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火垂るの墓の原作が抱える問題とは?衝撃的なシーンの真実を徹底解説!

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火垂るの墓の原作が抱える問題とは?衝撃的なシーンの真実を徹底解説!

火垂るの墓の原作が抱える問題とは?衝撃的なシーンの真実を徹底解説!

1988年に公開されたスタジオジブリの代表作「火垂るの墓」。多くの人が涙を流したこの名作には、実は原作に多くの「問題」が潜んでいることをご存知でしょうか?

原作者・野坂昭如が「あれは大嘘である」と語った衝撃的な真実から、映画では描かれなかった残酷な現実まで、火垂るの墓を取り巻く「問題シーン」の全貌を明らかにします。

結論:野坂昭如の「贖罪作品」として書かれた火垂るの墓の真実

「火垂るの墓」の原作は、野坂昭如が自身の戦争体験をもとに1967年に執筆した短編小説ですが、その内容には多くのフィクションが含まれており、原作者自身が後に「大嘘である」と認めています。

最も深刻な「問題」は以下の点にあります:

項目 映画の描写 現実の野坂昭如
妹への態度 優しく献身的な兄 食べ物を奪い、暴力を振るった
親戚の対応 冷酷で意地悪な叔母 実際は親切で面倒見が良かった
生活状況 完全な孤児として描写 母と祖父母は健在だった
死因 栄養失調による悲劇的な死 兄による世話の放棄が原因

野坂昭如自身が「泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあった」と証言しているように、現実の彼は清太のような理想的な兄ではありませんでした。

なぜこのような「問題」が生まれたのか?野坂昭如の深い贖罪の念

1. 原作者が隠し続けた真実

野坂昭如は当初、空襲で養父母と祖母が亡くなったと語っていましたが、実際には養母は重傷を負いながらも生きていました。しかし野坂はその後もこの養母について語ることはありませんでした。

野坂昭如は後年、「自分は、火垂るの墓の清太のようないい兄では無かった。恵子には暴力を振るったり、食べ物を奪ったり」と朝日新聞のインタビューで告白しています。

2. 妹への虐待という暗い現実

原作の最も深刻な「問題シーン」は、野坂昭如が実際に妹に行った行為です:

  • 食べ物の奪取:おかゆを分ける際、自分は底の米粒を食べ、妹には表面の水分だけを与えた
  • 身体的暴力:泣き止まない妹の頭を叩き、脳震盪を起こさせた
  • ネグレクト:十分な看護を施さず、結果的に餓死に至らせた

野坂昭如は「わずかな食糧も貴重だった戦時中、自分の食べ物を優先し、恵子に満足な食事を与えない時もあった」と証言しており、この時「罪の意識はまるでなかった」とも語っています。

3. 宮崎駿が指摘する「構造的な嘘」

宮崎駿監督は「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。あれはウソだと思います。艦長(清太たちの父は海軍大尉)の息子は絶対に飢え死にしない」と厳しく批判しています。

「海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスのエリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです」という指摘は、物語の根本的な設定の矛盾を突いています。

原作の「問題シーン」を具体的に検証

シーン1:妹の粉ミルクを飲むエピソード

原作には、清太があまりの空腹から節子の粉ミルクを飲んでしまう描写がありますが、野坂昭如はこれについて「実話だそうです」と認めています。

このシーンは映画でも描かれていますが、現実はより深刻でした。野坂昭如は継続的に妹の分の食糧を奪っていたのです。

シーン2:親戚の家での生活

原作では、小母さんが「父の従弟の嫁の実家」という血縁関係のない遠い親戚であることが明記されていますが、映画では「遠い親戚」としか説明されていません。

しかし現実の親戚は「そんなに嫌なやつではなかった」そうで、「ひどい扱いを受けることなく、しっかり養ってもらった」と野坂昭如は証言しています。

シーン3:妹の死の瞬間

映画では清太が池で泳いでいる間に節子が死んでいる設定ですが、これも原作とは異なる演出です。

現実では「やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死している」状況で、野坂昭如は妹の最期に立ち会っていませんでした。

SNS・WEBで話題になっている投稿を分析

「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ、ぼくはあんなにやさしくはなかった」(野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』新潮文庫、P270)

引用:Twitter投稿より

この投稿は野坂昭如の贖罪の念を如実に表しており、多くのリツイートを集めています。作品の真の意図を理解する上で重要な証言です。

火垂るの墓の清太と節子のお父さんだけど、海軍将校だよね?少なくとも陸軍将校よりは給料貰ってたんじゃないかな?

引用:Twitter投稿より

この指摘は宮崎駿監督の批判と同じ視点で、清太たちの社会的地位の高さを疑問視しています。実際、海軍大尉の家族が完全に孤立することは考えにくいのです。

現代だと7000円は1000万以上の価値があるそう。え!現代にするとすごい価値があったんだね!

引用:Twitter投稿より

映画で描かれた母親の貯金7000円の現在価値について言及した投稿。これだけの資産がありながら餓死するという設定の不自然さを指摘しています。

「自分は、火垂るの墓の清太のようないい兄では無かった。・・・恵子には暴力を振るったり、食べ物を奪ったり・・・」「泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあった」

引用:朝日新聞 1969年2月27日号

野坂昭如の衝撃的な告白を引用した投稿。現在でも多くの人がこの事実を知らないため、大きな反響を呼んでいます。

火垂るの墓、放送禁止はあのシーンが原因?放送されない理由が激ヤバ

引用:シネパラ記事より

最近の放送自粛について言及した記事。サクマドロップスの商標権問題など、作品を取り巻く現代的な「問題」も存在しています。

高畑勲監督が込めた真の意図

高畑勲監督は「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」と語っています。

高畑監督の真の狙いは、「清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか」という現代社会への問題提起にありました。

「現代の少年のタイムスリップ」という設定

高畑監督は清太少年について「まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならない」と語っており、これは意図的な設定だったのです。

この視点から見ると、清太の「わがまま」に見える行動や、親戚との関係悪化も、現代的な価値観を持った少年の必然的な結果として理解できます。

原作の「問題」が現代に投げかける意味

戦争責任と個人責任の境界

「清太の行いが自己責任かどうか」という議論が現在も続いていますが、これこそが作品の核心的な「問題」です。

野坂昭如の実体験を知ることで、戦争が個人をどこまで追い詰めるかがより鮮明になります。14歳の少年が妹を守りきれなかったのは、個人の責任なのか、それとも戦争というシステムの責任なのか。

美化された記憶の危険性

「十分な生活を送れない二人を追い出すような形になった叔母が悪い」という意見と、「叔母も生活が苦しい立場にあり、家庭の助けとなれなかった清太に責任がある」という両方の見方が存在します。

しかし現実では、親戚は決して悪人ではありませんでした。この事実は、戦争体験の「美化」や「悪役化」がいかに危険かを示しています。

原作者・野坂昭如のその後の苦悩

一生背負い続けた罪悪感

野坂昭如は小説『火垂るの墓』を「出版社に急かされて仕方なく書いて」おり、「特に思い入れもなく喫茶店で書き上げ、編集者に渡したきり一回も読んでいない」とされています。

この態度の背景には、自分の過去と向き合うことの辛さがありました。作品が評価されるほど、自分の実際の行いとの乖離に苦しんだのです。

映画化への複雑な思い

野坂昭如は映画の完成度に驚き、「ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった」と記しています。

しかし同時に、理想化された清太の姿を見ることは、自分への厳しい問いかけでもありました。

現代における「火垂るの墓問題」の意義

原作の「問題」を知ることで、私たちは以下の重要な教訓を得ることができます:

  1. 戦争体験の複雑さ:戦争は被害者と加害者を明確に分けられない複雑な状況を生み出す
  2. 記憶の再構築:人間は辛い記憶を無意識に「美化」や「悪化」させて処理する
  3. 贖罪の形:芸術作品が個人の贖罪の手段となり得る
  4. 現代性の危険:現代的価値観を過去に適用することの問題

まとめ:火垂るの墓の真の価値とは

火垂るの墓の「問題」は、作品の価値を下げるものではありません。むしろ、原作者・野坂昭如の深い贖罪の念と、監督・高畑勲の現代への警鐘が重なることで、より深い意味を持つ作品となっています。

野坂昭如が「あれは大嘘である」と語った原作の問題は、戦争の本当の恐ろしさ——人間を人間でなくしてしまう力——を私たちに教えてくれます。

清太の理想的な兄としての姿は、野坂昭如が「こうありたかった」と願った姿の投影であり、同時に私たち現代人への問いかけでもあります。果たして同じ状況で、私たちは清太のように振る舞えるでしょうか?

原作の「問題シーン」を知ることで、火垂るの墓はより重層的で、現代的な意味を持つ作品として新たな光を放ちます。戦争の記憶を語り継ぐ際に、美化や単純化ではなく、複雑さと矛盾をも含めて伝えることの重要性を、この作品は私たちに教えてくれているのです。

1967年の執筆から半世紀以上が経過した今も、火垂るの墓が多くの人に愛され続けているのは、この複雑さと普遍性があるからこそなのでしょう。

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