千と千尋の神隠し:千尋は生理だった?あ、あのシーンか。。

キャラクター

人によって違いがありますが、人生初の生理を経験して戸惑う方は少なくないと思います。痛みだけでなく、体の変化に焦ったり恐怖を感じたりすることもあるでしょう。
千と千尋の神隠しにも、千尋が初潮を迎えたのではないかと想像させるシーンがあります。千尋の気持ちを考察してみました。

お腹を抱えて苦しむシーンが有力

千尋のお世話をしているリンとのシーンで、とつぜん千尋が痛そうな顔でお腹を抱える場面が出ています。最初から最後までその原因は明かされませんでしたが、千尋の年齢を考えた時にその可能性があることや、痛みを大げさに口にしなかったことからそれが想像できます。

生理を迎えてしまったであろう時の千尋の心境は?

もし、すでに生理を経験しているなら、独特の鈍い痛みがそれであると分かったことでしょう。しかしながら、この場所に普段使用しているアイテムがあるとは到底思えません。千尋は、どうやって対処すれば良いのか、そこについて不安に思ったことでしょう。

初潮だった場合は、初めて経験する痛みに驚いたかもしれません。映画ではうずくまるほどの痛みを我慢しているわけですから。親からある程度の知識は得られていたはずなので、「もしかしたら……」と焦りながらもイメージしたはずです。ただし、お母さんはブタにされているので相談することはできません。誰に打ち明けるべきか悩んだことでしょう。

生理に関しては、女性同士でも話しにくいと感じる人もいます。まして、まだ心は子供の千尋。まだ出会ってそれほど時間が経っていないリンに、気軽に話せたとは思えません。きっと、とても心細かったことでしょう。決して望んだわけじゃないのに、不気味で訳の分からない場所にいくはめになったり、両親がブタになってしまったり。まさに、「踏んだり蹴ったり……」の気持ちだったのではないでしょうか。

生理を終えての千尋の変化

昔は、生理が来るとお赤飯を炊いてお祝いしたと言われています。大人の女性になったことを、家族みんなで喜んだのです。今でもこういったお祝いをする家庭はたくさんあります。本来、千尋も同じようにお祝いされたはずですが、状況が状況です。それはできません。きっと、さまざまな感情を味わったはずです。

大人になった喜び

子供から、大人の女性になれた喜びも感じたはずです。生理を経験する前と比較して、体だけでなく心も成長したのではないでしょうか。
「大人になったのだから、もっとしかりしなくちゃ!」、「メソメソしていないで、自分で解決できるようにならなくちゃ!」
嬉しい気持ちが自分の背中を押すかの如く、堂々とした人であろうと考えたことでしょう。

苦難を乗り越えた喜び

頼れる人がいないなか、自分で対処しなければならなかった千尋。不慣れな場所で、なんとか問題を解決することができたことで、大きな自信を得たことが想像できます。そこには、「自立」できた喜びもあったことでしょう。この苦難を乗り越えた体験が、「自分なら、きっと何でも乗り越えられる」という強さに変わったのです。

希望

見た目はあまり変わらなくても、これまでとは大きく変化しています。この先、今まで知らなかった素敵なことが待っているのではないかという期待も、感じられたのではないでしょうか。
生まれ変わったような新鮮な気持ちが、今まで不安だった日々に希望をもたらしたかもしれません。

このシーンを通して監督は何を伝えたかったのか?

その時は、意図することなく突然やってくる。千尋が不思議な世界に迷い込んだのも、突然のことでした。決して自ら望んで来たわけではありません。生理になったのも突然のこと。つまり、成長するタイミングやできごとは、望むと望まざると突然やってくるということを伝えたかったのではないでしょうか。
その時、誰でも悲しかろうと腹が立とうと乗り越えるしかありません。嫌々乗り越えたのであっても、その先には必ず素晴らしいものを手にしている自分がいる。強くなった誇らしい自分が立っている。作品を観ている全ての人に、そんな声援を送ってくれたような気がしてならないのです。

タイトルとURLをコピーしました