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火垂るの墓の池の聖地は?ニテコ池のロケ地を徹底解説!

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火垂るの墓の池の聖地は?ニテコ池のロケ地を徹底解説!

火垂るの墓の池の正体は?ニテコ池が聖地の理由

火垂るの墓において、清太と節子が防空壕で暮らした池は「ニテコ池」です。この池は西宮市満池谷町にある貯水池で、作品中では幼い兄妹が蛍と遊んだ美しい舞台として描かれています。

現在のニテコ池は上・中・下の3つの段に分かれた珍しい構造の池で、西宮市の貯水池として機能しており、桜並木に囲まれた美しい散策スポットとして地元住民に愛されています。

なぜニテコ池と呼ばれるのか?歴史的な名前の由来

室町時代から続く歴史的背景

ニテコ池の名前の由来は、室町時代の西宮神社建設にまで遡ります。室町時代に西宮神社の大練塀を作る際に、この地から真土を採取し、掘り出した跡に水が貯まって池になったと伝えられています。

その掘った土を神社に運ぶ人たちの「ネッテコイ、ネッテコイ」という掛け声(練ってこいの意)からニテコという名前が転訛して付いたという説が有力です。この素朴な由来からは、地域の人々の営みが現在まで受け継がれていることがうかがえます。

江戸時代から確認される池の存在

ニテコ池の存在は古く、江戸時代初期の古地図にも記されています。長い歴史を持つこの池が、野坂昭如氏の戦時体験の舞台となったことで、文学的価値も加わりました。

時代 ニテコ池の状況
室町時代 西宮神社の大練塀建設のため土を採取、池が形成
江戸時代初期 古地図に記載され、存在が確認
昭和初期 越水浄水場の貯水池として利用開始
戦中・戦後 野坂昭如氏の体験の舞台となる
現在 西宮市の貯水池として機能、桜の名所

野坂昭如氏の実体験とニテコ池の関係

52日間の戦時体験の舞台

火垂るの墓の原作者・野坂昭如氏は、1945年6月5日の神戸空襲で焼け出され、西宮の満池谷町にあった親戚宅に1歳2ヶ月の妹と一緒に52日間身を寄せました。この実体験が『火垂るの墓』という不朽の名作を生み出したのです。

野坂氏が実際に逃げ込んだ横穴壕は池の堤の南にあったとされ、近所の社長さんから水をもらっていたという具体的な記録も残っています。

防空壕の実在とアニメ版の違い

アニメ版で描かれた横穴壕は下段の池のほとりにあったとされ、昭和40年代まで実際に残っていました。しかし、アニメで描かれた兄妹が暮らした防空壕の位置と、実際の野坂氏が利用した防空壕の場所は少し異なっているということも明らかになっています。

火垂るの墓記念碑の建立とその意義

地域住民による記念碑建立プロジェクト

2015年に野坂昭如氏が亡くなった後、満池谷町在住の土屋純男氏と川東町の歴史研究家二宮一郎氏が調査を続け、「火垂るの墓記念碑建碑実行委員会」を2017年12月に結成しました。

戦後75年という節目の年である2020年6月7日に、1,500名近くの個人・団体からの寄付により、西宮震災記念碑公園の一角に記念碑が建立されました。これは西宮市で初の文学碑となる歴史的な出来事でした。

記念碑の詳細とデザイン

記念碑は御影石を使用し、主碑はサクラ御影、周囲は丹波鉄平石で構成され、台座は2冊の本をイメージしたデザインになっています。また、碑の傍らには「アンネのバラ」が植えられ、戦争に翻弄された清太と節子への癒しと恒久平和への祈りが込められています。

聖地巡礼で訪れるべきポイント

ニテコ池へのアクセス方法

阪急苦楽園口駅下車、東へ徒歩10分でニテコ池に到着できます。満地谷町は高低差があり、高級住宅街としても知られているエリアです。

  • 最寄り駅:阪急甲陽線苦楽園口駅
  • 徒歩時間:約10分
  • 住所:西宮市満池谷町11
  • 特徴:上・中・下3段構造の貯水池

周辺の関連スポット

ニテコ池周辺には、火垂るの墓に関連する複数のスポットが点在しています。

スポット名 関連内容 現在の状況
西宮震災記念碑公園 火垂るの墓記念碑の設置場所 2020年6月建立、見学可能
満池谷町住宅街 野坂氏の親戚宅があった地域 現在は住宅街として発展
名次神社 池の北西部にある歴史ある神社 万葉集にも詠われた名勝地
越水浄水場 春の桜の名所 期間限定で一般開放

現在のニテコ池の環境変化

蛍の復活プロジェクト

残念ながら水の汚染のためホタルは姿を消してしまいましたが、夙川沿いの環境を守りホタルの飛び交うきれいな川に戻そうとする運動が進み、現在は苦楽園口駅の北側でホタルが確認できるようになっています。

桜の名所として生まれ変わり

ニテコ池は阪神・淡路大震災のときに大きく崩壊しましたが、修理され、現在は桜の名所として多くの人に愛されています。中池にある取水塔は洒落た形をしており、甲山を背景にした美しい景観を作り出しています。

SNSでの火垂るの墓・ニテコ池の話題

聖地巡礼。映画 火垂るの墓の舞台。ニテコ池【西宮市】

このように、多くの火垂るの墓ファンがニテコ池を聖地として訪れ、SNSでその体験を共有しています。実際の池の美しさと、作品への思いが交錯する特別な体験となっているようです。

国鉄時代の面影を残す円柱は 今も忌まわしき戦争の傷痕 を伝えています

聖地巡礼では、ニテコ池だけでなく三ノ宮駅など他のロケ地も含めて回ることで、より深い作品理解が得られるという投稿も多く見られます。

火垂るの墓の碑建立の実行委員長・土屋純男さんは「私が西宮に住み始めた頃には、もっとアニメの風景が感じられました。毎年、家族そろってアニメを見るのが楽しみでした。」と振りかえられていました

地元の方々の証言からは、時代と共に変化する風景の中で、記憶と記録を残すことの重要性が伝わってきます。

文化的価値と今後の展望

文学遺産としての意義

土屋さんは「戦後75年を生きる子どもたちには、戦争の悲惨さを伝える前に、配給や空襲といった言葉の意味から丁寧に教える必要がある。戦争を伝える人間がいなくなるからこそ、形に残す意味があると思う」と語っています。

ニテコ池は単なる聖地巡礼スポットを超えて、戦争体験を後世に伝える重要な文化遺産としての役割を担っています。

地域コミュニティの取り組み

記念碑建立をきっかけに、最近ではボランティア団体「陽なたの会」が火垂るの墓の朗読劇を上演する活動も行われています。地域住民の継続的な活動により、作品の価値と平和への願いが次世代に受け継がれています。

聖地巡礼の際の注意点とマナー

住宅街での配慮

ニテコ池周辺は高級住宅街であり、地元住民の生活の場でもあります。聖地巡礼の際は以下の点に配慮しましょう:

  • 大きな声での会話や騒音を避ける
  • 私有地への立ち入りは厳禁
  • ゴミの持ち帰りを徹底する
  • 写真撮影時は周囲への配慮を忘れずに
  • 地元住民への迷惑をかけない行動を心がける

最適な訪問時期

ニテコ池は桜の名所としても知られているため、春の桜シーズンは特に美しい景観を楽しめます。また、越水浄水場では珍しい種類の桜(江戸彼岸、大島桜、大白など)が植えられており、期間限定で一般公開されています。

まとめ:火垂るの墓の池が持つ普遍的な価値

ニテコ池は、野坂昭如氏の実体験に基づく『火垂るの墓』の重要な舞台として、文学史上特別な意味を持っています。室町時代から続く歴史、戦時中の悲劇的な体験、そして現在の平和な姿まで、この池は時代の変遷を静かに見つめ続けてきました。

2020年に建立された記念碑は、地域住民の平和への願いと、戦争体験を後世に伝えたいという強い思いの結晶です。現在も多くの聖地巡礼者が訪れ、作品への理解を深める場として機能しています。

火垂るの墓ファンにとってニテコ池は、作品の世界観を肌で感じられる貴重な場所です。美しい桜並木に囲まれた現在の姿と、作品に描かれた戦時の記憶を重ね合わせることで、平和の尊さと生命の尊厳について深く考える機会を与えてくれます。

聖地巡礼を通じて、私たちは過去から現在、そして未来へと続く平和への願いを新たにすることができるのです。ニテコ池という小さな池が持つ大きな意味を、ぜひその場で感じてみてください。

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