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火垂るの墓の清太の幽霊はなぜ観客を見つめるの?カメラ目線の理由を徹底解説!

火垂るの墓はなぜ幽霊が観客を見つめるの?理由を徹底解説! 火垂るの墓情報
火垂るの墓はなぜ幽霊が観客を見つめるの?理由を徹底解説!

火垂るの墓の幽霊が観客を見る理由【結論】

火垂るの墓で清太と節子の幽霊が観客を見つめる理由は、現代を生きる私たちに戦争の悲惨さを伝え、過去の記憶を忘れないでほしいという高畑勲監督からのメッセージです。

この作品における幽霊は、単なる演出ではありません。清太の霊は、戦後40年が過ぎた現代でも、いまだにあの場所に留まっていて、自分の人生最後の3ヶ月間を、何千回も、何万回も、何億回もリプレイして苦しんでいる状態として描かれています。

つまり、清太と節子は成仏することができず、現代の観客と同じ時間を共有しているのです。彼らが観客を見つめることで、戦争の記憶が過去のものではなく、現在進行形の問題であることを表現しています。

なぜ高畑勲監督は幽霊を観客に向かわせたのか

現代との接点を作るため

本作の製作発表で、高畑は「この物語は戦時中だけの話ではなく、現代にも続く」ということを語っていた。このため本作のラストでは、幽霊の清太と節子が丘の上から現代の神戸の夜景を眺めるシーンが描かれていることからも分かるように、監督は意図的に現代と戦争体験を繋げようとしました。

幽霊が観客を見るシーンは、「あなたたちと同じ時代を生きている」というメッセージを込めています。戦争は遠い昔の出来事ではなく、現代人にとっても身近な問題として捉えてほしいという願いが込められているのです。

客観的な視点の提供

本作はいきなり主人公の死から始まることで、観客は”本作は幸福な結末がない”ということを冒頭で知らされる。続けて、幽霊となった清太が自分の最期を眺めているという二重構造により、客観的な視点が加えられているのです。

この構造により、観客は清太と節子の幽霊と同じ立場で物語を見ることになります。幽霊が観客を見つめることで、「あなたも彼らの運命を見届ける証人になってください」という無言のメッセージを伝えています。

幽霊の視線に込められた制作陣のこだわり

特殊な赤色による表現

生きていた頃の自分を見つめる清太と節子の”幽霊”が登場するシーンは、特殊な赤色が使われています。色彩設計を担当した保田道世氏は、高畑監督から阿修羅の写真集を見せられて、「阿修羅のごとくにして欲しい。内面から発光するような感じがほしい」と言われました。

この赤い色彩は、幽霊であることを表現すると同時に、苦しみや怒り、そして強い思いを象徴しています。観客を見つめる時のこの色彩表現により、彼らの強い感情が直接観客に伝わる仕組みになっているのです。

現代の駅から過去への導入

「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と清太の幽霊が言った後、駅構内の柱が映るんですけど、この時、手前に何かが映ってるんですよね。これは戦前に作られたものじゃありません。これ、実は灰皿なんですよ。それも”現代的にデザインされた灰皿”なんです。

このように、現代の三宮駅から物語が始まることで、幽霊たちが現代に生きていることを暗示し、観客との距離を縮めているのです。

海外でも理解される幽霊の視線の意味

世界共通の感動

2024年9月にNetflixで世界190カ国に配信された際、映画を観てこんなに泣いたのは初めてです。誰もが一度は観るべき映画だけど、もう一度観たいとは思えないという海外の反応が多数寄せられました。

幽霊が観客を見つめるシーンは、言語や文化を超えて理解される演出として機能しています。海外の視聴者も、その視線に込められた深い意味を感じ取っているのです。

現代の戦争との類似点

「清太と節子が現在のガザのようだ」といったさまざまな声が寄せられていますように、現代の紛争地域の子どもたちと重ね合わせる反応も見られました。幽霊の視線は、戦争の普遍的な悲劇を伝える効果を持っているのです。

具体的なシーンでの幽霊の視線演出

冒頭での出会いのシーン

冒頭のシーンで兵隊さんが清太の遺体から取ったドロップ缶を草むらに投げた後、そこから節子が現れて清太と幽霊として再会するところがもう涙誘うポイントです。

このシーンで、節子の幽霊が初めて現れ、観客と視線を交わす瞬間があります。彼女の純真な瞳は、観客に対して「私たちのことを忘れないで」と訴えかけているのです。

シーン 幽霊の視線の意味 観客への効果
冒頭の再会 記憶の共有の開始 物語への導入
回想中の視線 過去の証人としての立場 感情移入の促進
ラストの現代を見つめる場面 現代への警鐘 深い考察への誘導

電車での移動シーン

主人公と節子が汽車に乗り、窓の外を見つめる。汽車の中は赤黒い背景だ。戦争が終わったばかりなのに、外には空襲を受けている町が見え、外の背景が赤黒い。これは既にこの世では無くなっていることを暗示している。

この電車のシーンでは、幽霊たちが窓越しに観客を見つめる瞬間があります。彼らの視線は、「一緒に過去を振り返ってください」という誘いの意味を持っています。

SNSやWEBで話題になった幽霊の視線に関する投稿

「幽霊になった兄貴とせっちゃんが回想してる設定なのに気づいたの中学か高校くらいの時だった… #火垂るの墓」

引用:https://togetter.com/li/1217804

この投稿は、多くの視聴者が後になって幽霊の視線の意味に気づくことを示しています。子どもの頃は単純に悲しい話として受け取っていたが、成長してから深い意味を理解するという体験は多くの人に共通しています。

「劇中、幽霊となった主人公が時折、出てきます。これは、死後、自分の過去を思い出しているわけですが……。自分がどんな想いで、死んでいったかを繰り返し回想しているらしいです。死んでもなお、苦しみ続けているという事らしいです。 #火垂るの墓」

引用:https://togetter.com/li/1217804

この解釈は、幽霊が成仏できない理由について言及しています。彼らが観客を見つめる理由は、自分たちの苦しみを理解してもらいたいという切実な願いなのです。

「ラストで幽霊になった清太と節子が現在の街を見下ろすシーンでどよんとした気持ちになって終わる もう成仏させてあげてよ…死んだ後くらい安らかにねむらせてあげてよ何も悪いことしてないじゃんよ… #火垂るの墓」

引用:https://togetter.com/li/1217804

この投稿は、観客の多くが感じる複雑な感情を表現しています。幽霊が成仏できない理由について考えさせられ、同時に彼らへの同情心が湧き上がることを示しています。

「映画のラスト、清太と節子の幽霊は現代の神戸の街を見下ろします。「火垂るの墓」は戦時中の物語ですが、清太の選択は煩わしい人間関係を敬遠しがちな現代人に通じるものだという高畑監督の意図が込められているようです。 #火垂るの墓」

引用:https://togetter.com/li/1217804

この投稿は、監督の真の意図について言及しています。幽霊の視線は単なる同情を誘うものではなく、現代人への警告としての側面も持っているのです。

「幽霊として節子と清太が一緒に過ごしているのある意味幸せなハッピーエンドなのではと思ってしまう… これがメリーバッドエンドってやつか #火垂るの墓」

引用:https://togetter.com/li/1217804

この複雑な感情を表現した投稿は、幽霊の視線が持つ二面性を示しています。悲しみと同時に、兄妹が再び一緒にいられることへの安堵感も含まれています。

別の角度から見る幽霊が観客を見つめる理由

心中物としての構造

野坂:かなりの悲劇であると同時に、一方ではたいへん幸せな境遇でもある。清太としては、世界中で二人っきりの天国を築こうとしてるわけですという原作者の言葉からも分かるように、この作品は心中物としての性格を持っています。

幽霊が観客を見つめるのは、「私たちは一緒にいられて幸せです」というメッセージでもあります。しかし同時に、「でも私たちのような悲劇を繰り返さないでください」という願いも込められているのです。

成仏できない理由

人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思いますという高畑監督の言葉が示すように、彼らは永遠に過去に囚われた状態にあります。

幽霊が観客を見つめる理由は、「私たちの記憶を受け継いでください」という願いです。彼らが成仏するためには、現代を生きる人々が戦争の記憶を忘れずにいることが必要なのかもしれません。

現代社会への批判

清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子どもたちとどこか似てはいないだろうかという高畑監督の分析があります。

幽霊の視線は、現代人の生き方への問いかけでもあります。「人間関係を避けて生きることの危険性」を、彼らの悲劇を通して伝えようとしているのです。

まとめ:幽霊の視線に込められた普遍的なメッセージ

火垂るの墓で清太と節子の幽霊が観客を見つめる理由は、単なる演出効果を超えた深い意味があります。

  • 戦争の記憶を現代に繋げる役割
  • 観客を物語の証人とする効果
  • 現代人への生き方の警鐘
  • 普遍的な家族愛の表現
  • 平和への願いの込められたメッセージ

幽霊の視線は時代を超えて、すべての観客に「あなたたちと同じ時間を生きている」ことを伝え、戦争の悲劇を忘れないでほしいという切実な願いを表現しているのです。

高畑勲監督が込めたこの演出は、現在でも世界中の人々の心を揺さぶり続け、平和の大切さを訴え続けています。彼らの視線を受け止め、その意味を理解することこそが、現代を生きる私たちにできる最も重要なことなのかもしれません。

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