「けだし」の真の意味を知っていますか?
皆さんは「けだし名言」という言葉を聞いたことがありますか?有名な表現として「けだし名言」という言い回しがあります。意味を当てはめると「まさしく名言」「たしかに名言」という事です。
この「けだし」という言葉、実は1000年以上もの歴史を持つ古い日本語なのです。実はこの言葉、1000年以上前から万葉集などで使われていた言葉で、日本に漢字を伝えたとされる中国でも使われています。現代でも時折耳にする「けだし名言」という表現には、深い文学的な背景があるのです。
しかし、この「けだし」という言葉、意味が複雑で、使う場面によってニュアンスが変わることをご存知でしょうか?今日は、そんな「けだし」が使われた心に響く名言を、ランキング形式で詳しく解説していきます。
そもそも「けだし」とは何なのか?
蓋し(けだし)とは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。[副]1 物事を確信をもって推定する意を表す。まさしく。たしかに。思うに。「—その通りであろう」2 (あとに推量の意味を表す語を伴って)もしかすると。あるいは。
つまり「けだし」には、確信を持った推定と不確かな推量という、正反対とも言える意味があるのです。この微妙な違いを理解することが、名言の真の意味を理解する鍵となります。
「けだし」名言ランキングTOP10
第10位:万葉集の恋歌「けだしや泣きし」
けだしの意味。・副詞①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。出典万葉集 一一二「古(いにし)へに恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)、けだしや泣きしわが念(も)へるごと」
この歌の意味は、[訳] 昔を恋い慕っている鳥はほととぎすで、ひょっとすると鳴いているのかもしれない、私が(昔のあの人を)思っているように。
なぜこの歌が名言なのか?
この歌は、人の心の奥底にある切ない思いを、ほととぎすの鳴き声に重ね合わせた傑作です。「けだし」がここで使われることで、確信はないけれど、もしかしたらという心の動きが絶妙に表現されています。恋する人の心の不安定さ、希望と不安が入り混じった心境を、わずか31音で表現した古代日本人の感性の高さに驚かされます。
第9位:渋沢栄一の経営哲学「けだし至言」
この例文では、「蓋し」は「まさしく」という意味で使われており、渋沢栄一の名言を引用しています。彼は日本資本主義の父とされ、新しい紙幣のデザインにも彼の肖像が採用されています。
渋沢栄一とは何者か?
渋沢栄一(1840-1931)は、「日本資本主義の父」と呼ばれる実業家です。生涯で約500社の企業設立に関わり、同時に約600の社会事業に携わりました。彼の「道徳経済合一説」は、利益追求と社会貢献を両立させる経営哲学として、現代のCSR(企業の社会的責任)の先駆けとも言えます。
彼の名言の多くに「けだし」が冠されるのは、その深い洞察力と確信に満ちた人生哲学があったからこそです。
第8位:芥川龍之介の文学作品での用法
赤いべべを着たお人形さんや、ロッペン島のあざらしのような顔をした土細工の犬やいろんなおもちゃもあったが、その中に、五、六本、ブリキの銀笛があったのは蓋し、原君の推奨によって買ったものらしい。
芥川龍之介の『水の三日』からの一節です。ここでの「けだし」は、作家の推測を表現する文学的技法として使われています。
芥川龍之介の文学的意図
芥川龍之介(1892-1927)は、短編小説の名手として知られる作家です。彼が「けだし」を使う時、それは単なる推測ではなく、読者に「なぜそう思うのか」を考えさせる仕掛けでもありました。この一見何気ない「けだし」の使用に、芥川の文学的な緻密さが表れています。
第7位:泉鏡花の美文調での用法
れたかと輝いたのは、蓋し手釦の玉である。不思議と左を見詰めると、・・・ 泉鏡花「伊勢之巻」
泉鏡花(1873-1939)は、幻想的で美しい文体で知られる作家です。彼の作品での「けだし」は、現実と幻想の境界を曖昧にする効果を持っています。
泉鏡花の世界観
鏡花の作品は、日本の伝統的な怪談や民話の要素を現代文学に取り入れたものです。「けだし」という古雅な言葉を使うことで、読者を神秘的な世界に誘い込む効果を生んでいます。
第6位:福沢諭吉の学問論
けだし我が輩の所見にて、開知・修身の道は、洋学によらざれば、他に求むべき方便を知らず。(福沢諭吉 『学校の説 一名、慶応義塾学校の説』)
福沢諭吉(1835-1901)は、『学問のすゝめ』で有名な教育者・思想家です。この言葉は、明治維新という大きな変革期において、西洋の学問の重要性を説いたものです。
なぜこの言葉が重要なのか?
この「けだし」は、福沢の確信に満ちた信念を表しています。当時の日本にとって西洋学問の導入は革命的なことでしたが、福沢は「私の所見では」という謙虚な表現を使いながらも、その必要性を強く訴えています。この姿勢こそが、近代日本の教育の礎を築いたのです。
第5位:上村松園の母親観
「その父賢にして、その子の愚なるものは稀しからず。その母賢にして、その子の愚なる者にいたりては、けだし古来稀なり」(上村松園 『孟母断機』)
上村松園(1875-1949)は、日本画の巨匠として知られる女性画家です。この言葉は、母親の教育力の重要性を説いたものです。
上村松園の人生哲学
松園は、父親がいない環境で母親に育てられ、後に日本画壇の第一人者となりました。自身の体験から、母親の影響力の大きさを実感していたからこそ、この「けだし」には深い確信が込められています。
第4位:佐々木喜善と柳田國男の民俗学論
けだしこの神に関する研究が、ますます盛んになろうという機運の到来したものといわねばならぬ。(喜田貞吉 『オシラ神に関する二三の臆説』)
この言葉は、民俗学の発展期における研究者の確信を表したものです。「オシラ神」という東北地方の民間信仰について、複数の研究者が同時期に注目したことを喜田貞吉が評価した言葉です。
民俗学における「けだし」の意味
学問の世界では、確信を持って断言することは危険な場合があります。しかし「けだし」を使うことで、研究者としての洞察と謙虚な姿勢を両立させています。
第3位:坂口安吾の言語論
さて、アモール(ラヴ)に相當する日本語として、「御大切」といふ單語をあみだしたのである。蓋し、愛といふ言葉のうちに淸らかなものがないとすれば、この發明も亦、やむを得ないことではあつた。(坂口安吾『ラムネ氏のこと』)
坂口安吾(1906-1955)は、戦後文学を代表する作家の一人です。この言葉は、日本語における「愛」という概念の複雑さを指摘したものです。
坂口安吾の言語観
安吾は、言葉が持つ文化的背景や歴史的経緯に深い関心を持っていました。「愛」という言葉の持つ意味の変遷や、それが日本人の感性にどう影響するかを考察した、言語学的にも価値のある洞察です。
第2位:岡田斗司夫の人間関係論
岡田斗司夫さんが、「基本的に俺以外の奴はバカだと思っているので、その馬鹿に何を言われてもストレスにも何もならない」と言っていました。けだし名言だと思いますし、うざい奴に対しても「多様性だなあ」と思って受け流せば確かにストレスはたまりませんね
岡田斗司夫(1958-)は、アニメプロデューサー、評論家として知られる人物です。この発言は、現代のストレス社会におけるメンタルヘルスの維持方法として注目されています。
なぜこの言葉が刺さるのか?
現代社会では、SNSをはじめとする様々な場面で他人からの批判や否定的な意見に触れる機会が増えています。この言葉は、そうした環境で精神的な平静を保つための一つの方法論を提示しており、実用的な価値があります。ただし、これをそのまま実践することの危険性も指摘されています。
第1位:「人は誰でも自分が一番忙しいと思っている」
学生時代、もう40年も前の話になるが、あるとき、友人N氏が「人は誰でも自分が一番忙しいと思っている」と言い放った。名言なのか迷言なのかはわからない。僕はここでは明言しない。しかし、僕の中ではずっと記憶の片隅に残っていて、ふとしたタイミングでこの言葉を思い出す。
この言葉が第1位の理由は、現代人の心理を的確に表現した普遍的な洞察だからです。
「けだし」という言葉の深層を探る
古典文学における「けだし」の意味変化
日本の古語の「けだし」は、下に疑問の語を伴って「ひょっとすると」を意味するほか、また下に仮定の表現を伴って「もしかして」という意味合いを示しました。
万葉集の時代から現代まで、「けだし」の意味は少しずつ変化してきました。古典では主に不確かな推測を表していましたが、現代では確信を持った推定という意味で使われることが多くなっています。
漢文における「蓋」の意味
古代の中国語では「蓋」は「恐らく」や「まさに」といった意味で使用されることがあり、これを漢文訓読で読み下す際に、近い意味の「けだし」という読み方を当てたのが、「蓋し」の由来だとされています。
日本語の「けだし」は、中国の古典から影響を受けています。例えば漢文に「周之建国也、盖千八百诸侯」(周が国を建てた時、恐らく千八百の諸侯がいた」といった一文があり、これが「けだし」と読まれたわけです。
法律用語としての「けだし」の特殊な用法
興味深いことに、法律の世界では「けだし」が全く違う意味で使われていました。法律論文では「蓋し」は「なぜならば」という意味で使われるのが通例です。
「この事例においてAはBに対して地上権をもって対抗することを得るものと考える。けだし、AとBの関係は対抗問題となっているため登記を備えたAがBに優先するからである」
この用法は現在ではほとんど使われなくなっていますが、この法律用語の「けだし」については法学を学ぶほとんどの初学者が「謎の意味変換」だと思っていたようですが、上記のように最近ではほとんど使われなくなっているようです。
現代における「けだし」の使い方
確信を表す用法
まず第一には、「かなりの確信をもって物事を推量するさま」という用法です。「きっと」や「確かに」と言い換えることができるでしょう。現代ではこの用例がほとんどともいえます。
現代の「けだし名言」という表現は、主にこの意味で使われています。単なる「いい言葉だね」ではなく、「確信を持って言えるが、これは名言だ」という強い評価を表しているのです。
推量を表す用法
さらに、やや確信の度合いが下がり、「疑いの気持ちをもって、推量したり仮定したりする意を表す」表現でも使われます。これは「ひょっとすると」といったニュアンスでしょう。
「けだし名言」を生んだ思想家・文学者たち
渋沢栄一の人生哲学
渋沢栄一が多くの「けだし名言」を残せたのは、彼の人生経験の豊富さにあります。農民から始まり、幕臣、官僚、実業家と様々な立場を経験した彼だからこそ、確信を持って語れる言葉があったのです。
彼の「論語と算盤」という考え方は、儒教的な道徳観と近代的な経済活動を両立させる画期的な思想でした。これは現代のESG投資(環境・社会・ガバナンスを重視する投資)の先駆けとも言えるでしょう。
福沢諭吉の教育理念
福沢諭吉が「けだし」と言いながら西洋学問の重要性を説いたのは、単なる舶来崇拝ではありませんでした。彼は実際にアメリカやヨーロッパを視察し、その経験に基づいて確信を持って発言していたのです。
彼の「学問のすゝめ」に込められた「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という平等思想も、西洋の民主主義を学んだ結果生まれた確信でした。
文学者たちの言語感覚
芥川龍之介、泉鏡花、坂口安吾といった文学者たちが「けだし」を効果的に使えたのは、彼らが言葉に対する繊細な感覚を持っていたからです。
特に芥川は、わずか35年の生涯の中で、古典から近代文学まで幅広く学び、その知識を自分の文体に昇華させました。彼の「けだし」の使用は、読者に対する細やかな配慮の表れでもあったのです。
「けだし」を使いこなすための心得
適切な場面での使用
「けだし」は格調高い表現ですが、使う場面を選ぶ必要があります。日常会話で多用すると、かえって不自然に聞こえてしまいます。
適切な使用場面:
– 文章を書く時
– 格式のある場での発言
– 深い思索の結果を表現する時
– 古典的な雰囲気を演出したい時
現代での実用的な使い方
現代において「けだし」を効果的に使うには、以下のポイントを押さえる必要があります:
1. 確信の度合いを明確にする
– 強い確信:「けだし正論である」
– 控えめな推測:「けだしそうであろう」
2. 文脈に応じた使い分け
– 学術的文章:「けだし興味深い現象である」
– 文学的表現:「けだし美しい光景であった」
3. 謙虚さと確信のバランス
– 「私見では」という謙虚さと「確かに」という確信を両立
まとめ:「けだし」に込められた日本人の美意識
「けだし」という一つの副詞から、これほど多くの名言が生まれ、長い間愛され続けてきたのは偶然ではありません。この言葉には、断定を避けながらも確信を表現するという、日本人特有の美意識が込められているからです。
現代社会では、SNSなどで極端な意見が飛び交うことが多くなっています。そんな時代だからこそ、「けだし」という言葉が持つ謙虚さと確信の絶妙なバランスは、より価値を増しているのかもしれません。
古典から現代まで、多くの優れた思想家や文学者たちが「けだし」と共に残した言葉は、単なる知識ではなく、人生の指針となる深い洞察に満ちています。これらの名言から学ぶべきは、言葉の使い方だけでなく、物事を深く考え、確信を持ちながらも謙虚であるという姿勢なのです。
私たちも、日々の生活の中で何かを確信したとき、「けだし」という言葉を思い出してみてください。その瞬間、あなたの言葉にも、先人たちが込めた深い思慮と品格が宿るはずです。
「けだし」——この美しい日本語と共に紡がれてきた名言たちは、これからも私たちの心の支えとなり続けることでしょう。