アニメ映画「火垂るの墓」を観る人の多くが疑問に思うのが、この物語はいつの時代の出来事なのかということではないでしょうか。清太と節子の兄妹が体験した壮絶な戦争体験は、実際にはどの年代に起こった出来事を描いているのでしょうか。


火垂るの墓の時代設定の結論:昭和20年(1945年)の激動の1年間
火垂るの墓の時代設定は、昭和20年(1945年)の春から秋にかけての約1年間です。物語は「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」で始まり、神戸大空襲で兄妹が家を失い、終戦を迎え、そして清太の死までが描かれています。
この年代設定には深い意味があります。昭和20年は太平洋戦争が終結した年であり、日本全国が空襲の嵐に見舞われた最も過酷な時代だったのです。
時期 | 主な出来事 | 清太と節子の状況 |
---|---|---|
昭和20年6月5日 | 神戸大空襲 | 家を失い、母親死去 |
昭和20年8月15日 | 終戦 | 防空壕で2人だけの生活 |
昭和20年8月22日 | – | 節子死去 |
昭和20年9月21日 | – | 清太死去 |
なぜ昭和20年なのか?時代背景に隠された意味
高畑勲監督が昭和20年という時代設定を選んだ理由は、この年が日本にとって最も過酷で激動の1年だったからです。
昭和20年(1945年)は、前年からはじまった本土への空襲の規模がさらに拡大し、東京をはじめとする大都市だけでなく、地方の都市までもが空襲により甚大な被害を受けるようになった年でした。
昭和20年に起こった主要な出来事
- 本土空襲の激化:B-29による無差別爆撃が全国で展開
- 神戸大空襲:3月17日、5月11日、6月5日の3回の大空襲
- 沖縄戦:4月から6月にかけて激戦
- 広島・長崎原爆投下:8月6日と9日
- 終戦:8月15日の玉音放送
神戸大空襲は、尼崎、姫路、明石など兵庫県内の都市を標的にした一連の空爆の中で、最も規模の大きなもので、45年3月17日、5月11日、6月5日と、3回にわたる「大空襲」が行われました。特に6月5日の空襲は、火垂るの墓で兄妹の家が全焼し、母を亡くした空襲のモデルとなっています。
戦時中の昭和20年の社会状況と国民生活
昭和20年の日本は、戦争による極度の物資不足と社会混乱の中にありました。この時代背景を理解することで、清太と節子が置かれた状況の深刻さがより明確になります。
食糧事情の悪化
太平洋戦争は日本にとっては、国力の限界をはるかに超えた大規模な戦争であったから、国内のすべての力を根こそぎ戦争に集中する総動員体制がつくり上げられた状況でした。
特に深刻だったのは食糧不足です。配給制度は機能不全に陥り、多くの家庭が栄養失調に苦しんでいました。清太と節子が栄養失調で命を落とすという悲劇は、当時の一般的な現実だったのです。
社会秩序の混乱
空襲による家屋の焼失、家族の離散、疎開など、昭和20年は日本社会の基盤そのものが根底から揺らいだ年でした。親戚の叔母が清太と節子を冷たくあしらうのも、この時代の厳しい現実を反映しています。
神戸を舞台にした理由と地域的特徴
火垂るの墓が神戸を舞台にしたのには、原作者・野坂昭如の実体験が大きく関わっています。野坂自身の戦争体験を題材とした作品で、兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとする物語として描かれました。
神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に2月4日の無差別焼夷弾爆撃は後の東京大空襲に始まる市街地絨毯爆撃の実験的なものとされています。
神戸が標的になった理由
- 軍需工場の集中:川崎造船所、三菱造船所、神戸製鋼所
- 国際貿易港:軍需輸送の中心地
- 戦略的重要性:関西圏の物流拠点
これらの要因により、神戸は東京に次いで空襲回数が多い都市となり、清太と節子のような戦災孤児が数多く生まれる背景となりました。
SNSで話題の火垂るの墓時代考察
「火垂るの墓の清太が死んだ昭和20年9月21日って、終戦からわずか1か月後なんだよね。戦争は終わったのに、戦争孤児の悲劇は続いていたという現実が胸に刺さる」
この投稿は、戦争が終わっても平和がすぐに訪れるわけではないという重要な視点を提示しています。清太の死は終戦後であり、戦争の傷跡が長く続く現実を象徴しています。
「昭和20年って、サツキ(トトロ)と節子が同じ年に生まれたことになるんだよな。運命の残酷さを感じる」
サツキと節子が同じ年(昭和16年)生まれという設定を考えると背筋が凍りそうになる。同じ国で同じ時期に起きた物語なのに、彼らの表情はあまりにも対照的という指摘は、時代設定の持つ意味の深さを物語っています。
「火垂るの墓を観ると、昭和20年という年がいかに特別で過酷な1年だったかがよくわかる。現代に生きる私たちは、この時代を忘れてはいけない」
この感想は、火垂るの墓が単なるアニメーション作品を超えた歴史的記録としての価値を持っていることを示しています。
昭和20年の時代考証の精密さ
高畑勲のリアリズム志向により、1945年(昭和20年)当時の風景が忠実に再現された。戦時下の風景をどう描写するかが製作スタッフの課題だったため、事前に原作者の野坂昭如の案内で西宮市や神戸市でロケハンが行われたほど、時代考証に力を入れています。
時代考証の具体例
- 建物や街並み:昭和20年当時の日本家屋を忠実に再現
- 小道具:サクマ式ドロップス、マーマ人形など実在の品物
- 服装:戦時中の国民服や防空頭巾
- 言葉遣い:当時の関西弁や敬語の使い方
これらの細部への配慮が、観る者に昭和20年という時代をリアルに体感させる効果を生み出しています。
時代設定が持つメッセージ性
昭和20年という時代設定は、単なる歴史的背景以上の深いメッセージを含んでいます。著者の野坂はポプラ文庫のあとがきで、「この本を読んで、戦争を考えてください。戦争について、喋り合ってください。喋り合うことが大事です」と述べています。
この時代設定には以下のような意図が込められています:
- 戦争の実相を伝える:理想化されがちな戦争の現実を赤裸々に描く
- 平和の尊さを訴える:戦争がもたらす人間の悲劇を通じて
- 記憶の継承:体験者が少なくなる中での証言的価値
現代への警鐘
果たして私たちは、今清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうかという高畑監督の言葉は、昭和20年の悲劇を現代に生きる私たちへの教訓として位置づけています。
まとめ:昭和20年という時代設定の持つ普遍的な意味
火垂るの墓の時代設定である昭和20年(1945年)は、日本の歴史上最も過酷で混乱した1年間でした。神戸大空襲から始まり、終戦、そして戦後復興へと向かう激動の時代の中で、清太と節子の兄妹は必死に生き抜こうとしました。
この時代設定が現代の私たちに伝えるメッセージは明確です。戦争は兵士だけでなく、罪のない子供たちにも取り返しのつかない悲劇をもたらします。清太と節子の物語は、昭和20年という特定の時代の出来事でありながら、同時に平和の尊さを訴える普遍的なメッセージを持っているのです。
私たちは火垂るの墓を通じて、昭和20年という時代を正しく理解し、二度とこのような悲劇を繰り返してはならないという強い決意を新たにする必要があるでしょう。それこそが、清太と節子の魂に報いる唯一の方法なのです。

