火垂るの墓情報

火垂るの墓の場所はどこ?神戸駅周辺を徹底解説!

火垂るの墓の場所はどこ?神戸駅周辺を徹底解説! 火垂るの墓情報
火垂るの墓の場所はどこ?神戸駅周辺を徹底解説!

火垂るの墓の舞台は神戸市と西宮市の実在する場所

火垂るの墓の舞台について結論から言うと、兵庫県神戸市と西宮市の実在する場所が詳細に描かれています。特に重要なのがJR三ノ宮駅(神戸駅ではありません)、阪急神戸三宮駅、石屋川駅、夙川駅などの駅周辺です。

多くの方が「神戸駅」と混同されがちですが、清太が最期を迎えたのは神戸駅ではなく「JR三ノ宮駅」です。この違いは非常に重要で、聖地巡礼をする際には必ず押さえておきたいポイントです。

なぜ神戸市と西宮市が舞台に選ばれたのか

火垂るの墓の舞台が神戸市と西宮市になった理由は、原作者の野坂昭如氏自身の戦争体験に基づいているからです。太平洋戦争末期の1945年6月5日の神戸空襲で焼け出された野坂さんは、西宮の満池谷町にあった親戚宅を頼ります。

野坂氏が実際に体験した場所だからこそ、映画では実在する建物や道路、駅が精密に描写されています。火垂るの墓は実際の地名がわかりやすく、スタジオジブリの作画力をもって再現された写実的な描写により、場所がどこなのかを特定することが比較的容易なのもこのためです。

火垂るの墓の主要ロケ地を詳細解説

JR三ノ宮駅(神戸駅ではない重要な舞台)

主人公の清太(14歳)が、栄養失調により衰弱死した場所は、JR三ノ宮駅構内(中央口)です。神戸駅と混同されやすいですが、清太が亡くなったのは三ノ宮駅であることを明確に記憶しておきましょう。

清太が最期に凭れていた大きな円柱は、現在もあります。耐震補強で味気も素っ気もなくなった駅の円柱ですが、一本だけ手付かずのものが残っています。他は補強済みなのでこの一本だけがやけに浮いていますが、そもそもこれがオリジナルです。

項目 詳細情報
正式名称 JR三ノ宮駅(※神戸駅ではない)
清太が亡くなった場所 駅構内の大きな円柱
現在の状況 耐震工事済みだが、1本だけ当時の柱が残存
アクセス JR東海道本線(神戸線)三ノ宮駅
特徴 装飾が非常に凝っているコンクリート製の円柱

阪急神戸三宮駅(電車のシーンで重要)

阪急神戸三宮駅が、映画『火垂るの墓』の舞台となっています。JR三ノ宮駅の西隣にあるのが、阪急の神戸三宮駅です。阪急電車の独特な色合いもあり、「火垂るの墓」の時代と現代を比較して、場所がよくわかるシーンの1つです。

映画では、神戸三宮駅で、清太と節子が電車に乗りました。清太と節子は電車で西宮へ向かいながら、生前の神戸空襲の始まりを回想しています。

石屋川駅と御影公会堂

阪神線石屋川駅が、映画『火垂るの墓』の舞台となっています。清太と節子の実家は石屋川の東側・御影にありました。映画で登場した川の上の崩壊した建物が石屋川駅です。今も駅は川の上にあります。

特に重要なのが御影公会堂で、映画で、焼け野原の中に立つ御影公会堂の前を節子を背負った清太が歩くシーンが出てきますが、実際に、御影公会堂は、戦災で外壁を残し内部がほぼ全焼したそうです。

夙川駅(西宮のおばさんの家への移動)

母を亡くした清太と節子は西宮のおばさんに引き取られることになりますが、そこに移動する際に降りた駅が夙川駅でした。夙川駅周辺は、阪神間の中でも屈指の高級住宅街として知られており、特に駅の北西は豪邸が立ち並んでいます。

神戸駅と三ノ宮駅の違いを明確に理解しよう

火垂るの墓ファンが最も混同しやすい点が、「神戸駅」と「三ノ宮駅」の違いです。この違いを正確に理解することが、聖地巡礼の成功に直結します。

駅名 路線 火垂るの墓での役割 距離
JR三ノ宮駅 JR東海道本線(神戸線) 清太が亡くなった場所
JR神戸駅 JR東海道本線(神戸線) 作品には登場しない 三ノ宮駅から約3km西
阪急神戸三宮駅 阪急神戸線 清太と節子が電車に乗った場所 JR三ノ宮駅の西隣

1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線(現在のJR東海道本線(通称・JR神戸線))三ノ宮駅構内で、14歳の若さで衰弱死すると原作にも明記されています。

なぜ神戸駅ではなく三ノ宮駅なのか

昭和6年(1931)に現在のように鉄道線が高架化されましたが、神戸の人の流れを三ノ宮にしたい神戸市の意向もあり、旅客メインは高架化が決まった大正時代から三ノ宮駅ということになっていました。つまり、当時から三ノ宮駅が神戸の中心的な駅だったのです。

また、敗戦直後、たくさんの戦災孤児が清太のように亡くなったのは事実であり、人の往来が多い三ノ宮駅だからこそ、こうした悲劇が実際に起こっていたのです。

戦争の痕跡が今も残る三ノ宮駅

驚くべきことに、三ノ宮駅には現在も戦争の痕跡が残されています。JRのホームが途切れそうな際の鉄板に、無数の孔が開いています。これは腐食で穴が開いたのではなく、米軍戦闘機による機銃掃射の跡なのです。

機銃掃射の痕と思われる孔です。貫通しているかはビミョーですが、明らかに不自然な穴であることがわかります。看板も説明書きもないので、多くの人は気付かずに戦時中の痕跡の前を往来していますが、今もひっそりと残っています。

聖地巡礼者の感動体験談を紹介

実際に火垂るの墓の聖地を訪れた方々の生の声を見てみましょう。

でも、もう今後テレビで放送しないような気がしたから一応録画して後から見てみたんですが一度見だすと、やっぱ見入ってしまうんですよね。そして、もし自分が清太やったらこの状況に耐えられへんやろうな〜とか何とか助かる道は無かったのかなど考えてしまいます。そこで、火垂るの墓の舞台になるエリアをネットで紹介している人もいて、私もちょっと見てみたくなったので数回に分けて回ってみました

引用:https://ameblo.jp/scoopy50/entry-12369981450.html

この方のように、作品を観た感動がきっかけとなって実際の場所を訪れる方が多いのが火垂るの墓の特徴です。

息子が小学5年生のときの夏休みの宿題、覚書。火垂るの墓を初めて見て衝撃を受けた息子。私たちが住む神戸も大空襲があったんだよーって話しつつ、夏休みの宿題のテーマにしようと家族でぶらり散策にいったときの記録

引用:https://4travel.jp/travelogue/11538607

家族での聖地巡礼を通じて、戦争の歴史を次世代に伝える貴重な機会としても活用されています。

そう、そこは、高畑勲監督の『火垂るの墓』のロケ地です。事前に調べた感覚では、わりとコンパクトにまとまっている印象だったんですけど、実際に歩いてみると、広い広い……。『火垂るの墓』のロケ地めぐりは、これにて終了

引用:https://ghibli.jpn.org/went/travel-1/

実際に歩いてみると予想以上に範囲が広いという感想は、多くの聖地巡礼者に共通する体験です。

この映画がこれ程現実の場所を参考に作られていたとは思わなかった。これを見るまであの池は奥池だと思っていました。これを参考に今日は私も聖地巡礼をしたいと思います

引用:https://yamap.com/activities/4778871/article

作品の精密な描写に驚きながら聖地巡礼を楽しむ方の感想です。実際の場所を特定できる精度の高さが火垂るの墓の大きな特徴です。

火垂るの墓の碑建立の実行委員長・土屋純男さんは「私が西宮に住み始めた頃には、もっとアニメの風景が感じられました。毎年、家族そろってアニメを見るのが楽しみでした。」と振りかえられていました

引用:https://nishinomiya-style.jp/blog/2024/11/11/60839

地元住民の方々にとっても、火垂るの墓は特別な意味を持つ作品であることが伝わってきます。

別の視点から見る火垂るの墓の舞台選択

火垂るの墓の舞台が神戸市と西宮市に設定された理由には、地理的な要因も大きく関わっています。神戸の三宮から西宮市にかけてのエリアは、阪神・阪急沿線を使うことで舞台となっている聖地巡礼が比較的容易に可能という利点があります。

また、三宮は神戸最大の繫華街で、神戸市最大のターミナル駅でもあり、JR、地下鉄、私鉄などが乗り入れています。このような交通の要衝だからこそ、戦災孤児が集まりやすく、清太のような悲劇が生まれる舞台として説得力を持つのです。

現代に残る戦争の記憶

石屋川公園には清太と節子の碑が建てられています。火垂るの墓を見て、感銘を受ける方、そしてこの地を訪れる方の多さを物語っています。2020年6月7日、土屋実行委員長をはじめ実行委員会の皆さんのご尽力で除幕式が執り行われました。

これらの記念碑は、単なるアニメの聖地を超えて、戦争の記憶を次世代に伝える重要な役割を果たしています。

まとめ:火垂るの墓の場所は神戸駅ではなく三ノ宮駅周辺

火垂るの墓の舞台について改めて整理すると、最も重要なのは「神戸駅」ではなく「JR三ノ宮駅」が清太の最期の場所だということです。この違いを正確に理解することで、より深い作品理解と meaningful な聖地巡礼が可能になります。

この記事を読んで頂く事で、映画「火垂るの墓」を鑑賞するきっかけになったり、原作(小説)を読んで頂けたり、ロケ地を訪ねたり、戦争のことを、少しでも知ろうという気持ちが芽生えてくれれば、とても嬉しいです。

  • JR三ノ宮駅:清太が亡くなった最重要スポット(神戸駅ではない)
  • 阪急神戸三宮駅:清太と節子が電車で西宮へ向かった場所
  • 石屋川駅・御影公会堂:実家周辺と母との待ち合わせ場所
  • 夙川駅・満池谷町:おばさんの家がある西宮の高級住宅街
  • ニテコ池:清太と節子が最後に暮らした防空壕の場所

これらの場所は今も実在し、当時の面影を残している箇所も多く存在します。毎年、神戸の市民団体が聖地を訪れ作品を知るイベントも開催されています。この活動をきっかけに、最近ではボランティア団体「陽なたの会」が、火垂るの墓の朗読劇を上演する活動も行われています。

火垂るの墓の舞台を訪れることは、単なる聖地巡礼を超えて、戦争の記憶と向き合い、平和の尊さを再確認する貴重な機会となるでしょう。神戸駅ではなく三ノ宮駅を中心とした正確な場所を訪れ、作品に込められた深いメッセージを感じ取ってください。

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