火垂るの墓がグロい理由 ~戦争の現実を描く覚悟~
火垂るの墓は第二次世界大戦(戦争)がテーマで戦争の悲劇を伝えている貴重な作品ですが、あまりにも残酷で悲しく見ていてトラウマを覚える方も少なくありません。この作品に描かれる「グロい」描写は、単なる演出効果ではなく、戦争という極限状況の現実を観客に突きつける重要な意味を持っています。


高畑監督は「泣いたら、『かわいそう』で思考は終わってしまう。泣いてないで、もっと、その先まで考えながら見てほしい」と語り、視聴者にも、厳しいレベルを求める人でした。つまり、作品中の衝撃的な描写は、観客の感情を揺さぶるだけでなく、戦争の本質について深く考えさせるために意図的に配置されているのです。
最もトラウマとされる母親の包帯シーン
火垂るの墓で最も「グロい」と言われるのが、清太と節子の母親が全身やけどを負った後の描写です。病院で清太と節子の母は包帯でぐるぐる巻きにされていました。全身にやけどを負っているので、そうする以外に手の施しようがなかったわけですが、溶けた皮膚に包帯が貼り付き、取れなくなった包帯にはウジがわいていました。
包帯シーンの詳細な描写
全身火傷で焼けただれた皮膚からは、出血もあったのか、包帯にはあちこち血が滲んでいてなんとも痛々しい姿でした。そんなお母さんの姿を目の当たりにした清太もショックが大きすぎ、病院代わりの小学校から逃げ出してしまいます。
包帯も取れない状態で、腕の一部が焼け蛆虫がついており、清太が駆けつける直前に昏睡状態に陥り、そのまま死亡したこの描写は、戦争の現実を容赦なく描いた高畑監督の演出意図が込められています。
描写要素 | 具体的内容 | 演出意図 |
---|---|---|
包帯の状態 | 全身ぐるぐる巻き、血が滲んでいる | 空襲による全身火傷の深刻さ |
皮膚の状況 | 焼けただれて包帯に貼り付いている | 戦争の物理的破壊力の残酷さ |
ウジ虫の描写 | 包帯に湧いている虫 | 医療体制の崩壊と非人間的状況 |
清太の反応 | ショックで逃げ出す | 子どもの心理的ダメージ |
地上波カットの対象となるグロい描写
お母さんが包帯巻かれてるシーンあたりからもう怖くて見れなくて、包帯グルグルでウジが涌いてるお母さんと対面するシーンって地上波で流れるときカットされてることが多くあります。これらの描写がカットされる理由について詳しく見ていきましょう。
放送で問題視される具体的なシーン
- 母親の包帯姿とウジ虫の描写:全身火傷による凄惨な状態
- 節子の衰弱描写:栄養失調により徐々に弱っていく様子
- おはじきを飴と間違えるシーン:飢餓状態の深刻さを示す描写
- 遺体処理のシーン:戦時下の非人間的な扱い
視聴者への配慮で母親の悲惨な姿やウジ虫の描写は、子どもや繊細な視聴者にとってショックが大きい場合があります。そのため、放送倫理上カットされた可能性があります。
「グロい」描写に込められた高畑監督の真意
なぜ高畑監督はこれほどまでに衝撃的で「グロい」描写を作品に込めたのでしょうか。その答えは監督の戦争に対する姿勢にあります。
戦争の本質を伝える表現手法
「放送禁止シーン」とされる描写は、作品が伝えたいメッセージの核心部分に触れています。それは、戦争の非人間性や、無力な人々がどれほど大きな犠牲を強いられたかという現実です。
「火垂るの墓」は人間の本能による行動と、心から生まれる言葉という建前の対比を鮮明に、そして残酷に描きすぎていて圧倒されてしまったという感想が示すように、高畑監督は戦争が人間に与える根本的な影響を描こうとしていたのです。
観客への問いかけとしての「グロさ」
監督が本当に描きたかったのは戦争の残酷さ・・・ではなく、人間が持つ内面の残酷さと悲しさだったという指摘もあります。つまり、表面的な「グロさ」の奥にある人間の本質を問いかける作品として制作されているのです。
視聴者に与える深刻な心理的影響
火垂るの墓の「グロい」描写は、多くの視聴者に長期間にわたるトラウマを与えています。その具体的な影響を見てみましょう。
長期的なトラウマ体験
「数十年前に一度観ただけなのにいまだに覚えている」という声が相次ぎ、小学生のときに観た人の感想として、血のにじんだ包帯で全身が覆われて息も絶え絶えな様子は、10年以上前に一度観ただけにもかかわらず鮮明に思い出せるほど、記憶に残っています。
私には「怖さ」が先にやってきました。ただただ恐怖を感じたのです。『火垂るの墓』は私にとって、どちらかというとホラー映画に分類される。もはやトラウマレベルなので、清太・節子の母が包帯で全身ぐるぐる巻きにされ寝かされていたシーンは夢に見るほどでした。
子どもへの影響の深刻さ
“火垂るの墓、小6の時学校で見て、見る前は授業ないからウキウキしてたけど、お母さんが包帯巻かれてるシーンあたりからもう怖くて見れなくてそっから1ヶ月くらい夜のお風呂とか寝るの怖くてなんなら今でもトラウマで多分一生見れない”
引用:https://twitter.com/x_yk_79nm/status/1837097169043357937
“小学校の頃、強制的に視聴覚室で観せられた『火垂るの墓』です😭 包帯でぐるぐる巻きにされた、お母さんとか……トラウマ体験です( ߹ㅁ߹) 名作だと思いますが、人格形成の時期に強制的にトラウマ植え付けるのは、納得がいきません😭”
引用:https://twitter.com/T50166057/status/1787807772734251350
作品に込められたメッセージ性とグロい描写の必然性
これらの「グロい」描写は、決して視聴者を不快にさせるためのものではありません。高畑監督の深い意図があります。
戦争の現実を伝える使命感
節子の衰弱や命の灯が消えることに至る場面は、観る人に強烈な印象を残します。この描写がなければ、作品の説得力や感情的な重みが大きく削がれるでしょう。特に、戦争の悲惨さを若い世代に伝えるという教育的な観点からも、このシーンの重要性は計り知れません。
「放送禁止シーン」が作品のメッセージに与える影響や、視聴者がこの作品をどのように受け止めるべきかについて、作品が伝えたいメッセージの核心部分に触れています。
原作者野坂昭如の実体験との関連
野坂は、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたことを認めており、その結果として、痩せ衰えて骨と皮だけになった妹は、誰にも看取られることなく餓死しています。「ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった」。
この原作者の実体験が、作品の「グロい」描写にリアリティと切実さを与えているのです。
SNSや専門家の評価
火垂るの墓の「グロい」描写について、様々な意見が寄せられています。
“火垂るの墓で清太が包帯グルグルでウジが涌いてるお母さんと対面するシーンって地上波で流れるときカットされてると思うんだけど、あそこはカットするべきじゃないと思ってる。 アニメとはいえショッキングな映像だけど、戦争の惨さを伝える上で大事なシーンだと思う”
引用:https://twitter.com/nakamura88_/status/1836663859446186469
“「火垂るの墓」の感動的なシーンまとめ. 母親の辛い瞬間や感動を振り返ります。戦争なんて、もー絶対にしちゃいけない。”
引用:TikTok投稿より
現代における意義と課題
火垂るの墓の「グロい」描写は、現代においてどのような意味を持つのでしょうか。
教育的価値と配慮のバランス
視聴者にとって、「火垂るの墓」の「放送禁止シーン」をどのように受け止めるべきかは、大きな課題です。この作品は、単に戦争の悲惨さを描くだけでなく、人間の尊厳や家族愛、そして社会の無力さを問う深いメッセージを含んでいます。
「放送禁止シーン」を含めた作品全体を視聴することで、視聴者は戦争が人々に与えた影響をより深く理解することができます。このシーンを削除すると、作品が持つ本来の力が弱まる可能性があるため、視聴者が自己判断でこのシーンと向き合うことが求められるでしょう。
まとめ ~グロい描写の真の価値~
火垂るの墓の「グロい」描写は、戦争の現実を伝える重要な表現手法として位置付けられます。高畑監督は、観客に安易な感動や同情を求めるのではなく、戦争という極限状況が人間に与える深刻な影響を真正面から描写することで、平和の尊さを訴えかけています。
これらの描写がトラウマを与えることは事実ですが、それは同時に戦争を二度と繰り返してはならないという強いメッセージでもあります。現代の私たちは、これらの「グロい」描写と真剣に向き合い、その奥にある深い意味を理解する責任があります。
火垂るの墓は単なるアニメーション作品ではなく、戦争の記憶を次世代に継承する重要な文化遺産として、その全ての描写に意味があることを忘れてはなりません。「グロい」と感じる感情こそが、平和への願いを新たにする出発点となるのです。

