火垂るの墓と庵野秀明の知られざる関係
多くの人に愛され続けるスタジオジブリの名作『火垂るの墓』に、後に『新世紀エヴァンゲリオン』を生み出すことになる庵野秀明監督が原画スタッフとして参加していたことをご存知でしょうか。当時20代だった庵野秀明は、この作品で貴重な経験を積み、同時に大きなトラウマを抱えることにもなりました。


本記事では、火垂るの墓制作時の庵野秀明の体験談から、エヴァンゲリオンとの関係性、そして最近発見された幻の原画まで、これまで知られていなかった詳細な事実を徹底的に解説します。
庵野秀明が火垂るの墓制作に参加した経緯
スタジオジブリから突然の依頼
当時仕事がなかった庵野秀明は、突如スタジオジブリにやってきて仕事を求めており、『となりのトトロ』OPシーンと『火垂るの墓』どちらをやりたいか問われ、宮崎監督とは既に仕事の経験があるため、高畑監督の『火垂る』を選んだという。
1987年頃の庵野秀明は、まだ駆け出しのアニメーターでした。TVアニメ『超時空要塞マクロス』(1982〜83年)の作画に参加したほか、宮﨑駿監督の『風の谷のナウシカ』(1984年)の巨神兵の原画に抜擢されるなど新進気鋭のアニメーターとして、頭角を現していました。そんな中、高畑勲監督作品への参加という大きなチャンスが巡ってきたのです。
高畑勲監督との初仕事への挑戦
「『トトロ』のオープニングと『火垂るの墓』のメカシーンと、どっちをやりたい?」と聞かれて、「じゃあ、『火垂るの墓』をやらせて下さい」と庵野監督が自分で選んだものの、後に激しく後悔するハメに。満艦全飾の軍艦が登場するシーンを担当しましたが、「高畑アニメはやっぱり難しかった。10年早かったですね」とプレッシャーが強すぎてなかなか描けなかったそうです。
この選択が、後の庵野秀明にとって大きな試練となることを、当時の彼はまだ知る由もありませんでした。
重巡洋艦「摩耶」制作の詳細と苦悩
史実に基づく徹底的な考証作業
庵野秀明が担当したのは、蛍が舞う防空壕で清太が、妹の節子に「お父ちゃん、巡洋艦摩耶に乗ってな、聯合(れんごう)艦隊勢揃いやで」と語って回想する印象的なシーンでした。この場面で描かれる重巡洋艦「摩耶」の原画を手掛けることになったのです。
神戸港での観艦式(清太の回想)の場面での軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。庵野秀明の几帳面さと軍事考証への情熱が、この作業に表れています。
制作項目 | 詳細内容 |
---|---|
担当シーン | 重巡洋艦摩耶の観艦式シーン |
制作期間 | 延べ1ヶ月 |
考証レベル | 舷窓の数、ラッタルの段数まで正確 |
参考資料 | 船の詳細資料を徹底収集 |
完璧主義がもたらした悲劇的な結果
しかし、この努力は報われることがありませんでした。延べ一ヶ月をかけて描いた重巡摩耶が画面では真っ黒に塗りつぶされ、落胆を覚える。という結果になったのです。
もっとも完成した映画では(樋真嗣の妻、高屋法子の手によって)すべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。この経験は庵野秀明にとって大きなトラウマとなりました。
庵野秀明のトラウマとその後への影響
制作現場での精神的プレッシャー
「高畑アニメはやっぱり難しかった。10年早かったですね」とプレッシャーで全然描けなかったそうだ。高畑勲監督の完璧主義は業界でも有名でしたが、若き日の庵野秀明にとってはあまりにも高いハードルでした。
1ヶ月かけてディテールを調べて描き上げたけれど、完成した映画では真っ黒に塗りつぶされており、このことが庵野秀明はトラウマとなっている。この体験は、後の庵野秀明の作品作りに大きな影響を与えることになります。
エヴァンゲリオンへの影響
火垂るの墓での経験は、庵野秀明の映像表現に様々な形で反映されています。特に、細部へのこだわりと史実考証への執念は、後のエヴァンゲリオンシリーズにおける軍事的描写の精密さにつながっています。
- 軍事考証への執着:エヴァンゲリオンの使徒との戦闘シーンにおける軍事的リアリティ
- 細部描写の重要性:メカニックデザインにおける徹底的なディテール
- 完璧主義の追求:制作現場での妥協を許さない姿勢
2025年に発見された幻の原画
高畑勲展での驚きの発表
庵野氏が『火垂るの墓』に原画スタッフとして参加して描いた重巡洋艦摩耶のレイアウトが発見されたことを受け、それを基にして描かれたハーモニーセルとともに展覧会で初公開されることになった。
2025年6月に開催された「高畑勲展」で、庵野秀明が描いた重巡洋艦摩耶の幻のレイアウトが発見され、初公開されました。ハーモニーセルは、絵画のようなタッチで描きこまれたセルのことで、通常、セルの彩色は単色の塗り分けだが、ハーモニーはより写実的な表現を可能にするテクニックである。
幻の原画が物語る制作秘話
発見された原画からは、庵野秀明がいかに詳細な考証を行っていたかが明らかになりました。軍艦の構造から装備品まで、すべてが実際の摩耶の仕様に基づいて描かれていることが確認できます。
これらの資料は、当時の制作現場の緊張感と、若き庵野秀明の情熱を現代に伝える貴重な証拠となっています。
SNS等での反響と評価
庵野秀明の火垂るの墓参加について、SNSでは多くの反響が寄せられています。以下、代表的な投稿とその反応をご紹介します。
作中に出てくる清太の父が巡洋艦に乗って観艦式に登場するシーン。実は、このシーンに出てくる軍艦を描いたのは、あの「エヴァンゲリオン」シリーズで知られる庵野秀明監督なんです。よく見るとかなり緻密に軍艦の細部まで描かれているのがわかります。
この投稿では、庵野秀明の緻密な描写技術が高く評価されており、多くのファンが驚きの声を上げています。
庵野秀明監督が火垂るの墓に参加していたなんて知らなかった。エヴァンゲリオンの軍事考証の精密さはここから始まっていたんですね。
ファンからは、庵野秀明の軍事考証への執着がエヴァンゲリオンにどう影響したかについて多くの考察が投稿されています。
1ヶ月かけて描いた重巡洋艦が真っ黒に塗りつぶされたって、それはトラウマになりますよ。でもそれが庵野監督の完璧主義につながったのかも。
制作現場の厳しさと、それが後の作品にどう影響したかについても多くの議論が交わされています。
高畑勲展で庵野秀明の原画が発見されたニュース、すごく興味深い。当時の制作秘話がまだまだ隠されているんだろうな。
業界関係者からは、まだ明かされていない制作秘話への期待の声も上がっています。
火垂るの墓が庵野秀明に与えた創作への影響
リアリズムへの執着
火垂るの墓での経験は、庵野秀明の創作姿勢に根本的な変化をもたらしました。高畑アニメが追究する実にリアルな描写の実現は、近藤さんの強く鋭い感受性あって初めて可能だったのです。このリアリズムへの追求は、後のエヴァンゲリオンにおける心理描写の精密さにもつながっています。
完璧主義の確立
高畑勲監督の完璧主義を間近で体験したことで、庵野秀明自身も作品作りにおいて妥協を許さない姿勢を身につけました。エヴァンゲリオンの制作現場でも知られる彼の厳格な品質管理は、この時期に培われたものと考えられます。
軍事考証への情熱
重巡洋艦摩耶を描く際に行った徹底的な考証作業は、後のエヴァンゲリオンにおける使徒や兵器の設定においても活かされています。特に、実在の軍事技術を基にした設定の精密さは、火垂るの墓での経験なくしては生まれなかったでしょう。
現在も続く火垂るの墓との関係性
庵野秀明の現在の評価
現在の庵野秀明は、2006年に製作会社カラーを立ち上げ、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズに着手。「序」(07)、「破」(09)、「Q」(12)といずれも大ヒットを記録し、20年には完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開される。世界的な映画監督として活躍しています。
しかし、彼の作品には今でも火垂るの墓で学んだリアリズムと完璧主義の精神が息づいています。
継承される制作哲学
庵野秀明が火垂るの墓で体験した「徹底的な考証」「妥協なき完璧主義」「細部への配慮」は、現在のアニメ業界全体にも大きな影響を与えています。特に、スタジオカラーの作品群には、この時期に培われた制作哲学が色濃く反映されています。
まとめ:火垂るの墓と庵野秀明の深い絆
火垂るの墓と庵野秀明の関係は、単なる制作参加を超えた深い絆で結ばれています。若き日のトラウマ体験は、後に世界的なクリエイターとなる庵野秀明の創作の原点となりました。
重巡洋艦摩耶を1ヶ月かけて描き上げたものの、完成版では真っ黒に塗りつぶされてしまったという苦い経験は、彼の完璧主義と軍事考証への執着を生み出し、後のエヴァンゲリオンシリーズの精密な設定につながっています。
2025年に発見された幻の原画は、当時の庵野秀明がいかに真摯に作品と向き合っていたかを物語る貴重な証拠です。火垂るの墓で培われたリアリズムへの追求は、現在も彼の作品作りの根幹を支える重要な要素となっているのです。
庵野秀明ファンにとって、火垂るの墓は彼の原点を知ることができる貴重な作品であり、同時に高畑勲監督の完璧主義が次世代のクリエイターにどのような影響を与えたかを示す重要な事例でもあります。

