火垂るの墓といえば、兵庫県神戸市・西宮市を舞台にしたアニメ映画として広く知られています。しかし、原作者の野坂昭如氏にとって、福井県は物語の原点となった極めて重要な場所なのです。多くの人が知らないこの事実について、徹底的に解説していきます。


火垂るの墓と福井の関係:野坂昭如の実体験が物語の原点
結論から申し上げると、火垂るの墓の物語は、野坂昭如氏が福井県春江町で妹を亡くした実体験が基になっています。アニメでは神戸・西宮を舞台として描かれていますが、実際に妹が命を落としたのは福井県の疎開先でした。
野坂昭如氏は1945年の神戸大空襲で養父を亡くした後、下の妹を疎開先の福井県春江町(現坂井市)で栄養失調により失っています。後に福井県で妹を亡くした経験から贖罪のつもりで『火垂るの墓』を記したのです。
福井県春江町江留上地区:物語が生まれた土地の詳細
JR春江駅から徒歩10分ほどの市街地、福井県坂井市春江町江留上地区が野坂氏が疎開した場所です。この地域は歴史的にも興味深い変遷を辿っています。
時代 | 状況 |
---|---|
平安時代(823年) | 人里としてのルーツが始まる |
明治5年(1872年) | 農家50戸の小集落 |
大正~昭和初期 | 「春江ちりめん」の織物産地として急激に発展 |
昭和20年8月 | 野坂昭如氏が疎開、妹が亡くなる |
大正から昭和にかけ「春江ちりめん」の織物産地として人口が急増し激変、工場が建ち、学校ができ、商店が並び一気に市街地化しました。まさにこの繁栄期の終戦間際に、野坂氏は疎開してきたのです。
実在する関連スポット:小説に登場する「黄楊の櫛」を買った店
福井における最も重要な関連スポットは、「鈴木万屋(まんや)」です。「荒物屋で貝に柄をつけたしゃもじ、土鍋、醤油さし、それに黄楊(つげ)の櫛(くし)十円で売ってたから節子に買ってやり―」という火垂るの墓の一節で、妹のために「黄楊の櫛」を買い求めたのが、江留上本町にある書籍・文房具店の「鈴木万屋」でした。
大正時代に、春江ちりめん工場の女性従業員向けに化粧品などを扱う小間物屋として開業した鈴木万屋は、野坂氏が2002年にテレビ番組で店を訪れた際、「くしを扱っていたか」と尋ねられた店主の鈴木英雄さん(68)が「扱っていました」と答えると、「はっきり思い出した」と語ったという貴重な証言が残されています。
野坂昭如の福井での実体験:小説と現実のギャップ
野坂氏の福井での体験は、アニメや小説で美化されたものとは大きく異なっていました。疎開先でも十分な食糧や医療を確保できず、野坂少年(当時14歳)は幼い妹・恵子の世話を満足に行うことができませんでした。結果として、妹は深刻な栄養失調に陥り、そこで命を落とすことになります。
実際にはこの福井での生活環境こそが「決定的な孤立」を生み出し、妹を救う手立てがほとんどないまま死に至らしめた要因でした。
野坂氏の自責の念
野坂は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には、兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたことを認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったという。
「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。」と野坂氏は後年語っています。
福井での最期の日々:妹の死と火葬の記録
野坂氏の自伝的小説「行き暮れて雪」には、「福井駅から二つ目のH町」の廃業した機屋の1軒に住み着いたとあります。鈴木さんは「広照寺(江留上昭和)で涼んでいたようで、おそらく江留上日の出で暮らしていたのでは」と語っています。
8月22日、栄養失調で妹が亡くなり、当時墓地だった今の旭公園(江留上旭)で火葬。野坂氏は30日、遺骨を入れたドロップの缶を持って江留上を離れたという記録が残されています。
SNSでの火垂るの墓と福井に関する投稿
「野坂昭如氏が妹と死別した場所が福井県だったなんて知らなかった。アニメで見る神戸のイメージばかりが強いけど、実際の体験はもっと複雑で悲しい現実があったんですね。」
引用:Twitter投稿より
この投稿は、多くの人が感じている驚きを代弁しています。アニメの印象と実体験のギャップに多くの人が衝撃を受けているのがわかります。
「火垂るの墓の黄楊の櫛を買った店が福井に今でもあるって聞いて、実際に行ってみたい。リアルな歴史を感じられそう。」
鈴木万屋への関心を示す投稿です。実際に小説に登場するアイテムが購入された場所が現存することに、ファンは大きな関心を寄せています。
「野坂昭如さんの福井での体験を知ると、火垂るの墓の見方が変わる。美化された物語の裏に隠された現実の厳しさを感じます。」
引用:note記事より
この投稿は、福井での実体験を知ることで作品への理解が深まることを表しています。多くの読者が、この事実を知ることで新たな気づきを得ているようです。
福井と神戸:二つの故郷が持つ異なる意味
野坂昭如氏にとって、福井と神戸は全く異なる意味を持つ土地でした。
- 神戸:養子として育った故郷、空襲により失った家族の思い出の地
- 福井:疎開先として赴いた土地、妹を失った贖罪の原点
野坂自身の戦争体験を題材とした作品で、兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その願いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描く物語として知られる火垂るの墓ですが、実際の体験地である福井の存在を知ることで、作品の理解はさらに深まります。
現在の福井県春江町:聖地としての価値
現在の福井県坂井市春江町江留上地区は、1595世帯、3703人(10月31日現在)が住む地域として発展を続けています。
火垂るの墓ファンにとって重要な聖地となっているこの地域では:
- 鈴木万屋が現在も営業を続けている
- 野坂氏が過ごした機屋跡地の推定地がある
- 妹を火葬した旭公園が現存している
- JR春江駅から徒歩でアクセス可能
野坂昭如の複雑な心境:故郷への思い
野坂昭如氏は「火垂るの墓は私小説という体裁をとっているけれど、書いている内に、公開されることを前提に書かれた日記と同じように、自分の事をそのまま上げて書いているのではなくて、ずいぶん自分を飾って書いている。だから僕はこれが(火垂るの墓)読めない」と語っています。
この複雑な心境は、福井での実体験と小説での美化された描写との間にある大きなギャップから生じています。「自分を飾っているだけに飾っている部分の虚構の部分で、それは小説なんでしょうけれど、その部分が僕自身に槍のように突き刺さってくる」という言葉からも、その苦悩の深さが伺えます。
まとめ:福井が教えてくれる火垂るの墓の真実
火垂るの墓における福井の存在は、単なる疎開先以上の重要な意味を持っています。野坂昭如氏の人生観を決定づけた場所であり、物語創作の原動力となった贖罪の地なのです。
アニメや映画で描かれる美しい兄妹愛の物語の背景には、福井での過酷な現実体験があり、それを知ることで作品への理解は格段に深まります。神戸・西宮の聖地巡礼に加えて、福井県春江町を訪れることで、火垂るの墓の真の意味を体感することができるでしょう。
野坂昭如氏が生涯背負い続けた贖罪の念と、それを昇華させた不朽の名作の原点を、ぜひ福井の地で感じ取っていただきたいと思います。現在も鈴木万屋をはじめとする関連スポットが残されており、ファンにとって貴重な聖地となっているのです。

