火垂るの墓で清太が最期を迎えた三宮駅。多くのファンがその正確な場所を知りたがっている、この作品最大の聖地のひとつです。実は、映画に登場する「三宮駅」には複数の駅が関係しており、それぞれに異なる歴史と戦災の痕跡が残されています。


火垂るの墓の三宮駅の正確な場所とは
結論:清太が死んだ場所はJR三ノ宮駅、幽霊シーンは阪急神戸三宮駅です。多くの人が混同しがちですが、映画では実は2つの異なる駅が舞台となっています。
JR三ノ宮駅が、映画『火垂るの墓』の舞台となっています。映画の冒頭で兄清太が亡くなったシーンでJR三ノ宮駅が登場しました。清太が最期に凭れていた大きな円柱は、現在もあります。一方で、清太と節子が電車に乗ったのは阪急神戸三宮駅です。
なぜ清太はJR三ノ宮駅で死んだのか?
敗戦直後、たくさんの戦災孤児が清太のように亡くなったのは事実です。戦時中は空襲等のどさくさで、食べ物の調達が出来ましたが、敗戦後はそれが出来なくなりました。JR三ノ宮駅は神戸最大のターミナル駅であり、多くの戦災孤児が集まる場所だったのです。
駅名 | 映画での役割 | 現在の状況 |
---|---|---|
JR三ノ宮駅 | 清太が死んだ場所 | 円柱現存、耐震補強済み |
阪急神戸三宮駅 | 清太・節子が電車に乗車 | 戦災痕跡が天井に残存 |
阪神神戸三宮駅 | 周辺の描写に使用 | 現在も営業中 |
清太がもたれかかった柱は今でも残っているのか?
現在もJR三ノ宮駅のコンコースに、清太がもたれかかった円柱が残されています。耐震工事が施され、派手な宣伝が貼られた柱が並ぶ中、ちょっと古めかしい感じがする円柱も何本かあります。これは、意図的なものなのでしょうか。
戦前から残る唯一の柱
耐震補強で味気も素っ気もなくなった駅の円柱ですが、一本だけ手付かずのものが残っています。他は補強済みなのでこの一本だけがやけに浮いていますが、そもそもこれがオリジナル。確信犯的に残っているので、JRがわざと残したのかもしれません。
この柱は、映画の重要なシンボルとして多くのファンが訪れる場所となっています。火垂るの墓の冒頭では清太以外にも何人かの子供が行き倒れになって駅の柱にもたれかかっていたと思います。ああいった光景は終戦直後のこの場所で実際によく見られた光景なのでしょうか?
三宮駅に残る戦争の痕跡を詳細解説
神戸三宮には、現在でも数多くの戦災の痕跡が残されています。これらは火垂るの墓の世界観をより深く理解するための重要な手がかりです。
阪急神戸三宮駅の焼夷弾痕跡
神戸阪急三宮駅のホームの天井には、穴を埋めたような補修の跡が幾つも確認できる。これは焼夷弾によって空いた穴とされている。阪急電鉄広報部によると、同駅のホームの建物は1936(昭和11年)に建てられた。屋根も当時から変わっておらず、空襲時にもこの場所にあったという証言があります。
この画像は、駅の天井ですが、画像の中央の鉄板を補修したような跡は、空襲時に焼夷弾が貫通してできた穴だそうです。駅の天井には、所々に穴を補修したような跡があります。
熱線で曲がった鉄骨
天井を観察してみると、なにやら補修されている穴が多く見られます。そして、海側の柱はなんと曲がって横にズレています。これらも屋根や骨組みがボロい訳ではなく、投下された焼夷弾による熱線が原因だと言われています。
機銃掃射の弾痕
JRと阪急を結ぶ歩道橋の青い橋の欄干をよーーく見てみると、なんとボコボコと穴が空いていることが分かります。こちらは戦時中の敵の機銃掃射によって、弾丸が貫通して出来た穴だとされています。
- 阪急神戸三宮駅:ホーム天井に焼夷弾の貫通痕、熱線で曲がった柱
- JR-阪急連絡歩道橋:機銃掃射による弾痕
- JR三ノ宮駅:戦前から残る円柱
三宮駅周辺の戦時中と現在の比較
三宮は神戸最大の繫華街で、神戸市最大のターミナル駅でもあり、JR、地下鉄、私鉄などが乗り入れています。このように三宮が発展したのは、第二次世界大戦後の高度成長期以降ということで、映画で見る三宮とは全く違う場所のようですね。清太が持っていたドロップの缶を駅員が投げたのは駅前の草むらでしたが、今ではその面影はありません。
サクマドロップが投げ捨てられた場所
このブログでは、あの「サクマ式ドロップ投げ捨て」が「三ノ宮駅中央口」の設定と記されています。つまり北側(山側)。シーンを見返すと、空き缶が投げ捨てられた先はかなりの草っぱらのようです。
現在の三宮駅周辺は完全に都市化されており、当時の草むらの面影は全く残っていません。しかし、戦後復興の象徴として、この場所の変貌は非常に意味深いものがあります。
SNSでの火垂るの墓・三宮駅関連の投稿
実際に聖地巡礼を行った人々の投稿を見てみると、現地での発見や感動が伝わってきます。
“国鉄時代の面影を残す円柱は今も忌まわしき戦争の傷痕を伝えています。”
この投稿は、現在も残る戦争の痕跡への深い理解を示しており、火垂るの墓の舞台としての三宮駅の重要性を物語っています。
“阪急神戸三宮駅の屋根にはB-29の焼夷弾の貫通痕が残っている。”
このような具体的な戦災痕跡の報告は、聖地巡礼者にとって非常に貴重な情報となっています。実際に現地を訪れることで、映画の世界観をより深く体感できるのです。
“聖地巡礼。映画 火垂るの墓の舞台。ニテコ池【西宮市】”
三宮駅だけでなく、西宮のニテコ池まで含めた総合的な聖地巡礼を行う人々も多く、作品への深い愛情が感じられます。
聖地巡礼で押さえるべき具体的なポイント
実際に火垂るの墓の聖地巡礼で三宮駅を訪れる際の、見逃してはいけない重要なポイントをまとめます。
JR三ノ宮駅での見どころ
- 清太がもたれかかった円柱:中央コンコースにある未補強の円柱
- 駅の全体的な雰囲気:戦後復興を象徴する現代的な外観
- 中央口周辺:サクマドロップが投げ捨てられたとされるエリア
阪急神戸三宮駅での見どころ
- ホーム天井の焼夷弾痕:補修された穴が複数確認可能
- 熱線で曲がった柱:海側ホームで特に顕著
- マルーン色の電車:映画に登場した阪急電車の伝統色
周辺の戦災遺跡
- JR-阪急連絡歩道橋:機銃掃射による弾痕
- 御影公会堂:戦災で内部全焼も外壁が残存
- 石屋川駅周辺:清太と節子が歩いた土手
火垂るの墓と三宮駅の歴史的意義
三宮駅が火垂るの墓で重要な舞台となった理由には、深い歴史的背景があります。
三ノ宮駅は、兵庫県神戸市中央区布引町四丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。神戸市の都心である「三宮」に位置しており、神戸を代表するターミナル駅である。
なぜ三宮駅が戦災孤児の最期の場所となったのか
三宮駅は神戸の交通の要衝であり、多くの人が行き交う場所でした。戦後の混乱期において、行き場を失った戦災孤児たちが自然と集まってくる場所だったのです。『火垂るの墓』は、「省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり……」と書き出され、ラストは三宮駅構内で野垂れ死にした清太が、布引の寺で荼毘に付され、「骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた」と結ばれる。
原作者・野坂昭如の体験と三宮駅
原作者の野坂昭如自身も戦争体験者であり、三宮駅での戦災孤児の実態を実際に目撃していた可能性が高いとされています。作品のリアリティの高さは、こうした実体験に基づいているのです。
現代の三宮駅再開発と戦争遺跡の保存
現在、三宮駅周辺では大規模な再開発が進行中です。戦争の痕跡が失われる危険性も指摘されています。
現在リニューアルの真っ最中で、こんな珍しい光景も見ることが出来ました!重機が上から降ってきそうで怖いです笑という状況で、JR三ノ宮駅のリニューアル計画のニュースがありましたが、ここの柱も無くなってしまうのでしょうかという懸念の声も上がっています。
戦争遺跡保存の重要性
戦争の記憶は年々遠くなるが、よく目を凝らしてみると、普段は何気なく通り過ぎていた身近な場所にも、戦争の凄まじさを今に伝える痕跡が残っているのです。これらの遺跡は、平和教育の観点からも極めて重要な価値を持っています。
まとめ:火垂るの墓の三宮駅、永遠に語り継がれる聖地
火垂るの墓における三宮駅は、単なるアニメの舞台を超えた戦争の記憶を伝える重要な場所です。清太が息を引き取ったJR三ノ宮駅の円柱、焼夷弾の痕跡が残る阪急神戸三宮駅のホーム、機銃掃射の弾痕がある連絡歩道橋。これらすべてが、現在も私たちにあの悲劇的な時代を語りかけています。
聖地巡礼を通じて、私たちは単に作品の世界を体感するだけでなく、戦争の現実と平和の尊さを改めて感じることができるのです。三宮駅周辺の再開発が進む中、これらの戦争遺跡がどのように保存されていくのか、私たち一人一人が関心を持ち続けることが大切です。
火垂るの墓の三宮駅は、過去と現在、そして未来をつなぐ架け橋として、これからも多くの人々に愛され、訪れ続けられることでしょう。清太と節子の物語が私たちに残した教訓を、この場所で改めて心に刻んでいきたいものです。

