火垂るの墓はジブリ作品だが宮崎駿監督ではない
多くの人が混同しがちな「火垂るの墓」の監督について、まず結論をはっきりさせましょう。「火垂るの墓」はスタジオジブリ制作の作品ですが、監督は宮崎駿ではなく高畑勲です。


原作 野坂昭如(新潮文庫版) 脚本・監督 高畑 勲と公式サイトにも明記されており、宮崎駿は監督としてもプロデューサーとしても関わっていません。
なぜ宮崎駿作品と勘違いされるのか
この勘違いが生まれる理由は複数あります。1988年4月、宮崎駿監督の「となりのトトロ」と2本立てで公開されたことから、同時期に公開されたジブリ作品として混同されやすいのです。
また、黒澤明監督でさえこの勘違いをしており、黒澤明は『火垂るの墓』を見て感動するが、宮崎駿監督の作品と勘違いしてしまい、宮崎に賞賛の手紙を送っているという逸話まであります。
宮崎駿が火垂るの墓に抱く強烈な批判
実は宮崎駿は「火垂るの墓」に対して非常に厳しい見解を持っています。これは業界内では有名な話で、『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。あれはウソだと思います。まず、幽霊は死んだ時の姿で出てくると思いますから、ガリガリに痩せておなかが減った状態で出てくる。それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしないと述べています。
宮崎駿の批判の核心
宮崎駿の批判は主に3つのポイントに集約されます:
- 幽霊の描写への疑問:死んだときの姿で現れるべき幽霊が、健康的な姿で描かれていることへの違和感
- 階級社会の現実無視:海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけでという戦時中の軍人社会の実情
- 戦争の本質への指摘:結局死ぬのは貧乏人が死ぬんですよという戦争の真実が描かれていないという批判
高畑勲と宮崎駿の制作現場での対立
「火垂るの墓」の制作過程では、高畑勲と宮崎駿の間で激しいスタッフ争奪戦が繰り広げられました。『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の同時上映が決まったとき、高畑勲監督と宮崎駿監督は、天才アニメーター近藤喜文を取り合いをしている。両者譲らない鍔迫り合いの末、一時期は製作中止の危機にまで陥っているという状況でした。
近藤喜文をめぐる争奪戦
結局、「宮崎駿は自分で絵が描けるが高畑勲は描けない」という鈴木プロデューサーの判断で、近藤さんは『火垂るの墓』の製作にたずさわることになりました。しかし、この時の宮崎監督の怒り様は凄まじく、「俺は明日から入院する!もう『トトロ』は作らない!」と駄々をこねて鈴木敏夫プロデューサーを大いに困らせたそうです。
スタジオジブリ設立の背景と火垂るの墓
スタジオジブリの設立には高畑勲も深く関わっています。高畑が「なら、いっその事、スタジオを作ってしまいませんか」と宮崎、鈴木等に提案した。これを受け、1985年、徳間書店が宮崎等の映画製作のため、スタジオジブリを設立したのです。
ジブリ作品としての特異性
「火垂るの墓」は他のジブリ作品とは明らかに異質な存在です。風の谷のナウシカも天空の城ラピュタもファンタジー色が強かったので、ようやく出来たジブリファンには、次回作もファンタジー路線だろうという認識を、当然持たれていたと思われます。しかしその予想を裏切り、火垂るの墓は『戦争』、となりのトトロは『日常』と、第三弾作品はそれまでと性質を大きく変えてきたのです。
制作過程での完璧主義と公開延期問題
高畑勲の完璧主義は制作現場で大きな問題となりました。『火垂るの墓』は劇場公開時、製作が間に合わず未完のまま公開されましたという事実があります。
鈴木敏夫プロデューサーの証言
映画が完成しなかったんですよね。封切り当時の作品ですよ。ところどころ、白いシーンが出てきたんですよという状況で公開に至ったのです。宮崎駿の弟でさえ『火垂るの墓』が終わった直後、その弟がですね、ばっと立ち上がって、僕のほう振り返って、「トシちゃん、これ完成してないんじゃないの?」って言われちゃったんですよという状況でした。
宮崎駿による「火垂るの墓クーデター計画」
制作の遅れに業を煮やした宮崎駿は、なんと「『火垂るの墓』クーデター計画」という秘策を練りました。これはできあがった原画をこういう風に動画にすればいい、とか、色塗りをこうやればいいとか、技術的なアイデアが詳細に書いてあるという具体的な完成計画でした。
未完成での公開という結末
結果的に『火垂るの墓』は、二つのシーンが色塗りされずに公開されたという前代未聞の事態となりました。
高畑勲の作品に対する哲学と宮崎駿との違い
高畑勲は「火垂るの墓」について独特の哲学を持っていました。高畑勲は、本作品について「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べたのです。
反戦映画としての限界を語る高畑勲
攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからですという深い洞察を示しています。
SNSやWEBで話題の投稿と専門家の見解
「火垂るの墓を宮崎駿作品と間違える人が本当に多い。でも実際は高畑勲監督で、宮崎駿は厳しく批判している作品なんです。」
引用:Twitter投稿
この投稿は多くのアニメファンの間で話題になり、監督の混同がいかに多いかを物語っています。
「アニメーションとは、アニミズムという語源から言っても『命なきものに命を吹き込む』表現だ。高畑勲はアニメーションの一枚一枚の絵が本質的には死んでいることを理解していた。だからこそ、アニメーションでしか表現し得ない人間の”死”を表現し得たのだ」
引用:BCKN note記事
大林宣彦監督によるこの評価は、高畑勲の独特のアニメーション観を端的に表現しています。
「宮崎駿と高畑勲、二人の天才が同じスタジオにいたからこそ生まれた奇跡と対立。火垂るの墓はその象徴的作品だった。」
引用:ジブリのせかい
この分析は、二人の巨匠の複雑な関係性を的確に捉えています。
現代から見た火垂るの墓の再評価
時代が変わり、「火垂るの墓」への見方も多様化しています。「火垂るの墓」は、「魂の無垢さが傷つけられ、失われていくことを批判した物語」という新たな解釈も生まれています。
宮崎駿の幽霊描写批判への反論
宮崎駿の幽霊描写への批判に対して、著書「出発点」270Pでは、兄妹が先に死んだ母の幽霊と出会っていないことをあげ、考察を行っている。ここで宮崎は兄妹の幽霊の姿について「二人は幸福な道行きの瞬間の姿のまま、あそこにいる」「二人の絆だけで完結した世界に、もはや死の苦しみもなく、微笑みあい、漂っている」のだと述べているという興味深い解釈も存在します。
まとめ:火垂るの墓は高畑勲による独自の芸術作品
「火垂るの墓」は確かにスタジオジブリの作品ですが、監督は宮崎駿ではなく高畑勲です。そして宮崎駿は この作品に対して強烈な批判を抱いており、制作過程でも様々な対立がありました。
しかし、それでもなお「火垂るの墓」は高畑勲による独特の芸術作品として、世界中で愛され続けています。公開から約30年が経った現在でも、観た人の心を揺さぶるこの作品は、宮崎駿とは全く異なるアプローチで戦争と人間の本質を描き切った傑作なのです。
つまり、「火垂るの墓はジブリ映画なのか?宮崎駿監督なのか?」という問いに対する答えは:「ジブリ映画だが、監督は宮崎駿ではなく高畑勲であり、むしろ宮崎駿が批判している作品」ということになります。この事実を知ることで、作品をより深く理解できるでしょう。

