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もののけ姫のシシ神とは?森の神が持つ生死を司る力の秘密を徹底解説!

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もののけ姫のシシ神とは?森の神が持つ生死を司る力の秘密を徹底解説!

もののけ姫に登場するシシ神について「なぜこの神は生死を司る力を持つのか?」「森の神とは一体何者なのか?」と疑問に思ったことはありませんか?宮崎駿監督が16年の構想を費やした壮大な物語の核心に位置するシシ神は、単なる森の守護神以上の深い意味を持つ存在です。この記事では、シシ神の正体から神話的背景、そして作品に込められた宮崎駿のメッセージまで、徹底的に解説していきます。

シシ神の正体:生命そのものの化身

『もののけ姫』の物語の鍵を握る存在で、無数の動物の様態を持つ「生と死」の自然神であるシシ神は、作品の中で最も重要かつ神秘的な存在として描かれています。

外見に込められた象徴性

シシ神の特異な外見は、偶然の産物ではありません。一見すると、大きなシカのような姿をしているが、顔つきはサルを思わせる赤ら顔で、どこか人面にも似ている。しかし、耳はヤギ、目鼻は猫のようで、目の下から頬にかけて青い紋様が入っているのも特徴という複合的な造形は、「森のすべての動物を内包する存在」としての意味を持っています。

人間のような顔に、猫のような鼻とヤギのような耳。そして猪のような胴体に、カモシカのような体毛を持っています。さらに犬のような尻尾と鳥のような足と、それらの特徴を持ち合わせていることで、シシ神を異質な存在に感じさせているのです。

生と死を操る神秘的な力

シシ神が持つ最も重要な能力は、生命の授与と剥奪です。シシ神は生と死を操る神であり、対象の傷や病気や呪いを癒したりする一方で、シシ神の体液に触れたそばから呪いのアザができたり、無差別に命を吸い取るなど大量殺戮をすることもあるという二面性を持っています。

劇中で最も印象的なのは、アシタカが石火矢に倒れ、死地をさまよっている際に、シシ神に傷を癒やされた時に見た夢の中。シシ神がその足を一歩進めるたびに、大地から草木が生まれ、また死んでいくシーンでしょう。この映像は、自然界の命の循環そのものを表現しています。

神道と日本神話におけるシシ神のルーツ

鹿と神性の結びつき

シシ神のモデルとなった鹿は、古来より神道において特別な意味を持つ動物でした。宮崎駿監督が、『もののけ姫』の構想を練っている時期に、鹿を見ていて、森の神さまは鹿をモチーフにすることに決めたと言いますが、この選択には深い理由があります。

神道では鹿が神の使い「神使」と考えられているため、宮崎監督の中で結びついたのではないかと思われます。古事記に登場する、天迦久神(あめのかくのかみ)が鹿の神さまだそうです。現代でも、春日大社・鹿島神宮・厳島神社では、鹿が神の使いとして、敷地内で飼われています。

「シシ」という名前の意味

シシ神の正体(昼の姿)は「シカ」です。漢字で書くと分かり易いです。ついつい僕たちは「獅子」と変換してしまいがちになるのですが、ここでのシシは「鹿」です。これは宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」でも使われる古い日本語の表現です。

興味深いことに、「シシ」という言葉には獣肉を表す意味もあり、もののけ達が人間との戦いに敗れてしまったということは、イノシシ族だけの問題ではなく、シシ神の森に棲むすべての生命が、として、劣位に貶められることになってしまったという状況を暗示しているのです。

デイダラボッチ変身の意味

夜の姿に隠された秘密

シシ神は夜になると、「デイダラボッチ」と呼ばれる半透明の獣頭人身の巨神の姿に変わり、森を巡回します。この変身には深い意味があります。

この姿は人型で、頭から背中に多数の角を持ち、半透明な体には、まるで宇宙や星々や『星月夜』をも思わせる縞や渦巻き模様があるデイダラボッチは、日本各地に伝承される国造りの神として知られています。

生と死の循環システム

シシ神は、夜になるたびにデイダラボッチに姿を変えます。そして、朝になるとシシ神に戻るのです。つまりシシ神は、普段から毎日、誕生と死を繰り返す存在。シシ神が生、デイダラボッチが死です。

この日々の変身は、自然界の命の循環を象徴しています。昼は生命活動が活発化し、夜は休息と再生の時間となる自然のリズムそのものを表現しているのです。

水と生命力の関係性

癒しの力を持つ水

シシ神の棲む森の湖には、傷を癒す不思議な力があります。呪いのかかったアシタカの腕の発作も、その水につけることで治おさまりましたし、鉄砲で受けた傷さえ消えてしまいました。

水の持つ生命力について、水分でできた人間の体に、新しい水分が注入され、ひいてはそれが細胞をより新鮮にするからでしょう。生きている限り、人間には新しい水が必要なのですという科学的な説明も可能ですが、作品内では神秘的な力として描かれています。

シシ神は森の湖に棲む神であり、生と死をつかさどるといわれています。奇しくもそれは水の二つの側面を象徴しているといっていいでしょう。もしかしたら、「水」はすべての始まりであると同時に、すべての終わりであるといえるのかもしれません。

シシ神の真の役割:自然界そのものの象徴

他の神々との違い

乙事主(おっことぬし)や、モロの君は、一見するとまるで「シシ神」と同列であるかのように同じ「神」という名で呼ばれています。ですが、乙事主(おっことぬし)や、モロの君がいかに数百年を生きる生命力と、深い知恵と、強大な力をそなえた存在であるとはいえ、「自然界そのものの象徴」である「シシ神」と比べれば、彼らは所詮、「少々知恵をつけた大きな獣」に過ぎません。

不条理に見える行動の理由

シシ神の行動は時として理解しがたいものに見えます。「シシ神」が森の神なのであれば、森と、その森の神である「シシ神」を、人間の魔の手から守ろうとしているもののけ達に味方をするのが当然のように思えます。それにもかかわらず、「シシ神」は乙事主(おっことぬし)の味方をすることはなく、それどころか、「シシ神」と森を守るために命をかけて戦った乙事主(おっことぬし)の命を吸い取ってしまいます。

これは「シシ神」が、一見、不条理で無慈悲な存在に見えるのはこのためなのです。しかし、自然そのものである以上、人間的な善悪の判断基準を超えた存在として描かれているのです。

宮崎駿が込めたメッセージ

生と死を分ける思考への警鐘

宮崎駿監督は、もののけ姫という作品を通じて「生と死を分けている限り、この世から争いも憎しみも無くならない」ということを伝えているのではないかと思うというメッセージを込めています。

死を恐れる人間や神、己のエゴのために生きるエボシ、生と死が一体であるシシ神。これら3つの立場から「どうして、人は争うのか」「どうして、憎しみは連鎖するのか」というアジェンダに、ひとつの解を出すのがこの作品なのだ。

屋久島から得たインスピレーション

人の手が入らずに残されている森では、巨木が倒れ、朽ちていく過程でまた新たな生命が育まれている光景を目にすることができる。その光景を見ているとどこまでが「死」で、どこまでが「生」なのかわからないという屋久島での体験が、シシ神のキャラクター設定に大きな影響を与えたと考えられます。

諸星大二郎からの影響

ビジュアルデザインのルーツ

宮崎駿は諸星大二郎の大ファンであることが知られ、『もののけ姫』も影響を受けていることが指摘されている。たとえば、シシ神やデイダラボッチの姿は『孔子暗黒伝』の解明獣や『マッドメン』の巨人に似ており、サンの化粧も『マッドメン』の登場人物のそれと類似性が見られる。

諸星大二郎の漫画『孔子暗黒伝』には、解明獣という、人面の虎が登場しております。人間の顔と、動物の身体というのは有り勝ちな設定なので、この影響を受けたかどうかはわかりませんが、諸星ファンの宮崎監督なので、頭のどこかにこのイメージがあったかもしれませんね。

シシ神の首に隠された秘密

不老不死の伝説の真相

シシ神の血にどんな病も治ると言われていたことや、首に不老不死の力が宿っていると言われていたためシシ神は狙われました。しかし、これらはあくまで噂や憶測でしかなく、実際にその力があったのかは不明です。

おそらくシシ神が、足元から草を生やしたりして、「生」の力をばらまいている姿を見た人間が、「きっとシシ神の首には、もっと強い生の力があるはずだ。シシ神の首を手に入れれば不老不死になれるに違いない」と考えたのが真相でしょう。

顔の変化に込められた意味

シシ神の顔には横線の模様があり、シシ神の設定には「生命の授与と奪取を行なう神獣」とあります。シシ神の通常時、もしくは生命を与えるときには茶色で、生命を奪うとき、もしくはデイダラボッチに変化する前兆として緑になっているものと考えることができますね。

シシ神の最期:死ではなく変化

本当に死んだのか?

物語終盤でサンは「シシ神様は死んだ」と言いますが、死んでません。姿かたちは違ってもシシ神は「命そのもの」ですから。また別の姿で森に住んでいると思いますという解釈が正しいでしょう。

アシタカが語る「シシ神は死んでいない、シシ神は生命そのものだから」という言葉が、シシ神の本質を表現しています。

シシ神は『自然界そのもの』を現している存在だ。シシ神は生命そのもの、自然そのものであるため、命という営みがある限りその在り方がなくなるということはないのです。

森の再生が示す真実

死んでないからデイダラボッチから出た液で一度生命を奪った地に緑が戻ったんだと思いますよ。神様って世界を創る存在であってその後の世界には手出しをするものじゃないと私は思ってますという考察が示すように、荒廃した森に新たな緑が戻ったことが、シシ神の継続的な存在を証明しています。

SNSでの話題と現代的解釈

現代のファンたちも、シシ神の存在について活発な議論を続けています。

「シシ神は生も死をも与えるという情報を、足元の草木を咲かせて枯れさせるという描写だけで表現するのすごいよな」

https://twitter.com/k_ogaga

このツイートは、宮崎駿の映像表現力の巧みさを指摘しており、シシ神の本質を理解する上で重要な観点を提供しています。

「アシタカ『シシ神よ―― 首をお返しする 鎮まりたまえ!』」

引用:金曜ロードショー公式Twitter

この名場面は、多くのファンの心に刻まれており、シシ神の復活を象徴する重要なシーンとして語り継がれています。

「生きろ。」

引用:金曜ロードショー公式Twitter

アシタカのこの言葉は、シシ神が表現する生命力と直結しており、作品全体のメッセージを凝縮したものです。

環境問題へのメッセージ

現代への警鐘

「神殺し」と原生林の消滅は呼応した概念とも言えるだろうという指摘は、現代の環境問題を予見したものでした。

モデルは屋久島と白神山地である。どちらも、現在こそ世界自然遺産に登録されているが、過去には開発を強行しようとする行政と自然を守ろうとする環境保護団体や地元民との諍いが発生した過去があるという現実とリンクしています。

共生の道を示すシシ神

このシシ神の行動が物語っているのは、どちらか一方が生き残ればいいというものではなく、森も人も共に歩まなくてはいけないということだ。人間だけがいればいいというものではない、森だけがあればいいというものでもないというメッセージが込められています。

結論:生命そのものの化身としてのシシ神

シシ神は単なる森の神ではありません。生命そのもの自然界の摂理そのものを体現した存在として描かれています。その生死を司る力は、神秘的な超能力ではなく、自然界に内在する根本的な法則の象徴なのです。

宮崎駿監督は、シシ神を通じて私たちに問いかけています。「人間は自然とどう向き合うべきなのか?」「生と死を分けて考えることの愚かしさに気づくべきではないか?」と。

「森」とは命そのもの。育み、共に森にすることが重要なのだと考えています。ここでも共生理論ですというアシタカの考え方こそが、現代を生きる私たちに必要な視点なのかもしれません。

現代の環境問題が深刻化する中で、シシ神の存在は単なるファンタジーを超えた現実的なメッセージとして、私たちに語りかけ続けています。自然との共生、命の循環への理解、そして生と死を一体として捉える東洋的な生命観——これらすべてがシシ神という一体の神に込められているのです。

もののけ姫を観るたび、シシ神の歩む足元から生まれては消える草花のように、私たちもまた大いなる生命の循環の一部であることを思い出すのです。そして、その神秘的で美しい映像の向こうに、宮崎駿の深い洞察と人類への愛が込められていることを、改めて感じ取ることができるでしょう。

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