千と千尋の神隠し:千尋の両親はなぜ豚になった?その時の千尋の感情も考察!

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映画の冒頭で、千尋と一緒に油屋のある世界へと迷い込んだ両親。
この時両親はなんと豚にされてしまい、千尋は両親のためにも油屋で働くことになります。
人間が豚にされてしまうというインパクトの強いシーンですから、覚えている人も多いのではないでしょうか。

この記事ではどうして千尋の両親が豚になってしまったのか、そしてその時の千尋はどんな気持ちだったのかを考察していきます。

お父さんとお母さんはなぜ豚になった?

千尋の両親が豚になってしまった理由。
それは疲れを癒すために、油屋へと訪れる神様たちをもてなすために用意されていた料理を食べてしまったからです。

両親は用意されていたたくさんの料理を前に、店の人がいなくても後でお金を払えばいいからと許可も得ずに食べてしまいました。
非常に美味しそうな料理だったので気持ちはわからなくもないですが、やはり料理を勝手に食べてしまうのはダメですよね。

油屋の主人である湯婆婆も、料理を食べてしまった両親のことを「お客様の食べ物を豚のように食い散らして」と言っています。
確かに用意されている料理を勝手にどんどん食べてしまう両親の様子は、豚と表現されても仕方ないように思えます。
そして湯婆婆は、両親が豚になったことを当然の報いとも言っています。

両親のしたことは、いわば神様への供え物を盗んだようなものですから、罰があたったということなのでしょう。
実際、両親とは違い料理を食べなかった千尋は豚にされることはありませんでした。

神様のために用意された料理を、自分の欲望に従って食べてしまった。
これこそ、両親が豚にされてしまった理由なのです。

両親が豚になるシーンを見た時の千尋の感情は?

料理を食べ始めた両親に対して、千尋は自分はいらないと言ってあたりを散策することにしました。
そしてだんだんと日が暮れるに従って、不気味な雰囲気を感じ取って両親のところへと戻ります。
そして千尋は、自分の両親が豚になってしまったのを見てしまいます。

まだ10歳と幼い千尋が、自分の保護者である両親が豚になってしまったのを見た時の感情は、どんなものだったのでしょう。
ただでさえ千尋は、油屋のある世界へと続くトンネルを潜ることに乗り気ではなく、両親に帰ろうと言っています。

それでも先に行ってしまった両親に、心細いからと一緒についてきたのです。
そんな千尋が、周囲の不気味さを感じて守ってくれるはずの両親を頼ったら、言葉すら話せない豚になってしまった。

まだ幼い千尋は、わけのわからない状況への恐怖と、両親に頼れなくなってしまった心細さを感じていたのではないでしょうか。
誰だって知らない場所で一人きりになってしまえば、心細さと怖さを感じますよね。

子供の千尋なら、なおさらそういった感情を感じていたと考えられます。

もし人間に戻れなかったらどうなっていた?

千尋の両親は、映画の最後で人間に戻ることができ、千尋と一緒に元の世界へと帰っていきます。
これは銭婆のもとから帰ってきた千尋が、たくさんの豚の中から千尋の両親を見つけるという、湯婆婆の謎かけに正解できたおかげです。

油屋で働いたことや、銭婆のところでの経験から、千尋は序盤に比べて精神的に大きく成長することができました。
そのおかげで湯婆婆の謎かけに正解することができたわけですが、もしここで正解できず、人間に戻れなかったらどうなっていたのでしょう。

考えられるのは、やはり豚として料理の材料にされてしまうという結末です。
神様のために用意された料理を食べてしまい、豚になったわけですから、その償いとして自分の身を差し出させるというのは、ある意味自然なことに思えます。

もしくは千尋を油屋で働かせ続けるための人質として、湯婆婆に利用されていたかもしれません。
どちらにしても、千尋と両親にとってあまり喜ばしい結末ではないと予想できます。

そして千尋はハクのように本当の名前を忘れさせられ、油屋で働き続けることになってしまったのではないでしょうか。

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