千と千尋の神隠し:罰で豚になった千尋のお父さん!監督の考えまで調べてみた!

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千と千尋の神隠しといえば、冒頭で千尋の両親が豚になってしまうというショッキングなシーンがあったのを覚えている人は多いでしょう。
豚になってしまったお父さんですが、映画の最後では千尋のおかげで元の姿に戻ることができました。
しかし、なぜ豚の姿になってしまったのか謎に思っている人も少なくないのではないでしょうか。

この記事では千尋の両親がなぜ豚になってしまったのか。
そしてそこには宮崎駿監督のどのような考えがあったのか、それぞれ考察して紹介していきます。

なぜ千尋のお父さんとお母さんは豚になったのか?

千尋のお父さんとお母さんは、なぜ豚になったのか。
結論から言ってしまうと、両親は神様たちのために用意されていた料理を食べた罰で豚にされてしまったのです。

これは劇中でも明言されていて、湯婆婆が神様たちのために用意した料理を食べてしまった両親を非難し、当然の報いと言っています。
油屋は日頃の疲れを癒すために神様がやってくる場所。
当然、用意されている食事はすべて神様に食べて貰うため、用意されたものでした。

千尋の両親はお店に人がいないのに、料理を見て我慢できず勝手に食べ始めてしまいます。
しかも、後からお金を払えばいいだろうと、なかなか自分勝手なことを言いながら。
神様のために用意されていた料理、いわば供え物を盗んで食べてしまったようなものですから、当然罰が当たったわけですね。

ここで注目したいのは、両親は自分たちの姿が豚になっているのにも気付かず、夢中で料理を食べていたという点です。
素直に考えるなら神様が食べるのだから、とても美味しい食事だったのが原因のように思えます。
しかし、もしかするとこれは油屋のある世界へ訪れた人間を陥れる罠というふうにも考えられます。

勝手に料理を食べた人間を豚にして、新しい食材にしてしまう。
そんな恐ろしい罠に、両親はまんまと引っ掛かってしまった。そういうふうにも考えられるのではないでしょうか。

なぜ神様への罰が豚になることなのか?

次に疑問となってくるのが、どうして罰が当たって変えられる姿が豚なのかということです。
仮に食材にするとしても、他にいろいろな動物があるように思えます。
その中からあえて豚になった理由は、なんなのでしょうか。

これについてヒントとなるのが、劇中の湯婆婆のセリフです。
湯婆婆は「お客様の食べ物を豚のように食い散らして」と、両親のことを非難しています。
たしかに夢中になって料理をむさぼる両親の姿は、豚のようだと言われると妙に納得してしまいます。

そしてもうひとつ考えられる理由が、神話などにある違う世界の食べ物を食べてしまうと、元の世界に戻れなくなるというエピソードにちなんだのではないかという理由です。
人間の世界とは違う世界、つまり神様たちのいる世界に迷い込んだ両親が、その世界の料理を食べてしまった。
だから、元の世界に絶対に戻れないよう豚にされてしまったのではないでしょうか。

人間という捕食者から、豚という被捕食者の姿になってしまうのも、元の世界には戻れないということを暗示しているように思えます。

欲に溺れて食事に夢中になり、神様の食事を豚のように食べてしまった両親。
その罰として、そして元の世界に戻れないことを暗示するために、豚の姿にされてしまったのではないでしょうか。

宮崎監督は何を考えていたのか考察!

千と千尋の神隠しの監督である宮崎駿監督は、両親が豚になってしまうというインパクトのあるシーンを、どのような考えで作ったのでしょう。
ここからは、宮崎駿監督がこのシーンを作る際に、何を考えていたのかを考察してみます。

豚というのは、実は富の象徴として描かれることがあります。
豚は雑食であり食べただけ肥え太るため、富の象徴とされやすい動物なのです。
ですが、いざとなれば食材として食べられてしまう立場でもあり、富の象徴と同時に被捕食者でもあるわけです。

宮崎監督はそんな豚の雑食性を、よく確かめもせずそこにあった料理を勝手気ままに食べてしまった両親に見立てていたのではないでしょうか。
富を無差別に貪っていると、いつの間にか人ではなく豚という被捕食者に成り下がってしまう。
そんなことを宮崎監督は考えていたのかもしれません。

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