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火垂るの墓が作られた理由とは?高畑勲監督の制作意図を完全解説!

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火垂るの墓が作られた理由とは?高畑勲監督の制作意図を完全解説!

『火垂るの墓』が作られた理由は、原作者野坂昭如の深い贖罪の念と、高畑勲監督の現代への警鐘という2つの強い動機から生まれました。多くの人が「反戦映画」として受け取るこの作品ですが、実は制作者たちの意図は全く違うところにあったのです。

野坂昭如の贖罪から生まれた『火垂るの墓』

『火垂るの墓』が作られた最大の理由は、原作者・野坂昭如の深い自責の念にありました。

野坂昭如は「火垂るの墓は私小説と言う体裁をとっているけれど、自分の事をそのままあげて書いているのではなくて、ずいぶん自分を飾って書いている」と告白しており、実際の体験では「清太」のような優しい兄ではなく、むしろ妹の食べ物を奪って生き延びた「残酷な兄」だったと語っています。

実体験との違い

項目 小説・映画 実体験
妹の年齢 4歳(節子) 1歳4ヶ月
兄妹の関係 血縁関係 養子のため血縁なし
兄の態度 献身的で優しい 食べ物を奪い、暴力を振るった
親戚のおばさん 冷たく当たる 実際は親切だった

野坂は「実際の妹は一歳四ケ月、これでは会話ができない。十六年生れということにし、急性腸炎で三日寝つき死んだ、前の妹と同年。あの妹が生きていたらと、はっきり残る面影をしのび、戦時下とはいえ、暮らしにゆとりがあって、ぼくは確かにかわいがった。この気持を、まったく異なる飢餓状況下に置きかえた」と語っています。

野坂昭如が作品に込めた贖罪の念

野坂は『婦人公論』1967年3月号に「プレイボーイの子守唄」という随筆を発表し、そこで「私は溺愛の父親だ。娘の麻央を抱くと、戦争の日、私が殺した幼い妹を抱くような気がする。当代一の色事師が告白する鮮烈の記憶」と記しました。これが『火垂るの墓』の原点となったのです。

野坂昭如本人による告白動画では「妹の食べるものを僕自身が奪って食べて生き延びたということのほうのね、負い目のほうが、戦争とか何とかよりも、はるかに僕個人にとって大きな…本来なら、僕はもっと残酷な兄貴だったんですね」と赤裸々に語っています。

高畑勲監督の制作意図:「反戦映画ではない」の真意

高畑勲監督が『火垂るの墓』を作った理由は、現代の子どもたちへの警告でした。多くの人が誤解しているのは、この作品の真の意図です。

「反戦映画ではない」発言の背景

高畑勲は「本作品について『反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない』と繰り返し述べた。また、『本作は決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた』とも語っていた」と語っています。

高畑勲の発言の真意は「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」ということにあったのです。

現代の子どもたちに向けた警告

展覧会の紹介文によると、高畑の狙いは、主人公である清太に(公開当時の)「現在の子供」の姿を重ね合わせることで、「未来に起こるかもしれない戦争に対する想像力を養う物語に仕立て直すこと」にあったのです。

高畑監督は自身も9歳の時に岡山空襲を体験しており、1945年6月24日未明、岡山空襲で高畑監督は実家を失い、燃え盛る岡山市内を夜通し走り回って、九死に一生を得ていますという実体験を持っていました。

アニメーション表現としての挑戦

高畑監督が『火垂るの墓』を作ったもう一つの理由は、アニメーションでしか表現できない「死」を描くことでした。

映画史上初の「死」の表現

大林宣彦は「映画は百年間、いろんな技を探求してきましたが、人間の『死』だけはどうしても描けないんです。劇映画というものは、ご承知の通り、演技ですよ。つまり、演技で絶対にできないものは『死』なんです」と述べ、高畑さんの『火垂るの墓』について「あの節子を、ひとコマで描いたから『死』になっていたんです。しかもそれを確信犯的に『死』の表現に使ったのは、これはアニメも含めて高畑さんが映画史上初なんですよ」と評価しています。

『火垂るの墓』が目指しているのは、高畑監督がそれまでに培ってきた、「生活を丹念に描くことで人間を描く」という作家性を駆使しながら、悲惨な運命をたどる兄妹の暮らした日々を、リアリズムによって描写しぬくということであろうでした。

企画の経緯と制作背景

『火垂るの墓』の制作が決定した背景には、商業的な事情も大きく関わっていました。

『となりのトトロ』との同時上映企画

本作は、1988年(昭和63年)の公開時、宮崎駿監督作品『となりのトトロ』と同時上映されているが、先に企画された『となりのトトロ』は、当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかった。そこで同時上映作品として、高畑勲監督作品『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯が伝えられているのです。

1986年、スタジオジブリは宮崎駿監督「となりのトトロ」の企画を進めようとしたが、親会社の徳間書店が難色を示した。鈴木が、高畑勲監督の「火垂るの墓」との二本立てを提案したが、それでもOKは出なかった。そこで鈴木は、「火垂るの墓」の版元である新潮社に打診。「ビジュアルな分野への進出を模索していた」同社の佐藤亮一社長はこれを受け、同作の製作を決断したのです。

SNSで話題になった投稿・反応

近年、『火垂るの墓』の制作意図について、SNSでも様々な議論が交わされています。特に注目すべき投稿をいくつか紹介しましょう。

火垂るの墓が話題となってるようですが、ポスターの節子と清太が写ってる柱の梁は遺影のようになってるんですよ。

引用:https://twitter.com/heibon__2022__/status/1836434484268253397

この投稿は、作品のポスターに隠された意図について言及しており、制作陣の細やかな演出への配慮を物語っています。

火垂るの墓といえば、ジブリの天才アニメーター・作画監督・監督の近藤喜文さんのイラストを見て戦争がなければ、こんなめっちゃ幸せそうな生活があったんだよ

引用:https://twitter.com/FUJI_ANIMESONG/status/1837238202975015192

この投稿は、作品が描こうとした「もしも」の世界への思いを表現しています。

なんだか数年前から『火垂るの墓』は反戦映画じゃないと言う人が結構いるのですが、これは正確には高畑勲が、「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか。そう言うと大抵は驚かれますが」という神奈川新聞のインタビューがひとり歩きしたもの。

引用:https://king.mineo.jp/reports/285954

この投稿は、高畑監督の発言の真意について正確な解説を提供しており、多くの人が共感を示しています。

火垂るの墓で年齢マウント取ってるおじさんおばさん!そろそろネット卒業しよう!

引用:https://www.tweet247.net/worldwide/火垂るの墓

この投稿は、作品の受け取り方の世代間格差について言及しており、現代的な視点での議論を促しています。

共感したら拡散してね💪 日本人全員観てほしい#火垂るの墓 #戦争反対

引用:https://twitter.com/sh56300/status/1836434484268253397

この投稿は、作品の普遍的な価値と現代への教訓について語っており、多くのリツイートを集めています。

海外での反応から見る制作意図の普遍性

2024年9月、『火垂るの墓』がNetflixで世界190か国に配信されると、海外からも大きな反響がありました。

アメリカのレビューでは「私の知る限り、最も力強いメッセージを持つ反戦映画、それが『火垂るの墓』だ。芸術作品としての価値で語るなら、ピカソのゲルニカやエルガーのチェロ協奏曲と同ランクと言える」と高く評価されています。

海外の視聴者からは「日本人は戦争が平和と幸福をもたらさないということを、理由が何であれ知ってほしいと思った。そして、いつか世界中の人々が同じような考えを持つようになることを願っています」「世界中の老若男女がスタジオジブリの『火垂るの墓』を観て涙する。そこには、人の本音、心のありよう、人生とは何かが描かれている」という感想が寄せられています。

高畑監督の創作ノートから判明した真実

高畑の没後に見つかった映画の創作過程を記した7冊のノート。高畑は自身の空襲体験をもとに原作を忠実に再現しようとする一方で、「F清太」という原作にはない存在をあえて作り出していた。改めて高畑さんが「火垂るの墓」という映画にどんな思いを込めていたのか、わたし自身が知りたいと思い、取材を続けましたという新たな発見もありました。

そのために、原作には存在しない、清太と節子が幽霊となって登場するシーンが加えられたのだということも、監督の制作意図を物語る重要な要素です。

『火垂るの墓』が作られた本当の理由:もう一つの視点

『火垂るの墓』が作られた理由を別の角度から見ると、現代社会への批判という側面も見えてきます。

高畑勲監督は「死によって達成されるものはなにもない」という考えがあったそうで、苦しい体験を繰り返している2人の幽霊を指して「これを不幸といわずして、なにが不幸かということになる」とも語っています。

高畑勲は「主人公たる資格に欠けた”清太”という少年を取り扱うことになりますが、ふりかえってみれば、そのはしりが『母をたずねて三千里』だったわけです」と語っており、従来の英雄的な主人公像を意図的に避けた理由があったのです。

制作における徹底したリアリズムへの追求

高畑監督が『火垂るの墓』を制作した際のこだわりは、単なる感情論を超えた徹底したリアリズムの追求でした。

空襲のシーンなど戦争の描写を高畑ができるかぎりリアルに描こうと努めたことも大きいのだろう。たとえば、空襲時、米軍の戦闘機B29から次々と投下されたM69、「モロトフのパン籠」と呼ばれた焼夷弾がどのようにして落とされ、火の雨となって降り注がれたのか、そのメカニズムを調べるため、高畑は自衛隊にまで演出助手を取材に行かせたほどだったのです。

こうして始まった本作の制作は、高畑勲のリアリズム志向により、1945年(昭和20年)当時の風景が忠実に再現された。戦時下の風景をどう描写するかが製作スタッフの課題だったため、事前に原作者の野坂昭如の案内で西宮市や神戸市でロケハンが行われたという徹底ぶりでした。

結論:『火垂るの墓』が作られた真の意図

『火垂るの墓』が作られた理由は、野坂昭如の深い贖罪の念と高畑勲監督の現代への警鐘という二つの動機が融合したものでした。

原作者の野坂昭如は、実際には妹を十分に愛せなかった自分への懺悔として、理想的な兄の姿を描きました。一方、高畑勲監督は、単純な反戦映画ではなく、現代の子どもたちが同じような状況に陥った時の想像力を育むことを目的としていました。

この作品は、戦争の悲惨さを描きながらも、それ以上に「人間の尊厳」「家族の絆」「現代社会への警告」という普遍的なテーマを扱っているのです。

まとめ

『火垂るの墓』の制作意図を理解することで、この作品がなぜ今なお世界中で愛され続けているのかが分かります。

  • 野坂昭如の贖罪の念:実体験での自分の行動への後悔から生まれた理想的な兄の物語
  • 高畑勲の現代への警鐘:未来の戦争を防ぐための想像力を育む教材として
  • アニメーション表現の革新:映画史上初の「死」の表現への挑戦
  • 徹底したリアリズム:感情論ではなく事実に基づいた戦争描写
  • 普遍的な人間ドラマ:時代を超えて共感される家族の物語

この作品が作られた背景を知ることで、私たちは単なる「悲しい戦争映画」を超えた、深い洞察と教訓を得ることができるのです。『火垂るの墓』は、制作から30年以上が経った今でも、その制作意図が色あせることなく、新しい世代の心に響き続けているのです。

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