火垂るの墓の監督・高畑勲について知っておくべき結論
火垂るの墓の監督は高畑勲(たかはた いさお)です。1935年10月29日生まれ、2018年4月5日に肺がんで82歳で亡くなった日本を代表するアニメーション監督の一人です。


高畑勲が火垂るの墓に込めた最も重要な思いは、「反戦映画ではなく、戦争の時代に生きた普通の子供がたどった悲劇を描く」ことでした。高畑監督は「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べていました。
高畑勲の経歴と代表作品一覧
年代 | 作品名 | 役職 | 制作会社 |
---|---|---|---|
1968年 | 太陽の王子 ホルスの大冒険 | 監督デビュー | 東映動画 |
1974年 | アルプスの少女ハイジ | 演出 | ズイヨー映像 |
1979年 | 赤毛のアン | 演出 | 日本アニメーション |
1988年 | 火垂るの墓 | 監督・脚本 | スタジオジブリ |
1991年 | おもひでぽろぽろ | 監督・脚本 | スタジオジブリ |
1994年 | 平成狸合戦ぽんぽこ | 監督・脚本 | スタジオジブリ |
2013年 | かぐや姫の物語 | 監督・脚本(遺作) | スタジオジブリ |
なぜ高畑勲が火垂るの墓の監督に選ばれたのか?その理由を詳しく解説
高畑勲自身の空襲体験が決定的な理由
高畑勲が火垂るの墓の監督に最適だった最大の理由は、彼自身が戦争体験者だったことです。1945年6月24日未明の岡山空襲で実家を失い、当時9歳だった高畑監督は燃え盛る岡山市内を夜通し走り回って、九死に一生を得ています。
実家の二階で寝ていた高畑監督は空襲に気づくと裸足で逃げ出し、ひとつ年上のお姉さんと一緒に逃げました。焼夷弾の火力は凄まじく、防空壕に逃げ込んだ多くの人たちは、酸欠による窒息死や蒸し焼きになっていました。この実体験があったからこそ、映画では観る者の心に深く刺さる空襲シーンを描くことができたのです。
リアリズム志向の演出手法
高畑勲作品はリアリズムが根幹にあり、主人公たちの目の前にある、客観的な、ありのままの現実が、そのままのかたちで展開されます。特に火垂るの墓では、1945年当時の風景が忠実に再現され、事前に原作者の野坂昭如の案内で西宮市や神戸市でロケハンが行われました。
また、製作スタッフたちは小津安二郎監督の映画『東京物語』や『お早よう』を見て、昭和20年頃に一般的だった狭い日本家屋の映し方やじっくり演技を見せる点などを参考にしました。
宮崎駿監督との深い信頼関係
高畑勲は宮崎駿と東映動画時代からの同僚で、1985年のスタジオジブリ設立に参加しています。『となりのトトロ』が当初60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかったため、同時上映作品として『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯がありました。
火垂るの墓制作時の高畑勲監督の具体的なこだわりと制作秘話
発見された7冊の創作ノートが明かす制作秘話
高畑監督の没後に見つかった映画の創作過程を記した7冊のノートから、高畑は自身の空襲体験をもとに原作を忠実に再現しようとする一方で、「F清太」という原作にはない存在をあえて作り出していたことが判明しました。
この「F清太」について、2025年の高畑勲展では、スタジオカラー代表である庵野秀明が担当した『火垂るの墓』のカットである「重巡洋艦摩耶(まや)」のハーモニーセルが偶然にも発見され、本展で初公開されることになりました。
「主人公たる資格に欠けた」清太という設定
高畑監督は清太について、「主人公たる資格のない”清太”という少年を取り扱うことになる」と語っていました。これは従来のアニメーションの主人公像とは大きく異なるアプローチでした。
公開当時、殆どの日本の観客は清太たちに全面的に同情的になって作品をみていたことに、高畑勲が不満を抱いていたという証言もあり、監督の意図と観客の受け取り方には大きなギャップがありました。
アニメーションでしか表現できない「死」の描写
映画監督の大林宣彦は高畑勲の表現力について、「映画は百年間、いろんな技を探求してきましたが、人間の”死”だけはどうしても描けないんです」「高畑さんの『火垂るの墓』を見たら、「ああ、アニメのひとコマだ。”死”だと。」あの節子を、ひとコマで描いたか”死”になっていたんです。しかもそれを確信犯的に”死”の表現に使ったのは、これはアニメも含めて高畑さんが映画史上初」と絶賛しています。
高畑勲監督の作家性と火垂るの墓に込められたメッセージの具体例
反戦映画ではない理由とその真意
高畑勲は「この映画では戦争は止められない。映画で反戦を訴えるのであれば、”戦争を起こす前に何をすべきか”と観客に行動を促すことが必要だ」と述べていました。
高畑監督は「死によって達成されるものはなにもない」という考えがあり、苦しい体験を繰り返している2人の幽霊を指して「これを不幸といわずして、なにが不幸かということになる」とも語っています。
原作との違いとオリジナル要素
野坂昭如の原作にはない、高畑勲らしい細やかな演出場面として、冒頭の終戦直後の三宮駅で餓死寸前の清太に、さらりと差し出される白米のおにぎりのシーンがあります。道行く人々の侮蔑的な台詞(原作通り)と対照的な善意は人間観の実感に則したものでした。
また、節子が持つサクマ式ドロップスやマーマ人形など実在の物が描かれているなど、リアリティを追求した小道具の選択も高畑監督ならではのこだわりでした。
現代への警鐘としてのメッセージ
高畑監督が「火垂るの墓」についてほとんど語らなかった理由について、ディレクターの寺越陽子は「戦後80年を迎えたいまもなお、戦争がなくならない世界。改めて高畑さんが『火垂るの墓』という映画にどんな思いを込めていたのか、創作ノートから見えてきたのは、いまの時代のわたしたちへのメッセージだと思っています」と分析しています。
SNSやWEBで話題になっている高畑勲監督に関する投稿と専門家の見解
戦後80年の節目で再注目される高畑勲
2025年は、太平洋戦争から80年という節目にあたり、『火垂るの墓』に注目した新たな資料の展示を行います
戦後80年という節目の年に、高畑勲監督の功績が再評価されています。特に麻布台ヒルズでの展覧会では、これまで公開されなかった貴重な資料が展示されており、多くのファンや研究者から注目を集めています。
Netflix配信で世界的に話題となった高畑作品
Netflixでの昨年9月からの海外配信を経て、今年7月15日から日本初の配信が決定
Netflixでの世界配信により、高畑勲作品が国際的に再評価されています。特に海外の視聴者からは、日本の戦争体験を描いた作品として高い評価を受けており、SNSでは多くの感想や考察が投稿されています。
研究者による高畑勲の作家性分析
高畑勲作品はリアリズムが根幹にあります。物語の展開としても、宮﨑作品のようなミラクルは絶対に起こりません。何か困難があったときに、主人公たちはまさに自分の力だけで、主体的・自立的にそれを乗り越えようとしていきます
映像研究家による分析では、高畑勲の作家性の特徴として「リアリズム」が挙げられています。宮崎駿監督とは対照的なアプローチで、現実に根ざした人間ドラマを描き続けたことが評価されています。
NHKドキュメンタリーで明かされる制作秘話
故・高畑勲監督の名作「火垂るの墓」(1988年)にスポットを当てたNHK・Eテレの特別番組「ETV特集『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』」が、8月2日午後11時に放送される
引用:NHK・Eテレ特別番組「ETV特集『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』」が、8月2日(土)午後11時に放送されます
NHKのドキュメンタリー番組では、高畑監督の没後に発見された貴重な創作ノートが公開され、これまで知られていなかった制作過程の詳細が明らかになっています。SNSでは番組内容についての考察や感想が活発に投稿されています。
映画評論家による高畑勲の評価
映画はさまざまな側面を持つ芸術であり、優れた作品は何度観ても新しい発見があるものです。『火垂るの墓』もまた、繰り返し観ることで、きっと新しい見識を得ることができるでしょう
映画評論家たちは、高畑作品の奥深さを指摘しています。特に『火垂るの墓』については、観るたびに新しい発見があると評価されており、その芸術的価値の高さが認められています。
別の視点から見る高畑勲監督の功績と影響力
アニメーション業界への革新的貢献
高畑勲は、東映で『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)で壮大な世界観を表現すると、70年代には『パンダコパンダ』(1972)や『アルプスの少女ハイジ』(1974)『赤毛のアン』(1979)など数々のアニメーションを発表し、アニメーションにおける新しい表現に挑戦していきました。
特に技術面では、『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)でセル画ではなくコンピューターによる彩色で手描きのスケッチを表現するという当時前例のない技法を進化させ、2000年代にはその技術の発展形である『かぐや姫の物語』(2013)を作り上げました。
国際的な評価と受賞歴
1998年に紫綬褒章、2014年にアヌシー国際アニメーション映画祭名誉功労賞、2016年にウィンザー・マッケイ賞を受章・受賞するなど功績がたたえられています。また、2015年4月にはフランス芸術文化勲章オフィシエを受章するなど、国際的にも高く評価されています。
後進への影響と教育的意義
高畑勲と宮﨑駿はまさに1970年以前に人格形成を終え、作家としての自立を果たした世代で、戦後前半の「大きな物語」──人々が共通に信じていた理想や理念を、そのまま作品に反映していました。この姿勢は多くの後進のアニメーターや監督たちに大きな影響を与えています。
まとめ:高畑勲監督が火垂るの墓に込めた普遍的なメッセージ
高畑勲監督は、火垂るの墓を通じて単なる反戦映画を作ろうとしたのではありません。戦争という極限状況における人間の尊厳と、生きることの意味を描こうとしたのです。
高畑勲は『火垂るの墓』で死を描き切り、『かぐや姫の物語』で生を描き切ったと評されるように、監督は人間の根源的なテーマに真正面から向き合い続けました。
「死によって達成されるものはなにもない」という高畑監督の考えは、現代を生きる私たちにとっても重要なメッセージです。戦後80年が経った今でも、世界各地で紛争が続く中、高畑勲が火垂るの墓に込めた「生きることの尊さ」と「人間の尊厳」というメッセージは、時代を超えて私たちの心に響き続けているのです。
高畑勲監督の作品は、アニメーションという表現手法を通じて、人間の本質的な部分に迫る芸術作品として、今後も多くの人々に愛され続けていくでしょう。戦後80年を迎えた今もなお、戦争がなくならない世界。改めて高畑さんが『火垂るの墓』という映画にどんな思いを込めていたのか、創作ノートから見えてきたのは、今の時代の私たちへのメッセージなのです。

