火垂るの墓の舞台は神戸市と西宮市の実在の場所
火垂るの墓の舞台は、兵庫県神戸市と西宮市にかけての実在する場所です。「火垂るの墓」は、1945年の終戦前後の混乱の時代、兵庫県神戸市・西宮市を舞台として親を亡くした幼い兄妹が必死で生き抜こうとした物語です。


この作品が多くの人に深い感動を与える理由の一つが、実際の地名がわかりやすく、スタジオジブリの作画力をもって再現された写実的な描写により、場所がどこなのかを特定することが比較的容易だからです。原作者の野坂昭如氏の実体験に基づいているため、舞台設定には強いリアリティがあります。
火垂るの墓の舞台が神戸市と西宮市である理由
野坂昭如の実体験が基盤
1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲によって自宅を失い、家族が大火傷で亡くなったことや、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだこと、美しい蛍の思い出など、野坂昭如氏自身の少年時代の経験が物語の基盤となっています。
野坂は幼児期に生母と死別したのち、神戸で貿易商を営んでいた叔母夫婦の養子となったが、前述の神戸大空襲で住んでいた家は全焼。当時14歳だった野坂は1歳の義妹とともに西宮市満池谷町の親類宅に身を寄せたり、あるいはその近くのニテコ池の南側に広がる谷間に10ヶ所ほどあった防空壕で過ごすなどの経験を実際にしている。
制作時のロケハン
アニメ制作では、ロケハンに野坂氏ご自身が同行されたと言う話のようです。ただ、アニメで描かれた兄妹が暮らした防空壕は、一番南側の東側に設定されていますが、実際の場所は少し違っているようです。
野坂氏の実体験 | アニメでの設定 |
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神戸市灘区中郷町で戦災に遭遇 | 神戸市東灘区御影付近 |
西宮市満池谷町の親類宅に疎開 | 西宮市満池谷町のおばさんの家 |
ニテコ池南側の谷間の防空壕 | ニテコ池東岸の防空壕 |
具体的な舞台の場所とその現在の様子
JR三ノ宮駅(神戸駅周辺エリア)
映画の冒頭で兄清太が亡くなったシーンでJR三ノ宮駅が登場しました。清太が最期に凭れていた大きな円柱は、現在もあります。
現在の様子:
- 耐震工事が施され、派手な宣伝が貼られた柱が並ぶ中、ちょっと古めかしい感じがする円柱も何本かあります
- 三宮は神戸最大の繫華街で、神戸市最大のターミナル駅でもあり、JR、地下鉄、私鉄などが乗り入れています
- 清太が持っていたドロップの缶を駅員が投げたのは駅前の草むらでしたが、今ではその面影はありません
阪急神戸三宮駅
清太と節子が電車に乗りました。清太と節子は電車で西宮へ向かいながら、生前の神戸空襲の始まりを回想しています。
三宮のランドマークとも言える超高層ビルで、上層階はホテルとなっています。ただし、舞台の1つである阪急三宮駅(神戸阪急ビル)は阪神・淡路大震災により建物が全壊し、別設計の駅舎が再建されています。
石屋川駅周辺(御影エリア)
阪神線石屋川駅が、映画『火垂るの墓』の舞台となっています。この周辺は、神戸や大阪へのアクセスが便利ですが、駅前周辺には大きな商業ビルはなく、静かな川が流れ、六甲山が見渡せる自然豊かな環境の閑静な住宅地というイメージです。
映画で登場した川の上の崩壊した建物が石屋川駅です。今も駅は川の上にあります。この川が灘区と東灘区の境界となっており、川沿いに遊歩道や公園が整備されています。
御影公会堂
映画では、御影公会堂も登場しています。御影公会堂は、阪神石屋川駅から川沿いに北へ5分程度歩くと到着します。
戦災との関係:
実際に、御影公会堂は、戦災で外壁を残し内部がほぼ全焼したそうです。戦災、震災を乗り越えた奇跡の「御影公会堂」は、国の登録有形文化財に登録されています。
夙川駅周辺(おばさんの家があった場所)
母を亡くした清太と節子は西宮のおばさんに引き取られることになりますが、そこに移動する際に降りた駅が夙川駅でした。夙川駅周辺は、阪神間の中でも屈指の高級住宅街として知られており、特に駅の北西は豪邸が立ち並んでいます。おばさんのお家は、駅北東の満池谷町にありました。
ニテコ池(防空壕があった場所)
「火垂るの墓」のロケ地の1つニテコ池に行ってきました。ここ「ニテコ池」の辺りにはかつて防空壕があり、物語の中で清太と節子が2人で懸命に暮らしていました。今ではこんなに美しい貯水池。
ニテコ池の基本情報 | 詳細 |
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正式名称 | ニテコ池(満池谷貯水池) |
住所 | 西宮市満池谷町11 |
構造 | 上、中、下の3段に仕切って設けられた珍しい池 |
アクセス | 阪急苦楽園口駅下車、東へ徒歩10分 |
香櫨園浜(御前浜)
西宮の満池谷にいるおばさんと暮らしていた時に、清太と節子が遊びにきた御前浜です。満池谷からは南に15~20分程度下って行ったところにあります。
「御前浜」は、阪神電車の香櫨園(こうろえん)駅から西宮駅まで続く砂浜です。平安時代は、「御前浜」と呼ばれていましたが、阪神電鉄が海水浴場を開設して「香櫨園浜」と呼ばれるようになりました。
聖地巡礼における現実と映像作品の違い
防空壕の実際の位置
野坂と妹は高射砲部隊が掘った土壁の壕と、金属加工会社の社長宅にあったコンクリート造りの壕の2カ所で過ごしたとみられる。当時、社長一家は疎開して空き家だった。防空壕があった場所は現在一般住宅に、親類宅は空き地になっており、どちらも残っていない。
アニメ制作にあたって野坂はスタッフらと現地を訪問。付近まで来て野坂が詳しい場所を案内するのを拒んだため、高畑監督とスタッフが相談してニテコ池東岸に防空壕があったように描いたという。
時代による変化
- ニテコ池は、阪神・淡路大震災のときに大きく崩壊しましたが、今は修理され、桜の名所となっています
- 清太と節子が蛍と遊んだ防空壕は今はありません。さらに、水の汚染のため、ホタルも姿を消してしまいました
- 今の夙川の桜は戦後に植えられたいますので、今の様子とは大きく違って松林の風景だったと思われます
SNSや専門サイトで話題の聖地巡礼情報
「国鉄時代の面影を残す円柱は 今も忌まわしき戦争の傷痕 を伝えています。#聖地巡礼#火垂るの墓」
実際に聖地巡礼を行った方々のSNS投稿では、当時の面影を残す場所への感動が語られています。特にJR三ノ宮駅の円柱については多くの方が言及しています。
「石屋川にかかる橋の上の壊れた建物は、阪神電鉄石屋川駅です。現在も橋の上に駅があります。#火垂るの墓」
石屋川駅についても、映画の場面と現在の様子を比較する投稿が多く見られます。橋上駅として今も機能している点に多くの方が注目されています。
「蛍の光は上の方に上がると光が尾を引いています。この絵をアプリを利用して明度を上げると空には爆撃機が浮かんできます。蛍の光は焼夷弾としても描かれているのですね」
作品の深い意味について考察する投稿も多く、単なる聖地巡礼を超えて、戦争の記憶を継承する場としての意味を見出している方々が多数います。
「高畑勲監督の長編アニメ映画「火垂るの墓」の世界観を肌で感じたいと思い、私は兵庫県の神戸市と西宮市を訪ねました」
詳細なロケ地巡礼レポートを公開している方々もおり、これから訪問を計画している方にとって貴重な情報源となっています。
「息子が小学5年生のときの夏休みの宿題、覚書。火垂るの墓を初めて見て衝撃を受けた息子。私たちが住む神戸も大空襲があったんだよーって話しつつ、夏休みの宿題のテーマにしようと家族でぶらり散策にいったときの記録。」
教育的な観点から家族で聖地巡礼を行う方々も多く、平和学習の一環として活用されている例も見られます。
現在でも続く戦争記憶の継承活動
火垂るの墓記念碑の建立
野坂昭如氏の死後(2015年12月9日)に満池谷町に住む土屋純男と川東町の歴史研究家二宮一郎が火垂の墓の舞台を調査、研究し、戦後75年になる2020年に記念碑を建てたいと2017年12月に実行委員会を立ち上げて広く寄付を募り、2020年6月7日(日)に震災記念碑公園の一角で除幕式が行われました。
継続的な平和学習活動
毎年、神戸の市民団体が聖地を訪れ作品を知るイベントも開催されています。また、最近ではボランティア団体「陽なたの会」が、火垂るの墓の朗読劇を上演する活動も行われています。
聖地巡礼のための詳細なアクセス情報
電車でのアクセスルート
神戸三宮~御影~西宮と阪神・阪急沿線を使うことで舞台となっている聖地巡礼が比較的容易に可能です。
主要スポット | 最寄り駅 | アクセス方法 |
---|---|---|
JR三ノ宮駅(清太が亡くなった場所) | JR三ノ宮駅 | 駅構内(中央口付近) |
阪急神戸三宮駅 | 阪急神戸三宮駅 | 駅直結 |
石屋川駅・御影公会堂 | 阪神石屋川駅 | 徒歩5分 |
夙川駅周辺 | 阪急夙川駅 | 駅周辺 |
ニテコ池 | 阪急苦楽園口駅 | 東へ徒歩10分 |
香櫨園浜 | 阪神香櫨園駅 | 徒歩3分 |
バスでのアクセス
ニテコ池へは阪神西宮駅より阪神バスの山手線もしくは鷲林寺線で「満池谷(まんぢだに)」下車すぐでもアクセス可能です。
火垂るの墓の舞台が神戸・西宮である深い意味
火垂るの墓の舞台が神戸市と西宮市に設定されたのは、単なる地理的な理由ではありません。1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲によって自宅を失い、家族が大火傷で亡くなったことという野坂昭如氏の実体験が、物語に深いリアリティと感情的な説得力を与えているのです。
神戸市は当時の主要な港湾都市として空襲の標的となり、多くの市民が犠牲となりました。西宮市は比較的被害が少なかった地域として、多くの疎開先となった場所です。この地理的・歴史的背景が、清太と節子の物語をより現実的で切実なものにしています。
まとめ:火垂るの墓の舞台を訪れる意義
火垂るの墓の舞台となった神戸市と西宮市の各地は、現在も多くの方々に愛され、平和への願いを込めた聖地巡礼の場となっています。「神戸空襲を忘れない」と記された「いのちと平和の碑」が建っています。このように、火垂るの墓は実際の地名が明確にわかる構成になっており、神戸三宮~御影~西宮と阪神・阪急沿線を使うことで比較的容易に聖地巡礼をすることが可能になっています。
これらの場所を実際に訪れることで、戦争の記憶を風化させることなく、平和の大切さを改めて実感できるでしょう。モデルとなった場所を訪ねる人は絶えず、地域史研究の一環として地元の教育委員会が見学会を催すこともあるように、これらの舞台は単なる観光地ではなく、重要な平和学習の場としての役割を果たし続けています。
JR三ノ宮駅の円柱から始まり、石屋川駅、御影公会堂、夙川駅、そしてニテコ池まで、それぞれの場所には現在も当時の記憶が息づいています。火垂るの墓の舞台を巡ることは、作品への理解を深めるだけでなく、戦争の悲惨さと平和の尊さを肌で感じる貴重な体験となることでしょう。

