火垂るの墓のクレーム問題の結論:多岐にわたる批判が放送回数減少の一因となっている
火垂るの墓は2011年までは一年おきにテレビで放送されていましたが、だんだんと一年おきに放送されなくなってしまいました。視聴率も2007年以降は7〜9%に落ち込み、放送頻度が激減しています。この背景には、サクマドロップス商標問題、清太への自己責任論、子どもへの悪影響を懸念する保護者からのクレーム、そして視聴率低下による放送局の判断など、複数のクレーム問題が複合的に影響していると考えられます。


なぜ火垂るの墓にクレームが集中するのか?その理由を詳しく解説
サクマドロップス商標問題説の真相
火垂るの墓で印象的なシーンといえば、節子サクマ式ドロップスを大切そうに舐めているシーンで、実はこのサクマ式ドロップスの商品商標で問題があり、放送禁止になったんだとかという説があります。
戦時中の材料不足によって一時廃業となっていた佐久間製菓の兄弟が分離して別々の会社を作ってそれぞれが「サクマ式ドロップス」「サクマドロップス」という商品を作ることになり、この商標を巡った争いに「火垂るの墓」が巻き込まれたことが原因で、放送されなかったと言われています。
しかし、サクマ式ドロップスが「火垂るの墓」の節子が描かれたパッケージを販売していたことがあったため、商標が問題というのは恐らくないと思われます。
清太への自己責任論が引き起こすクレーム合戦
近年、火垂るの墓をめぐって最も激しいクレーム合戦となっているのが清太の行動に対する自己責任論です。
映画版の監督である、高畑さんは「おばさんのように清太を批判する人間が増えるのが怖い」と言っていましたが、昨今は清太の批判が激しくなったという反面で、清太を批判することそのものを禁忌化した物言いも増えたように感じます。
清太批判派の主張 | 清太擁護派の主張 |
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・14歳なら働くべきだった ・おばさんに我慢して頭を下げるべき ・貯金があるのに使わなかった ・節子を道連れにした責任 |
・戦時中の14歳は現代と違う ・社会保障制度がなかった時代 ・全体主義に抗った純粋さ ・批判は後知恵の結果論 |
子どもへの悪影響を懸念する保護者からのクレーム
物語には空襲のシーンや死に至る病気の描写が含まれており、これが幼い視聴者にとってはトラウマとなりかねません。そのため、「子どもに見せたくない」という保護者の声が少なからず上がっており、放送を控える要因となっています。
主なクレーム内容:
- 節子の衰弱死シーンが子どもにはショック過ぎる
- 空襲シーンが恐怖を与える
- 清太の餓死シーンがトラウマになる
- 戦争の描写が生々し過ぎる
クレームの具体例:SNSでの炎上事例を多数紹介
Twitterで繰り返される清太批判と擁護の論争
先日『火垂るの墓』に関する「大人になって気付いたこと、西宮のおばさんが言ってることが正論で清太がクズだったということ」というツイートがバズっており、このツイートに対して「高畑監督はインタビューでこう言っていて〜」みたいなリプライとか引用も相次いでいて、この手の論争がトゥイッター(X)で何度も繰り返されています。
海外のレビューが引き起こした新たな論争
アメリカのNetflixに火垂るの墓が登場した際、初めて見るアメリカ人たちから「清太が陸軍軍人の息子だったら話がちょっと違ってきたんじゃないか」「高畑は、火垂るの墓が作られた当時の甘ったれた子供が戦時中に送り込まれたらどうなるかって設定で作った」という反響が起こりました。
SNSで注目を集めた投稿とコメント分析
今、貧困者の多い日本で起きていることは、貧困者同士が助け合うのではなく、例えば、貧困でも働いてギリギリの賃金で生活している貧困者が、生活保護者をバッシングするなどといった国民同士の泥仕合ばかり起きています。
引用:https://note.com/haba_survivor/n/ne865dc01c45e
このコメントは、火垂るの墓への批判が現代の格差社会を反映していることを指摘しており、多くの共感を集めました。
我々現代人が心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
引用:https://sleepymame.hatenablog.com/entry/2018/04/09/103210
高畑監督の予言的とも言えるこの発言は、現在の論争状況を的確に言い当てているとして、頻繁に引用されています。
敢えてわかりやすく言えば、高畑勲は”現代の少年”が意図的に投影される清太に、観客が全面的に同情的になることも、全面的に糾弾することも、どちらも批判的に見ていたと言って良いでしょう。
引用:https://note.com/bechikan/n/n5adad793d65c
この分析は、火垂るの墓論争の本質を突いており、両極端な意見への警鐘として注目を集めています。
高畑監督の真意から見る別の切り口での結論
高畑勲監督は、「我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの親戚の叔母さん以上に、清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」と述べています。
高畑監督が本当に危惧していたのは、単純な善悪論で作品を判断する社会の変化でした。クレームの根本には、複雑な人間関係や時代背景を理解せず、現代の価値観だけで過去を裁こうとする傾向があります。
視聴率低下の真の原因
「火垂るの墓」が初めてテレビ放送されたのは映画公開の翌年、1989年で、当時の視聴率はなんと20.9%!2001年には21.5%を記録しましたが、2007年以降の視聴率は一気に7〜9%に落ち込みました。
この視聴率低下は、クレームが直接的な原因というより、時代の変化に伴う視聴者の価値観の変化、娯楽の多様化、そして繰り返し放送による新鮮味の喪失が主要な要因と考えられます。
まとめ:火垂るの墓クレーム問題の本質とは
火垂るの墓をめぐるクレーム問題は、単純な「良い悪い」の二元論では解決しません。高畑監督自身が語った「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう」という言葉が示すように、この作品は現代社会への警鐘として制作されました。
重要な論点は以下の通りです:
- 商標問題は実質的な放送禁止理由ではない
- 自己責任論は時代背景を無視した現代的価値観の押し付け
- 視聴率低下は社会情勢の変化による自然な現象
- クレーム合戦こそが監督の危惧した「おそろしい」未来
火垂るの墓に対するクレームや批判そのものが、実は作品のテーマである「人間同士が手を差し伸べない社会への警鐘」を証明している皮肉な現象と言えるでしょう。大切なのは、極端な意見に流されず、複雑な人間関係と時代背景を理解した上で作品と向き合うことなのです。

