「ポーニョ ポニョポニョ 魚の子」でお馴染みの崖の上のポニョ。あの愛らしい魚の女の子が、実は「ブリュンヒルデ」という格式高い本名を持っていることをご存知でしょうか?多くのファンにとって、この事実は大きな驚きとなるでしょう。今回は、本作のヒロイン、魚の女の子。本名は「ブリュンヒルデ」という設定に込められた宮崎駿監督の深い意図と、その名前の由来について徹底的に解き明かしていきます。
ポニョの本名は「ブリュンヒルデ」-壮大な物語の真の主人公
本作のヒロイン、魚の女の子。本名は「ブリュンヒルデ」。年齢は5歳。フジモトとグランマンマーレの娘として設定されているポニョですが、なぜこのような格調高い名前が付けられたのでしょうか。
映画の中で父親のフジモトが「ハム!?あんなおそろしいものをどこで知ったんだ…言いなさい、ブリュンヒルデ!」と呼びかけるシーンがあります。この瞬間、多くの観客は初めてポニョの本名を知ることになります。しかし、父親のフジモトは「ブリュンヒルデ」と本名で呼ぶシーンがありましたが、終盤にはフジモトも母親のグランマンマーレも「ポニョ」と呼んでいますということからも分かるように、本人も周りの人々も「ポニョ」という名前をより愛着を持って呼んでいるのです。
外界に強い興味を持ち、フジモトの目を盗んで家出を試みるが、運悪くジャムの空き瓶に嵌って困っていた所を宗介に助けられ、ぽにょっとした体型から「ポニョ」と名付けられる。当人はいたく気に入った様で、以後はこの名で通しているという経緯からも、「ポニョ」という名前が彼女のアイデンティティとして深く根付いていることが分かります。
ワーグナーのオペラ「ワルキューレ」との深い関係
ポニョの本名「ブリュンヒルデ」の由来を理解するためには、ワーグナーの壮大なオペラ作品を知る必要があります。ポニョの本名は”ブリュンヒルデ”。ブリュンヒルデといえば、北欧神話に登場するワルキューレの一人です。ワルキューレとは、戦争と死の神であるオーディンに仕える女性の半神たち。戦場で倒れた戦士たちをオーディンの宮殿に導くとされています
宮崎駿監督がこの名前を選んだ背景には、制作過程における深いこだわりがありました。この『崖の上のポニョ』は果たしてどういった状況で制作されてきたのでしょうか。公式サイトなどではいくつか、その制作背景が語られています。たとえば宮崎駿がこの映画の制作中に聞いていたという音楽。その音楽というのがリヒャルト・ワーグナーが作曲した楽劇「ワルキューレ」だということが明かされています
宮崎駿監督が映画制作時に聞いていたワーグナーの楽劇「ワルキューレ」が関係していましたという事実は、単なる偶然ではありません。監督は楽劇とは、音楽と劇を密接に引き合わせたオペラの形式。その全曲盤を作品の構想中によく聴いていたそうですとのことで、音楽そのものが作品の根幹に影響を与えていることが分かります。
ニーベルングの指輪とブリュンヒルデの物語
ワーグナーの「ニーベルングの指輪」は4部構成の壮大なオペラ作品です。『ニーベルングの指環』(ニーベルングのゆびわ、ドイツ語: “Der Ring des Nibelungen”)は、リヒャルト・ワーグナーの書いた楽劇。ワーグナー35歳の1848年から61歳の1874年にかけて作曲された。ラストから発表され、4部作完結まで26年。上演に約15時間を要する長大な作品という途方もない規模の作品において、ブリュンヒルデは重要な役割を担っています。
ブリュンヒルデ (W, S, G) : ヴォータンとエルダの娘で英雄をヴァルハラに導くワルキューレの一人で、ヴォータンが最愛とする。ジークフリートの妻になるという設定は、ポニョの設定と多くの共通点を持っています。ブリュンヒルデは、神々の頂点に立つ主神ヴォータンが、知恵の女神エルダとのあいだに作った女の子。この設定はまた、ポニョが魔法使いフジモト(ポニョのお父さん)と海の女神グランマンマーレ(ポニョのお母さん)のあいだの子どもという点で、どこか影響をうかがわせます
北欧神話のワルキューレとしてのポニョ
ブリュンヒルデがワルキューレの長女であることは、ポニョのキャラクター設定に大きな意味を与えています。ブリュンヒルデとは、北欧神話の女神で、ワルキューレと呼ばる女性たちの一人です。ワルキューレとは、死んだ戦士の魂を死後の世界へ運び、ヴァルハラと呼ばれる神(オーディン)の城へ、彼らを迎え入れる女神です
9人ぐらいいるそうで、その中でも代表的な三姉妹の長女が、「ブリュンヒルデ」です。ちなみに、戦士の魂は、そこで世界最後の戦争(ラグナロク)に備えて、延々と鍛錬を続けるそうですという神話的背景は、映画の中でポニョが多くの妹たちを率いている姿と重なります。
『ポニョ』のなかでも、ポニョ以外にたくさんのポニョっぽい子たちが群れをなしていますが、あれが、つまりは” ヴァルキューレ “であるように思われますという指摘は非常に興味深く、ポニョの物語が単なる子供向けのファンタジーではなく、深い神話的構造を持っていることを示しています。
項目 | 北欧神話のブリュンヒルデ | 映画のポニョ |
---|---|---|
父親 | 主神ヴォータン(オーディン) | 魔法使いフジモト |
母親 | 知恵の女神エルダ | 海の女神グランマンマーレ |
役割 | ワルキューレの長女 | 多くの妹たちのリーダー |
使命 | 戦士をヴァルハラに導く | 人間の世界と海の世界を繋ぐ |
恋人 | 英雄ジークフリート | 少年宗介 |
宮崎駿監督の創作意図と人魚姫との関係
ブリュンヒルデという名前の選択は、宮崎駿監督の創作意図を理解する上で重要な手がかりとなります。実は『崖の上のポニョ』には北欧神話よりももっと、モチーフとなったと言っていい物語があります。それが「人魚姫」です
この結末に関して、宮崎駿は当時違和感を持っていることをインタビューで語っており、ハッピーエンドを迎える作品を意識していたことを語っています。街が水没してしまったり、不穏な雰囲気もする『崖の上のポニョ』ですが、そこには悲劇に終わってしまった「人魚姫」へのアンチテーゼとして、人魚姫に幸せになってほしいという思いが乗せられていたようです
アンデルセンの「人魚姫」とワーグナーの「ニーベルングの指輪」のブリュンヒルデ、両方とも悲劇的な結末を迎える物語です。しかし、宮崎監督は人魚姫の悲しい結末とは違い、「崖の上のポニョ」はハッピーエンドで終わるところがジブリらしさを感じますという形で、これらの悲劇的な物語に対するアンチテーゼを提示したのです。
「ポニョ」という名前への愛着
本名「ブリュンヒルデ」を持ちながらも、ポニョが「ポニョ」という名前を愛用する理由には深い意味があります。宗介が名前を付けて大切にしてくれたことで、ポニョは宗介のことを信頼し、大好きになったのかもしれませんね
本人もこの名前を気に入っているようで自分で「ポニョ」と言っていますね。フジモトに本名で呼ばれて「ポニョだもん!!」と本名を嫌がるシーンもという描写は、単なるコメディー的要素を超えて、アイデンティティの選択という重要なテーマを表しています。
SNSで話題の「ブリュンヒルデ」論
ポニョの本名に関する話題は、SNSでも大きな反響を呼んでいます。ここでは、特に興味深い投稿をいくつか紹介します。
ポニョの本名が「ブリュンヒルデ」という衝撃の事実を知って闇に飲まれそう
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この投稿は、多くのファンがポニョの本名を知った時の驚きを端的に表現しています。可愛らしい外見とのギャップに驚く声が多数寄せられています。
家族で鑑賞。映画館でみた時より、数年後にみた時の方が気に入った。ポニョ(ブリュンヒルデ)の、周囲を巻き込み、破壊し、創造し、突進する恋の力。5歳で、愛を貫くそうすけの健気さ、恋愛映画としてベスト5に入れる
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この投稿は、ポニョの本名を理解することで作品の見方が変わることを示しています。「破壊し、創造し、突進する恋の力」という表現は、まさにワルキューレ的な力強さを表現しています。
ポニョの本名「ブリュンヒルデ」はワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環」に登場する9人のワルキューレの長女に由来しています。ワルキューレは北欧神話に登場する神と人間のハーフで、宮崎駿監督は作品の構想を練っている時に楽曲「ワルキューレ」をよく大音量で流していました
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この投稿は、制作過程でのエピソードも含めて詳しく解説しており、多くの人に拡散されました。
ポニョの本名である”ブリュンヒルデ”は、ワーグナーのオペラ『ワルキューレ』に登場する9人の『ワルキューレ』の一人、長女『ブリュンヒルデ』に由来しています
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金曜ロードショーの公式アカウントからも、この話題について公式見解が示されています。
ポニョはブリュンヒルデって本名だったのか。北欧神話が絡んでいたとは…
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このような驚きの声は、ポニョの物語が持つ深い背景を理解することの重要性を示しています。
悲劇から希望へ-宮崎駿の独自解釈
北欧神話とワーグナーのオペラにおけるブリュンヒルデの物語は、基本的に悲劇的な結末を迎えます。ブリュンヒルデは、さまざまな陰謀にまきこまれ、最後には、この愛するジークフリートに裏切られる格好になってしまいます。怒りに駆られたブリュンヒルデは、愛していたジークフリートを憎み、自分がだまされているということに気づかないまま、結果的に、彼が殺される手助けをしてしまいます
しかし、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」では、この悲劇的な運命から救われた新しいブリュンヒルデが描かれています。シグルドとの新たな人生を拒否したブリュンヒルデは、この結婚が嘘の上に成り立っているなら自分・シグルド・グンナルのうちの誰か死ぬ必要があると言い放ちます。ブリュンヒルデからの究極の選択により、理性を失ったグンナルは弟にシグルドを殺害させます。後悔の念に駆られながらも狂ったように笑うブリュンヒルデは自害してしまい、シグルドと一緒に火葬されますという原典の結末とは対照的に、ポニョと宗介の物語は愛で結ばれたハッピーエンドとなっています。
現代における神話の再話
フジモトがポニョに与えた名「ブリュンヒルデ」はワーグナーの歌劇から、母のグランマンマーレはディズニー調….といったように、先行する作品のオマージュと思しき要素がわりとストレートに盛り込まれているのが特徴であるという指摘は、宮崎監督の創作手法を理解する上で重要です。
監督は単に過去の物語を再話するのではなく、現代的な価値観でそれらを再構築したのです。死と戦争に関わるワルキューレから、生命と愛を象徴するポニョへの転換は、まさに現代における神話の再生と言えるでしょう。
ポニョの名前選択の深層心理
おそらくポニョの両親は、ポニョと宗介の関係に好意的なため、ブリュンヒルデが望む名前ならば良いという考えなのではないかと考察されます。ポニョが宗介を信頼して、あんなに「大好きだ」という姿を見たら、気に入った名前に変えてあげても良いと思うのが親心かもしれませんね
この名前への愛着は、単なる好みの問題ではありません。「ブリュンヒルデ」という神話的で格式高い名前から「ポニョ」という親しみやすい名前への移行は、彼女自身のアイデンティティの変化を象徴しています。
「ポニョ」は主人公の宗介が名付けたものですが、名前を付けるときに何か由来や意味はあったのでしょうか?映画を見てみると、宗介がリサにポニョの説明をしている際に「ぽにょっとしているから」と理由を言っていました
この「ぽにょっとしているから」という単純な理由こそが、宮崎監督の意図する「純粋な愛」の象徴なのかもしれません。複雑な神話的背景を持つブリュンヒルデが、シンプルで愛らしい「ポニョ」として生まれ変わることで、悲劇から希望への転換が完成されたのです。
ファンコミュニティでの解釈と議論
ポニョの本名については、ファンコミュニティでも活発な議論が行われています。特に注目されているのは、ポニョの本名は「ブリュンヒルデ」だと作中で明かされていますが、明らかにこれはワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指環」4部作に登場するワルキューレのうちの一人(ヒロイン格)の名から取っていますという事実と、その文学的・音楽的意味についてです。
死後の世界、輪廻(りんね)、魂の不滅など哲学的なテーマを投げかけている。でも、子供の目からは、冒険物語の一部として、自然に受け入れられる。この二重構造をどう音楽で表現するか。そこからが大変でしたという久石譲氏のコメントは、作品の持つ二重構造を明確に表現しています。
この二重構造こそが、ポニョの本名「ブリュンヒルデ」の真の意味なのかもしれません。表面的には可愛らしい魚の女の子でありながら、その背景には壮大な神話的物語が隠されているという構造は、まさに宮崎駿監督の巧妙な演出技法と言えるでしょう。
現代への警鐘としてのブリュンヒルデ
ワルキューレとしてのブリュンヒルデの役割を考えると、ポニョの物語にはより深い意味が込められていることが分かります。で、このブリュンヒルデが大活躍するのが、ワーグナーの歌劇『ニーベルングの指輪』です。実際、映画の嵐のシーンでもその重厚な音楽が使われたりしました
「ハウルの動く城」では、炎の表現に徹底的にこだわり、『崖の上のポニョ』では、水の表現、と言うことですね。そういう部分も楽しめるので、波や水を中心に眺めてみるのも一興ですという指摘も、宮崎監督の表現手法の進化を示しています。
水という生命の源を象徴する要素と、破壊と再生を司るワルキューレの力を融合させることで、現代社会への希望的メッセージが込められているのです。
まとめ-愛によって生まれ変わったブリュンヒルデ
崖の上のポニョの本名「ブリュンヒルデ」には、宮崎駿監督の深い思想と創作意図が込められています。北欧神話とワーグナーのオペラから借用されたこの名前は、単なる学識の披露ではなく、悲劇的な運命から愛によって救われるという普遍的テーマの象徴として機能しています。
ブリュンヒルデといえば、北欧神話に登場するワルキューレの一人です。ワルキューレとは、戦争と死の神であるオーディンに仕える女性の半神たち。戦場で倒れた戦士たちをオーディンの宮殿に導くとされていますという原典の設定から、愛らしい魚の女の子へと転生したポニョの物語は、まさに現代における神話の再生と言えるでしょう。
そして何より重要なのは、ぽにょっとした体型から「ポニョ」と名付けられる。当人はいたく気に入った様で、以後はこの名で通しているという設定が示すように、真の名前は他者から与えられるものではなく、愛によって自ら選び取るものであるというメッセージです。
宮崎駿監督は、壮大な神話的背景を持つブリュンヒルデを、純粋な愛の力によってポニョとして再生させることで、現代の子どもたちに希望と勇気を与える物語を創り上げたのです。それこそが、崖の上のポニョという作品が持つ真の魅力であり、ポニョの本名「ブリュンヒルデ」に込められた深い意味なのです。