も描かれています。シシ神は、「生と死を司る神」として、描かれています

この対立構造は現代社会の環境問題にも直結しており、もののけ姫の中で、あらゆる対立が溢れ返っていたように、我々の人生の中でも、あらゆる対立が、溢れかえっていますという状況を描いています。

まとめ

もののけ姫の山の神・シシ神・森の神々は、単なる物語上のキャラクターを超えた深い意味を持つ存在です。宮崎駿監督は、これらの神々を通じて以下のメッセージを伝えています:

  • 自然への畏敬の念:古来からの日本人の自然観を呼び覚ます
  • 生と死の一体性:対立を超えた生命観の重要性
  • 共生の可能性:人間と自然の新たな関係性の模索
  • 失われたものへの警鐘:一度失った自然は二度と戻らない現実

現代の環境問題が深刻化する中で、シシ神をはじめとする山の神たちの存在は、単なるファンタジーを超えた現実的なメッセージとして、私たちに語りかけ続けています。自然との共生、命の循環への理解、そして生と死を一体として捉える東洋的な生命観——これらすべてが山の神という存在に込められているのです。

もののけ姫を観るたび、シシ神の歩む足元から生まれては消える草花のように、私たちもまた大いなる生命の循環の一部であることを思い出すのです。そして、その神秘的で美しい映像の向こうに、宮崎駿の深い洞察と人類への愛が込められていることを、改めて感じ取ることができるでしょう。

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