
BTSの新アルバム「ARIRANG」で起きた歌詞論争とは
2026年3月20日、約3年9ヶ月ぶりにBTS(防弾少年団)が完全体でカムバックを果たしました。5thフルアルバム『ARIRANG』のリリースに合わせて公開されたNetflixドキュメンタリー「BTS: THE RETURN」では、制作過程での興味深いやり取りが明らかになっています。
その中でも特に注目を集めているのが、メンバーと所属事務所BIGHIT MUSICとの間で交わされた「歌詞の言語選択」をめぐる議論です。SUGA、J-HOPE、RM、Vといったメンバーたちは「韓国語の歌詞を増やしてほしい」と主張しましたが、事務所側はグローバル展開を理由に英語歌詞の採用を推進しました。
この記事では、なぜメンバーたちが韓国語歌詞にこだわったのか、アルバムタイトル「ARIRANG(アリラン)」に込められた深い意味、そしてタイトル曲「SWIM」が表現しようとしたメッセージについて、ドキュメンタリーの内容やファンの考察を交えながら詳しく解説していきます。
メンバーたちが「韓国語歌詞」にこだわった理由
SUGAの主張:「英語が多すぎる」
ドキュメンタリーの中で、SUGAは制作陣に対してはっきりとこう伝えています。「英語が多すぎる。韓国語を増やしてほしい」。この発言の背景には、単なる言語の好みではなく、アルバムのコンセプトとの整合性に対する強い信念がありました。
『ARIRANG』というアルバムタイトルは、韓国の伝統民謡「アリラン」に由来しています。この民謡は韓国人のアイデンティティを象徴する文化遺産であり、2012年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されています。SUGAにとって、このような韓国の伝統的なテーマを扱うアルバムで英語歌詞が中心になることは、コンセプトの本質を損なう可能性があると考えたのです。
J-HOPEの願い:「ラップは韓国語で」
ラッパーとしてのアイデンティティを大切にするJ-HOPEは、特にラップパートについて韓国語での表現を希望しました。これは音楽的な理由も大きく関係しています。
韓国語のラップには独特のリズム感があり、言語特有の発音や抑揚がビートと絡み合うことで生まれる「グルーヴ」があります。英語でラップをする場合、いくら流暢に発音しても、ネイティブスピーカーではないアーティストにとっては自然なフロウを作り出すのが難しいという現実があります。J-HOPEは自分たちの最も得意とする表現方法で、最高のパフォーマンスを届けたかったのでしょう。
RMの懸念:「真摯さが薄れる」と「発音の負担」
グループのリーダーであり、英語が堪能なことでも知られるRMですら、英語歌詞の多用に懸念を示しました。彼の発言は二つの重要なポイントを含んでいます。
まず、「オーセンティック(本物らしい)なアルバムなのに英語中心だと真摯さが薄れる」という芸術的な観点です。「ARIRANG」というアルバムは、メンバーたちの兵役期間を経て、改めて自分たちのルーツや本質を見つめ直した作品です。そのような深いテーマを扱う際に、母国語ではない言語で表現することの違和感を、RMは率直に指摘しました。
そして二つ目は、より実務的な「発音の時間的負担」という問題です。英語の歌詞を正確に、かつ感情を込めて歌うためには、ネイティブスピーカーではないメンバーにとって相当な練習時間が必要になります。ドキュメンタリーでは、Vが英語歌詞を試唱するシーンで、RMが冗談交じりに「発音を手伝おうか」と提案する場面もありました。この何気ないやり取りからも、英語歌詞がメンバーにとって少なからず負担になっていることが伺えます。
事務所側の主張:グローバル戦略との葛藤
副社長ニコル・キムの「グローバル展開論」
一方、BIGHIT MUSICの副社長であるニコル・キムは、メンバーの主張を理解しつつも、異なる視点を提示しました。「誠実さは重要だが、グローバル展開のために英語を試す価値はある」という彼女の発言は、K-POP業界が抱える構造的なジレンマを象徴しています。
K-POPアーティストが世界市場で成功するためには、英語圏のリスナーへのアプローチが不可欠です。特にアメリカやイギリスなどの主要音楽市場では、英語歌詞の楽曲の方がラジオでのプレイリスト入りやストリーミングでの再生回数で有利になる傾向があります。
実際、BTSが過去にリリースした英語楽曲「Dynamite」や「Butter」は、ビルボードHot 100で1位を獲得し、グループの知名度を大きく押し上げました。事務所としては、完全体での復帰作である『ARIRANG』でも、こうした成功を再現したいという思いがあったと考えられます。
アーティストの自主性 vs. ビジネスの論理
この対立は、アーティストの創作における自主性と、エンターテインメントビジネスの商業的論理という、音楽業界における古典的なテーマを浮き彫りにしています。
興味深いのは、ドキュメンタリーでこの対立が包み隠さず公開されたことです。多くの事務所が「円満な関係」を演出しがちな中、BTSとBIGHIT MUSICは制作過程での率直な意見交換を見せることで、かえってお互いへの信頼関係の深さを示したとも言えます。結果として、メンバーの意見が一定程度反映されつつ、グローバル戦略も考慮したバランスの取れた作品が生まれました。
「ARIRANG(アリラン)」に込められた深い意味
韓国民謡「アリラン」とは何か
アルバムタイトルの理解を深めるには、まず「アリラン」という民謡について知る必要があります。アリランは数百年の歴史を持つ韓国の代表的な民謡で、地域ごとに60種類以上のバリエーションが存在すると言われています。
歌詞の内容は主に「別れ」や「恋しさ」、そして「前に進む意志」を歌ったもので、韓国人の心情を表現する文化的シンボルとなっています。「アリラン、アリラン、アラリヨ」という繰り返されるフレーズは、悲しみを乗り越えて進んでいく人間の強さを象徴していると解釈されています。
BTSがこの民謡をアルバムのタイトルに選んだのは、兵役という「別れ」を経験し、再び「前進」していく自分たちの状況と重なる部分があったからでしょう。
アルバム全体のストーリー構成
『ARIRANG』は全14曲で構成されており、明確なストーリーラインを持っています。
前半部分(挑戦):アルバムの前半では、新たな挑戦に立ち向かうエネルギッシュな楽曲が並びます。「Body to Body」や「Hooligan」などの曲では、困難な状況でも自分らしさを失わずに進んでいく決意が歌われています。
中盤部分(内省):中盤では、より内省的なトーンに移行します。過去を振り返り、自分たちが経験してきた苦悩や成長を見つめ直す楽曲が配置されています。ここで伝統民謡「アリラン」の「恋しさ」というテーマが色濃く反映されます。
後半部分(再出発):そして後半では、すべての経験を糧として新しい一歩を踏み出す希望のメッセージが提示されます。この構成全体が、アリランという民謡が持つ「苦しみを乗り越えて前進する」というテーマと完全に一致しているのです。
普遍的な感情を文化を超えて伝える試み
RMがインタビューで語っているように、『ARIRANG』のテーマは「韓国特有のもの」ではなく「普遍的な人間の感情」です。別れの痛み、恋しさ、それでも前を向いて歩き続ける強さ——これらは文化や言語を超えて、すべての人が共感できる感情です。
メンバーたちが韓国語歌詞にこだわった理由の一つも、ここにあります。韓国の伝統的なモチーフを使いながら、それを単なる「エキゾチックな要素」としてではなく、真摯に向き合って表現することで、かえって世界中の人々に届く普遍的なメッセージになると信じていたのです。
タイトル曲「SWIM」の歌詞と隠された意味
全編英語歌詞という皮肉な選択
メンバーたちが「韓国語を増やしてほしい」と主張した結果、アルバム全体では韓国語と英語のバランスが取れた構成になりましたが、興味深いことにタイトル曲「SWIM」は全編英語歌詞となっています。
これは一見、メンバーの主張と矛盾するように思えますが、実はアルバム全体のコンセプトを考えると理にかなった選択だったとも言えます。「SWIM(泳ぐ)」というタイトルが示す通り、この曲は「人生の波を泳ぎ続ける」というメタファーを中心に据えています。
この普遍的なテーマを、文字通り世界中の人々に届けるための言語として英語が選ばれたのでしょう。アルバム全体では韓国のアイデンティティを大切にしながら、その中核となるメッセージ曲では世界共通語を使う——この構成自体が、BTSの「ローカルとグローバルの融合」という姿勢を体現しています。
民謡「アリラン」の旋律がサビに隠されている
「SWIM」の最も注目すべき点は、サビ部分に伝統民謡「アリラン」の旋律が巧みに織り込まれていることです。ファンの間では「99%のARMYが気づかなかった秘密」としてYouTubeなどで考察動画が数多く制作されています。
オルタナティブ・ポップというモダンなサウンドの中に、何百年も歌い継がれてきた韓国の伝統旋律を溶け込ませる——この試みは、まさにBTSが追求してきた「伝統と革新の融合」の象徴と言えます。
英語歌詞で歌われていても、メロディーラインに韓国の魂が刻まれている。この構造自体が、「言語を超えたアイデンティティの表現」というメッセージを音楽的に体現していると解釈できます。
「泳ぎ続ける」ことの意味
歌詞の中で繰り返される「SWIM」という言葉には、複数の意味が込められています。
まず表面的には、人生の荒波の中でも溺れずに泳ぎ続けるという、困難に立ち向かう姿勢を表しています。しかしより深い解釈をすれば、「泳ぐ」という行為は決して楽ではなく、常に体を動かし続けなければ沈んでしまうという現実も示唆しています。
これは、トップアーティストとしての地位を維持するために常に努力を続けなければならないBTS自身の状況とも重なります。約4年近くの空白期間を経て復帰した彼らにとって、「また泳ぎ始める」ことは大きな決意を必要とする選択だったはずです。
また、民謡「アリラン」の「前に進む」というテーマとも呼応しています。立ち止まらず、休まず、ただ前を向いて進み続ける——そんな決意が「SWIM」という一語に凝縮されているのです。
ファンが発見した「ARIRANG」の隠された秘密
本調子リズムと歌詞の直接引用
熱心なファンたちによる分析で、アルバム全体に散りばめられた「アリラン」へのオマージュが次々と明らかになっています。
特に注目されているのが、いくつかの楽曲で使用されている「本調子」と呼ばれる韓国伝統音楽のリズムパターンです。これは現代的なビートとは異なる、独特の間の取り方が特徴で、韓国音楽の伝統的な「呼吸」を生み出します。
また、一部の楽曲では民謡「アリラン」の歌詞が直接引用されている箇所もあります。これらは韓国語が分からないリスナーには気づきにくい要素ですが、韓国文化に精通したファンにとっては、BTSの文化的ルーツへの敬意を感じさせる重要な仕掛けとなっています。
急増する和訳・考察サイト
アルバム発売後、ファンコミュニティでは歌詞の和訳や考察を行うサイトが急増しました。特にnoteやブログなどのプラットフォームでは、一曲ごとに詳細な解釈を加えた記事が数多く投稿されています。
これらの考察では、歌詞の表面的な意味だけでなく、韓国語特有の言葉遊びや、韓国文化における特定の表現が持つ深い意味まで掘り下げられています。こうしたファン主導の分析活動は、BTSの音楽が単なるエンターテインメントを超えて、文化的・芸術的な研究対象となっていることを示しています。
YouTube解説動画の盛り上がり
YouTubeでは「ARIRANG」関連の解説動画が連日アップロードされており、視聴回数を伸ばし続けています。「99%のARMYが知らない隠された秘密」といったタイトルの動画では、楽曲に隠されたイースターエッグや制作背景、メンバーの発言の意図などが詳しく分析されています。
特に人気なのが、「SWIM」のミュージックビデオに登場するシンボルの解釈や、振付に込められたメッセージを読み解く動画です。BTSの作品は常に多層的な意味を持っており、ファンたちは宝探しのように新しい発見を楽しんでいます。
兵役後初の完全体復帰という特別な意味
約4年近い空白期間を経て
『ARIRANG』が特別な意味を持つ最大の理由は、これが兵役による活動休止期間を経た初めての完全体でのアルバムだということです。韓国の男性アイドルにとって、兵役は避けられない義務であり、同時にキャリアにおける大きな転換点でもあります。
BTSのメンバーたちは2020年代前半から順次兵役に就き、2026年初頭にすべてのメンバーが任務を終えました。その間、ファンたちは辛抱強く待ち続け、メンバーたちもそれぞれの場所で成長を重ねてきました。
この「別れ」と「再会」の物語が、まさに民謡「アリラン」のテーマそのものです。離れていた時間、それぞれが感じた恋しさ、そして再び一緒に前を向いて歩き始める決意——これらすべてがアルバムのコンセプトに反映されています。
ドキュメンタリーで明かされた制作の苦労
Netflixドキュメンタリー「BTS: THE RETURN」では、長い空白期間を経てのアルバム制作がいかに大変だったかが率直に描かれています。
久しぶりに揃ったメンバーたちは、お互いの音楽的な成長や変化を確認しながら、新しいハーモニーを作り上げていく必要がありました。その過程で、今回取り上げた「歌詞の言語選択」という問題だけでなく、サウンドの方向性やパフォーマンスのスタイルについても様々な議論があったことが伺えます。
Vが英語歌詞を試唱するシーンでは、慣れない発音に苦戦する様子も映し出されています。しかしその困難を乗り越えようとする姿勢こそが、「SWIM(泳ぎ続ける)」というテーマの具現化だったのかもしれません。
K-POP業界が抱える「言語の選択」というジレンマ
韓国語 vs. 英語:K-POPの永遠のテーマ
今回のBTSの事例は、K-POP業界全体が抱える構造的な課題を浮き彫りにしています。韓国という比較的小さな市場から出発したアーティストたちが世界で成功するためには、言語の壁をどう乗り越えるかが常に重要なテーマとなります。
一方で、韓国語そのものの持つ音楽的な魅力や、文化的アイデンティティの表現という観点からは、母国語での創作が重要だという意見もあります。実際、BTSが世界的な人気を獲得したきっかけの一つは、韓国語で真摯に自分たちのメッセージを歌い続けたことでした。
他のK-POPアーティストの選択
この問題に対して、K-POPアーティストたちは様々なアプローチを取っています。
BLACKPINKは初期から英語歌詞を積極的に取り入れ、グローバル市場を意識した戦略を展開しました。一方、Stray Kidsは韓国語中心の楽曲でありながら、メンバー自身が多言語でのコミュニケーションを行うことでグローバルファンとの距離を縮めています。
どのアプローチが正解ということはなく、それぞれのアーティストが自分たちの音楽性や伝えたいメッセージに応じて選択していくべき問題です。BTSの場合、今回のアルバムでは「バランス」という答えを出したと言えるでしょう。
真の「グローバル」とは何か
興味深いのは、近年「韓国語の楽曲だからこそグローバルに受け入れられる」という逆説的な現象が起きていることです。
Netflixの「イカゲーム」や映画「パラサイト」が世界的ヒットを記録したように、「真正性(オーセンティシティ)」を持ったコンテンツは、言語を超えて人々を魅了する力を持っています。RMが言う「真摯さ」とは、まさにこの真正性のことでしょう。
英語を使えば確かに理解のハードルは下がりますが、アーティストが最も自然に、深く表現できる言語で創作することで生まれる「本物らしさ」こそが、長期的には世界中のファンの心をつかむのかもしれません。
『ARIRANG』が示すBTSの成長と自己肯定
外部の期待ではなく、自分たちの声で
今回の歌詞論争でメンバーたちが見せた姿勢は、BTSの成長を象徴しています。デビュー当初は事務所やプロデューサーの方針に従うことが多かったかもしれませんが、今や彼らは自分たちの音楽に対して明確なビジョンを持ち、それを主張できる立場になりました。
「英語歌詞でヒットチャートを狙う」という外部からの期待や商業的な論理に対して、「自分たちが本当に伝えたいことを、最も適した言語で表現したい」という芸術家としての姿勢を貫いたのです。
アルバム全体に流れる自己肯定のメッセージ
『ARIRANG』の全14曲を通して聴くと、一貫して流れているのは「自己肯定」というテーマです。過去の苦労、現在の立場、未来への不安——すべてを受け入れた上で、「それでも自分たちは泳ぎ続ける」というメッセージが込められています。
これは単なるポジティブシンキングではなく、多くの困難を実際に経験し、乗り越えてきたBTSだからこそ説得力を持つメッセージです。兵役という「分断」を経験し、それでも再び集まって音楽を作る——この事実自体が、「アリラン」の「別れと再会、そして前進」というテーマの生きた証明となっています。
まとめ:アイデンティティとグローバル化の間で
BTS『ARIRANG』をめぐる歌詞論争は、単なる言語選択の問題ではありませんでした。それは、アーティストとしてのアイデンティティ、文化的ルーツへの敬意、商業的成功への期待、そしてグローバル市場での存在感——これらすべてをどうバランスさせるかという、現代のK-POPアーティストが直面する根本的な課題の縮図だったのです。
メンバーたちが「韓国語を増やしてほしい」と主張した背景には、韓国の伝統民謡「アリラン」をテーマにしたアルバムで、真摯に自分たちのルーツと向き合いたいという芸術家としての誠実さがありました。一方、事務所側のグローバル戦略も、アーティストの成功を願うがゆえの提案でした。
最終的に完成した『ARIRANG』は、韓国語と英語が共存し、伝統的な民謡の旋律とモダンなサウンドが融合した、まさに「BTSらしい」作品となりました。タイトル曲「SWIM」が英語歌詞でありながらサビに「アリラン」の旋律を織り込んでいるように、このアルバム全体が「ローカルとグローバルは対立するものではなく、融合できるもの」というメッセージを体現しています。
兵役という長い別れを経て、再び完全体として泳ぎ始めたBTS。彼らの選択は、自分たちのアイデンティティを大切にしながらも世界に開かれていくという、これからのグローバルアーティストのあり方を示しているのかもしれません。
ファンたちが今も歌詞の隠された意味を探求し続けているように、『ARIRANG』は聴くたびに新しい発見がある、多層的な作品です。それは、メンバーと事務所が真剣に議論し、妥協点を見出しながら作り上げたからこそ生まれた深みなのでしょう。